個人的には山本太郎の過剰な行動は好きではありません。しかし好悪と判断は別です。彼は辞職などしなくていい。その理由は以下のとおりです。
1、天皇の政治利用について
かつて鳩山総理が天皇を中国の要人と会談させた時、自民党は「天皇の政治利用」だと批判しました。仮に、あの時、鳩山内閣が「少数与党でかつ自民党が多数野党」であったなら、あの件は「政治利用である」とされたでしょう。このように何が「政治利用であるか」については、時の国会の状況に左右される可能性があります。憲法には政治利用についての項目はありますが、それは主に政治利用できる権力者、政党、または軍などの権力団体を想定したものです。山本氏のような一介の権力をもたない政治家の行動については特に想定はしていません。想定されていなければ、時の権力者が自由に基準を左右できます。ある事件を、「事後に基準を作って裁く」ことは、近代政治が行ってはいけない行為です。
2、不敬罪は存在しないこと。マナー規範は各人によって違い「あいまい」であること。
不敬罪という罪は日本の法にはもはやありません。したがって適用できるわけもありません。
マナー違反という意見もありますが、マナー規範は各人によって違い、つまりは「あいまい」です。
そんな「あいまい」なもので政治家を辞職させるという重大事が決められてよいわけがありません。
実際「何がいけないの。労働者の命がかかったことなのに」という意見も少なくありません。
確かなのは「辞職するほどのマナー違反であると、国民の全てが認定しているような行為ではない」、ということです。
3、山本氏には天皇を政治利用できる権力がないこと。
国会議員の全てが政治利用できる権力を有しているのではありません。安倍総理には輔弼責任という天皇の行動を左右できる権力があります。与党有力者にもあると言ってよいでしょう。安倍総理は色々と異議のあった、また沖縄県民の多くが反対した「主権回復の日」に天皇を出席させました。あれは限りなく「天皇の政治利用に近い行為」でしょう。しかし山本氏にはそんな力はありません。もし山本氏が懲罰されるなら、同時に安倍総理の行為も「審議」されなければ「著しく不公平」ということになります。
4、権力はなくとも「売名に利用した」という理屈が成り立たないこと。
山本氏は支援者も敵視者も多い人物です。天皇を使って売名しなくとも、国会前の24時間長期座り込み、または抗議の断食といった、かつての政治家が行った行動をとるだけで十分ニュースになるのです。わざわざ天皇を使って売名しなくても彼は敵も味方も多い「有名人」です。
5、むしろ今回の件で天皇への忠義を売名しているのは各政党であるということ。
声高に「天皇へ不敬」を主張することによって、「自分たちは天皇を限りなく尊重する保守政党である」ことを「売名」している野党、与党がいます。これもまた限りなく「天皇の政治利用に近い」行為です。このような自己の利益をはかるために山本氏を必要以上に批判している政党の意見を尊重する必要はありません。また、左派は左派で保守的世論の批判を恐れ、というより保守層の選挙での不支持を恐れ、本音を隠して辞職勧告に同意しようとしているという情報もあります。情けない話です。
7、山本氏の行動が想定外の形で「天皇の政治利用という概念」を国民に広げる機会となったこと。また山本氏や他の議員が同じ行動を繰りかえすことはまずありえないこと。
山本氏の行動は「天皇制が潜在的に大きな政治力を持ち、だから憲法によってその政治力の行使がコントロールされていること」を国民に広く周知する結果を生みました。これは彼の無知(私にだって知らないことは沢山あります。知らないことだらけです。)ゆえの行動がもたらした「想定外の成果」でありましょう。またこのように彼が大きく批判されれば、同じような行為を繰り返すことはないでしょう。天皇制と憲法の関係を学ぶ。彼はそれをすればいいわけで、辞職の必要などありません。
8、山本氏を「つぶそうとする大きな力の存在」を多くの国民が知っていること。
これは言葉をつくすまでもありません。彼には大きな権力をもった政治関係者、経済関係者、電力関係者、原子力および原子力の軍事利用を考える人間たち、マスコミの半数以上、総じて「原発推進派」という大きな「敵」がいるのです。
今回の件で、そうした敵の力が働かないと考えるのは無理というものです。マスコミにも「隠れ原発推進派」は多くいます。そうしたマスコミに登場する「識者」の意見に左右されるのは愚かなことです。識者のいう「常識」になど、反論はいくらでもできます。彼らの意見など基準になりません。繰り返しになりますが「彼をつぶそうとする大きな力」があることを忘れてはいけません。さらに彼は、今回の件で、「象徴天皇制に不満を持ち、天皇に政治力をもたせ、自らがそれを利用したい勢力」も敵にまわしました。この勢力の力は「あなどりがたい」ものです。また時に暴力行為に出るため、危険でもあります。
9、立憲君主に手紙を渡したから国会議員が辞職した、というニュースを世界がどう受け止めるかという問題
これも言葉を尽くす必要はありません。ただでさえ、今の総理は国粋主義者ではないか、と米国にすら警戒されています。今回の騒ぎを世界はどうみるでしょうか。異常としか思えないはずです。「日本は民主主義国家ではない」「神道原理主義国家なのか」という反応がでるのは容易に想像できることです。立憲君主に手紙を渡したから辞職。外国人の目にどう映るのか。これはとても大切な問題です。
10,一般に人に手紙を渡すという行為は「非礼」ではないこと。
「政治利用」についてはもう書きましたから、ここでは「非礼か否か」だけを書きます。
人に手紙を渡すことは非礼ではありません。相手が天皇ではなく、渡し手が議員でなければ、誰も何の問題にもしません。たとえ相手が天皇であっても、小学4年生の女の子が訪問に来た天皇に手紙を渡しても、問題になることはないでしょう。「女の子が手紙を渡す」、などという場合は、普通は宮内庁の許可を事前にとるか、または宮内庁が事前に「渡すように演出」をするのですが、突然渡したとしても、宮内庁では少し問題になるでしょうが、一般的には問題になりません。それは「手紙を渡すという行為が一般通念からして非礼ではない」からです。宮内庁すら「ふさわしくない」と批判はしているものの、「非礼」とか「政治利用」とかいう用語を使って批判はしていません。
天皇は日本の象徴です。象徴天皇と主権者である国民の関係は、「身分関係」ではありません。「天皇に手紙を渡したから非礼」という考えは、天皇と国民の関係を「身分関係」と考える発想をもとにしているように思えてなりません。仮にそうだとしたら、それは戦後民主主義体制が分かっていない人間の発想ということになるでしょう。
「まとめ
私には、今回の件で天皇への崇拝を強調している政治家、および一部マスコミのほうが、より悪意を持って天皇を利用しているように見えます。そのような状況で、山本氏だけが一方的に辞職を強要されることは著しく不公平です。また彼の主張する「原発労働者の過酷な労働環境」、つまり大事故につながりかねない、国民の生命にかかわるような状態のことが、ほとんど今回の論議の中で論議されていないことも異常です。
以上の理由をもって、山本太郎は辞職をする必要など全くありません。