JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

あるものを数えて生きていく

2015年10月26日 08時54分55秒 | 想い
曽野綾子さんの言うとおりだよね。わかっているのだけど、気付けば、ないものを数え上げてる自分がいる。。。

「人を当てにしてはいけない。物事思い通りに行く筈がない。」

前回のエッセイにあった、お仲間さんのコメントを、彷彿とさせる出来事があった。その夜は、重苦しい心持ちと頭痛で、夕食も喉を通らなくなった。茶碗を置き、家族の団欒を抜け、朝からキッチンに積み上げられた食器を、横目で見やりながら、2階の寝室へ上がる。’今はただ、心と身体を休めたい’ すべてを放り出し、ベッドへ潜り込んだ。

ご無沙汰してます。お元気ですか?
今年も大学の学祭の季節が来ましたね。
年賀状で、じんちゃんの言葉をずっと覚えていて、 今年こそは行ってみようかな、と思い立ちました。

なかなか遠出するのも勇気がいるんだけど、親がまだ元気なうちに出ておかないと、本当にいつ出られるかわからないと、 さすがに危機感を感じてしまって・・・・・・。
急に思いついたことなので、今頃メール連絡することになってしまったけれど、 もし来られることがあったら、ぜひ声をかけてね。

年賀状で大学へのお誘い、ありがとう☆
嬉しかったです。


翌日は、母校の学祭。例年この日に、中高から付き合いのある友人たちと、かつての学び舎へ帰る。加えて今年は、大学時代の部活仲間Tちゃんから、十数年ぶりにメールが届き、久方ぶりの再会となる予定だった。頼まれていたPTA委員の仕事を終え、ホッと一息。気の合う仲間との集いを、私も楽しみにしていた。

事態は、学校を出る頃に急転した。「今日は、お疲れ様~次回は11月上旬の学年行事になるけど、よろしくネ。」共に当番をしていた副委員長へ声をかけると、「ええーっ!?無理です。ムリ!ムリ!」実は数日前にも、執行部から割り当てられた仕事を、彼女が引き受けていたのだが、 学年行事は、以前から協力をお願いしていたし、私たち本来の仕事なので、当然動いてくれるものと思っていた。 「その日は行けません」なんてメールは、一切受け取っていなかった。

ビックリ仰天、残りのメンバーに慌てて確認すると、「すみません。行けないです。」 「忘れてました!ごめんなさい。OH!なんてこったい。。。日程だけ知らせておき、執行部からの仕事が一段落してから、当日の詳細を詰めようという目論見が、裏目に出た。 (-_-) 学校からの通達プリントもあったんだがなぁ。

こちらからの連絡が、誰にも通じていない。これは、ショックだった。一人でもいい。’何かすると言ってたけど、大丈夫かな?’と、気にかけてくれる人が欲しかった。そうして、協力できようが、できまいが、YES NO の返事をきちんとくれる人が。

この期に及んで欠席?冗談じゃない。2学期に学年行事があるのは、折に触れて伝えていたこと。一人は、数日前に別件でメールした際、この件について触れていたのに、何にも返してこなかった。それが急に、「行けません。」 嫌がらせかぃ!これってイジメなんかな~’ムリ’と放って、それで済む人はいい。私は、どこへも逃げられない。。。みんながやれないと言っても、やるしかないのだ。

ひと眠りしたら、頭痛はとれていた。ダイニングへ戻り、食事の続きに手をつけたのは、日付が変わる頃。「やれやれ。。。」ため息をつきながら、帰宅していた息子を相手に、心の内を吐き出す。「そんなこと想定の範囲内じゃないか。今までだって、ブツクサ言ってたんだから。」 「少なくとも学年行事は、やってくれると思ってたのよ。」 (1学期のうちは、まだしも機能していた)「長の仕事は、自分が動くんじゃなくて、メンバーに割り振ることなんだろ?」 「だって動いてくれないんだもん!」「その人たちにとっては、重要な事項じゃないんだろうな。」

他学年の委員長が、夜の役員会議を急遽欠席する事態に陥った時、代わりの委員がやってきて無事役目を果たしているのを見ると、羨ましく思う。私には、都合が悪くなっても、即座に動いてくれるメンバーはいない。委員長を引き受ける折には、「会合への出席だって、一人で背負うことはないのよ。」と、前任者から言われていた。現場にいたメンバーも、その言葉に頷いていた。が、喉元過ぎれば何とやらで、その後の流れを見ていると、とてもじゃないが無理!と感じる。その他の仕事も含め、毎回綱渡りのような状況で、人員をやりくりしている。それでも調整できない場合は、仕方がない。割愛できる所はそうして、作業自体を軽くし、何とかさばいていくだけだ。今回の学年行事だって、やってやれなくはないだろう。しかし…「気分的に嫌なんでしょう?」娘が、当意即妙な合いの手を入れる。「うん。」「わかる。私も、そういうことある。」

