イラクで戦争が続いている。戦争とは何か。インパール作戦から考えてみたい。
私は戦後教育を受けた。教科では社会科が好きであった。今、高校では「地歴公民科」と言う。なんか長々しい名前だ。
学校の授業の内容(進行)は1945年8月15日をもって終わった。高校の授業は二学期までで、時間がないのである。試験にもあまり出ないと、先生は言っていた。20年も前の話だ。
太平洋戦争については習ったはずであった。しかし「インパール作戦」についての知識はまるでなかった。NHKの番組「ドキュメント太平洋戦争、責任なき戦場」を見て知った。そして角川出版から出された「責任なき戦場」(番組を本にしたもの)を読んでさらに詳しく知った。
知れば知るほど「補給を無視した無能で無責任な作戦行動」「軍部官僚主義の硬直化」が見えてくる。司馬さんの言う「60年前の高級将校は軍人というより官僚である」という言葉の意味も理解できてくる。自国民に対する虐殺といっても過言ではない作戦である。いや過言どころか虐殺そのものである。
私が知らない理由は「山川日本史用語集」1995年版を見てわかった。19ある教科書会社のうち、載せているのは2社だけなのである。用語集の叙述もまことにそっけない。
ビルマからインドへの侵攻作戦。1944年3月開始。インド領インパールに迫ったが、英印軍の反撃で成功せず。7月撤退。
これだけである。僕が知らなかったのは当然であった。
むろん教科書に以下のような叙述を載せろとまでは言わない。
前線から後方へ下がってくる兵隊たちは日増しに多くなった。栄養失調でガリガリに痩せ、血便をたれ流しながら、ボロボロの軍服で歩いてくる。
できれば載せてほしいが、なにしろ「インパール作戦」自体を載せている会社が2社しかないのだ。その2社に「白骨街道」という表現があるかは確かめていない。おそらくないであろう。
この作戦の立案者は15軍の牟田口中将、認可者はビルマ方面軍河辺正三、南方軍寺内寿一元帥、参謀総長杉山元元帥。彼ら指導者たちの責任はほとんど問われなかった。牟田口は予科士官学校の校長になる。河辺は航空総軍司令官の要職に昇進する。寺内は南方軍現職に留まる。杉山は小磯内閣で陸軍大臣となる。
この作戦での将兵の死亡者は少なくとも5万。多くて6万5千。ビルマ戦線での全死亡者19万の3分の1の死者が、この無謀きわまる作戦によって虐殺(戦死というより)された。
牟田口は一応参謀に対し、「腹を切らねばならぬのう」と言ってみたようである。それに対し藤原参謀は言った。「そう相談されましたら、私は幕僚の一人として閣下が腹を切るのを止めねばなりません。腹を切るんだったら、黙って切ってください」
むろん牟田口は戦後まで生き延びた。
現場の指揮官が何度補給を要求しても軍は応じなかった。参謀も派遣しなかった。補給計画など考えてもいなかった。また山脈を越えて補給を行うことは最初から無理であった。何も考えていなかったのである。
補給なしの作戦による栄養失調で兵が死んでいく惨状を前に、現場指揮官である佐藤中将は命令を無視して撤退する。天皇が任じた師団長を処断することもできず、また軍法会議でこの作戦の全貌が明らかになることを恐れ、軍は佐藤を心神喪失者とし、軍法会議にかけなかった。彼はその後ジャワ島に左遷され終戦を迎える。
大本営・総軍(南方軍)・方面軍・第15軍という馬鹿の四乗がインパールの悲劇を招来したのである。と佐藤中将はのちに書いている。その通りであろう。
撤退した佐藤中将は牟田口を斬るつもりで抗議に出向いた。牟田口は逃げた。「おれは牟田口を叩き殺すんだ。牟田口に会わせろ」と佐藤は叫んだ。
最後に何か自分の意見を書こうと思ったが浮かばない
言葉もでない。ただそれだけである。あ、一つだけ加えておこう。こういう自国民を虐殺した軍人たちの作戦(他にも同じような例はある)を最終的に許可したのが東条さんたち、A級戦犯(の中の大将級の軍人)である。その人たちにも(戦死された兵と同じような)礼を尽くしておられるのが小泉総理大臣である。











いまでも日本軍的体質はあちこちで健在なようで、とほほです。どうぞよろしく。
私の記事をこちらへTBしてよろしいでしょうか.インパール作戦のひどさは大体のところは知っているつもりです.上の方のコメントにある,「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」を読んでみたくなりました.というのも,ああいう世界では,「ホントの意味のバカ」が出世するようになると思っているからです.半平太さんのいつかの記事に,「官僚は優秀か云々」があったと思いますが,私は「組織における優秀さとは何か」という題目の記事を書きかけているのです.でもなかなかまとまらなくて,限界を感じています.「日本軍の組織論的研究」が私の限界を破ってくれたらいいのですけど.
ブログも良い方向へ進化させたいものです.
一つは1000兆円をこえようとしている「借金」に対する責任問題です。国民に責任を転嫁しています。
二つはクルクル変わる教育行政の方針に対する責任回避の文部省・文部科学省を見れば明瞭です。その最大の被害者である子どもに対する責任逃れともいえます。子どもの実態は、ある意味で、その告発とも言えます。
第三にはメディアです。小泉劇場を創出しておきながら、相も変わらず二大政党制を扇動しています。これは小泉サン自身が「民主党・小沢サンとは同じだ」と言っていることに象徴されています。昨日はメディアによって人気の出てきた小沢サンに対して青木さんが難癖をつけて批判しみせていましたが、同根であることを、その発言で皮肉にも吐露してしまいました。しかし、メディアは、自民党の当事者たちが、「民主党は、自分たちと同じ」と言っているにもかかわらず、反省もなく、二大政党制、二大政党制、政権交代、政権交代、と報道しているのです。そろそろ国民も目覚めていかなければならないと思います。メディアに責任を取らせるために国民的運動が求められているのではないでしょうか。
第四には、拉致問題にしても同様です。拉致問題を80年代、いや78年の段階で把握していながら、つい最近まで、放置してきた政権政党と外務省・公安警察などは、その責任は曖昧にし、メディアも追及していません。拉致問題の果たしている役割を考えると、その責任は二重の意味で重大です。
最後に「責任なき戦場インパール」は以下のように最後で述べています。
「権力を持ち、その権力を使って多くの人々、すなわち国民を動かしていくのが政治である。その政治が、誤った方向にいった時、権力を持った人間よりも、権力によって動かされた人々に多くの犠牲者が出る。それはいつの時代、どこの国でも歴史の不変の真理である。(略)こうした権力を持ったひと握りの者の声が、やがて組織、ひいては国家全体の意志としてまかり通ってしまうということは、あってはならないことのはずである。しかし、現在の日本では、似たようなことが日常茶飯事に、さまざまな組織で起きている。また行われている。外国からのさまざまな声、国際貢献の有り方など、現在の日本は、日本だけでは生きていけない「世界の中の日本」としての難問を山ほど抱えている。そうした問題を解決していく上で、まずやらなければいけないのは、そのような「組織体質」の根本をつきとめ、改善することではないだろうか。」
この本は1993年10月24日付けとなっています。あれから12年以上も経っているのです。