ごじゃっぺ日記(旧、看悶日記)

京都生まれのにわか茨城県民による雑多な日記です。内容に一貫性はありませんが、どうかひとつ長~い目で見てください。

栃木県小山市、思川の乙女河岸

2016-05-09 23:12:14 | 茨城だっぺ
銚子から利根川、東京湾から江戸川を遡ると、
茨城県境町、千葉県野田市関宿、埼玉県幸手市の境で両河川が合流…実際は分流。

そしてすぐ上流の古河で利根川は、西から利根川・渡良瀬川・思川が合流。
利根川河口から120km遡った古河でも海抜15m、そこまでは流れも緩やかですが…
その上流側では、瀬に白波の立つ中流域に入ります。

それでも、小山市の乙女付近までは明治初期まで舟運があったそうです。

乙女河岸。

関ケ原の合戦の直前、徳川家康は会津の上杉景勝を攻めるのですが…
ここ乙女河岸まで船で兵糧を運んだそうです。
ちなみに、この時代の利根川は東京湾(江戸川)に流れ込む、現在の江戸川でした。

家康軍は小山に到達した時点で、山内一豊妻からの書状で石田三成の蜂起を知り…
小山評定の末、軍勢を引き返し関ヶ原で、徳川率いる東軍と石田三成率いる西軍が激突。
関ヶ原東軍勝利に対する功が認められ、元々豊臣恩顧で駿府の徳川を牽制すべく掛川城主となっていた山内家は、
土佐一国の大大名に取り立てられるのです。

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