教育基本法改正案
10.家庭教育
(1)父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとすること。
(2)国および地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会および情報の提供その他家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならないこと。
うかつであったが、教育基本法は「学校教育基本法ではない」ことを改めて認識した。今までも社会教育に関する規定はあった。だが、「家庭」に関する規定はなかった。よくよく考えないといけない問題である。
今度の教育基本法そのものの内容は、例の「郷土愛、愛国心」規定を除けば、総花的でかつ抽象的であり、極端な改正とは言えない。(もっとも16条は拡大解釈されるとやっかいであるが)たぶん改正そのものに目的があるのだろう。そこから憲法改正にもっていく。また施行段階において条文の拡大解釈をはかるつもりであろう。だから愛国心、郷土愛を除けば、比較的受け入れやすい表現を意図的に並べてある。
しかし、この家庭教育条文は、新設の条文であって、とくと考えなくてはいけない事項であろう。愛国心談議のみにとらわれている場合ではない。
極端にデフォルメ(誇張して)考えてみる。
条文は「自立心を育成し、心身の調和のとれた発達」と謳っている。しかし親が「人間は他力によって生きている。自立心は傲慢であり、煩悩である。」と考えていたら、それは法律違反になるのだろうか?(極端な例である)
私の数年の、過去の短い期間の教師経験から言っても、「親の方針」への対応は、現場にとって、もっとも困難で、慎重な対応を要する事柄である。むろんこの条文の施行は国家が行うことで、「学校のみで対応するものでない」が、実際には学校や児童相談所が主に担うことは間違いないだろう。家庭教育に公機関が踏み込むのはきわめて困難な課題である。どのように具体化するつもりなのか?
国家権力が家庭(個人)の領域に踏み込むのは許さない。という論法はたやすく言える。
だが、虐待報道を見よ。マスコミは口をそろえて言う。「こうなる前に学校や児童相談所はなんとかできなかったんですかね」。国家が踏み込め、と言っているではないか。多くの国民はそれに同意している(だろう)。一方で「踏み込むことは許さない」。他方で「踏み込め」というのは矛盾である。
私は右翼さんに評判の悪い朝日新聞を読んでいるが、反権力、反国家主義的記事を書けば、それでよし、とするような編集方針に時々違和を覚える。反権力が社会の均衡を保つために重要なのは理解できる。しかし、朝日だって国家に匹敵するような権力をもっている。そのことへの自覚が足りないように思える場合が残念ながら多々ある。
国家権力は家庭(個人)に踏み込むな、という単純な論理ではいけないのだ。
強権としての権力は国家がもつが、もう一つの権力者はマスコミであり、また「民意なるもの」である。
TVコメンテイターが「暴力、虐待はなにがあっても許せません」といった次の瞬間に「アメリカンバイオレンス映画の宣伝」が映る。この矛盾をTV編成者は我々と同じ感性をもって感じているのだろうか?
とくと考えなくてはいけない。今の段階ではその程度の浅いコメントしかできない。もう少し考えを深めたいので、コメントやトラックバックをいただければ有難い。
家庭教育に関しては、教育面だけでなく、経済面などを中心とした社会システムと大きくリンクする問題だと感じています。標語的な法律改正よりも仕組みを変えるような改正の仕方でなければ実行性がないでしょう。
私もマスコミの矛盾、最近顕著に感じます。
お邪魔しましたm(__)m