’自分には事情があるから、他の誰かがかぶって当然’。そんな論理に呑み込まれていくのが、実はどうにも腹立たしいのだ。’ちっさいなぁ。。。なんて心に余裕のない人間なのだろう。’と、落ち込んでしまうこともある。けれども、周囲の都合ばかり優先されていく状況で、どうして優しさを保てようか。配慮だって、結局は各々の気持ちの上に成り立っている・・・『社会的弱者は守られるべき』といった倫理やシステムだけで、押し通せるものではない。’当たり前じゃあないんだよね。。。’ 一人、唇を噛みしめる。私にだって、助けてほしい時がある。支えてほしい時もある。肝心な場面で、「誰も手伝ってくれなかった」嘆かわしさ、「ここでも私が背負うのか」という諦観は、委員活動の記憶、ひいては周囲への信頼に、暗い影を落とすに違いない。マズいなぁ~マイナスの感情に覆われていた時、1通のメールに気付いた。

「忘れてました」と言っていた、メンバーからだった。AさんからもBさんからも、ムリという返事で困っていると、伝えていたのである。「それは大変事情を話して、早めに上がれるよう、職場にかけあってみます。」そうしてもう一人、こちらの窮状を察し、「私でよかったら手伝うよ」と、声をかけてくれた人がいた。小学校で苦楽を共にした、かつての役員仲間だった。まずは、気持ちに寄り添ってくれた-それから、自分にできることを見つけようとしてくれた-どんな結果になろうが、二人の心意気は嬉しかったし、ありがたかった。

心持が回復した私は、翌朝滞っていた家事をどうにか片付け、母校へ出向いた。
今からすごく楽しみ!
じんちゃんと会えるのは、本当に何年ぶりだろ。早くお話ししたいわ~。

メールの言葉に込めた想いを裏付けるように、Tちゃんは現地へ一番乗りしていた。「遅れそうなので、ゆっくり来て~」という私のメールに、
最寄駅に着いたので、ぶらぶらしてから上にあがります
と返信があったのは、集合時間の40分前。はやっ・・・’せっかくの機会逃すまじ!’ 遠方にも係わらず、早朝から動いてくれたんやろな。。。そう推し量ると、胸がいっぱいになる。思うに任せぬことにグズグズと囚われ、機敏に動けなかった己が恥ずかしいよ。まったく。

今、学生会館の中へ入りました。懐かし~い!
お弁当の引換券は、もらってるのん?
ばっちり
私も駅に着きました。これから上がるね~
OK!
メールを遣り取りしながら、ワインレッドのスクールバスへ乗り込む。私たちが利用していた頃に比べ、格段にオシャレになったバスである。うわぁ~今の運転手さん、楽ちゃんちがうん「えっ誰?」同行していた娘が、怪訝な顔で振り向く。三遊亭楽太郎に似ているから、’楽ちゃん’。(今や、円楽さんですな)若くて明るく、ちょいと男前だった彼には、ユーモアのセンスも備わっていて、学生から慕われていた。

「運転手さんにね、あだ名をつけていたの。」おっとりした空気が藤山寛美を思わせる故、’かんび’。こんなネーミングも、楽ちゃん同様、現代ッ子にわかり辛くなってしまったのが寂しい。涙が出るほど運転が丁寧で、信号によく引っ掛かってくれた。パンチパーマだから、’パンチ’。「お母さん、それって失礼じゃないのぉ?」 クスクス笑いながら、娘が返す。髪型からくる威圧感とは裏腹に、心優しき紳士だった。「いや、もっとスゴいニックネームが。。。」「何よ?」「バカボンパパ」そのマンガチックな風貌と気っ風の良さで、おっちゃんと言えども、人気があった。しかし、バカボンのパパは通じるのか?隣席で腹をよじらせ笑う娘の姿に、世代を超えなお生き残る、赤塚作品のしぶとさを鑑み、恐れ入る・・・奇しくも今年は生誕80周年で、『おそ松くん』が復活だそうだ。あれこれ想いを巡らしているうち、母校へ到着した。

学生会館の一角にしつらえてあるお茶席で、Tちゃんは部活仲間と談笑していた。「お待たせして、ごめんね~」謝り倒しながらの再会に、「久しぶり~わっ娘さん、じんちゃんにソックリね!」と切り込まれ、返す言葉に窮するのは、日頃娘を’花沢さん♪’(← 『サザエさん』 のな)と、からかっているが故。幼児期:MEGUMI → 小学生:小澤一郎 → 中学生:花沢さん。椎名林檎もビックリの顔面事変の一翼を、己が担っているという事実!改めて認識させられるわ。 (コワモテの小澤さんから、愛嬌あるおてもやんへ進化したのが、せめてもの救いだ。)こうして、’ナンチャッテ天海祐希’と言い張っていたじんちゃんの面の皮が、剥がれていく訳ですよ。。。