日本福音ルーテル知多教会説教録

日本福音ルーテル知多教会で行われたこれまでの説教などを掲載します。

『 ルターに明かされた神の義 』(2016年8月28日・礼拝説教より抜粋)

2016-09-12 19:01:09 | 説教
 さて、では、イエス・キリストを自分に与えられた≪恵みの贈り物≫として受け止めること、認識することとは、具体的にはどのようなことを意味しているのでしょうか?それを知ることこそ一番大事なことです。これについて、ルターは次のように言っています。
 「イエス・キリストを自分に与えられた≪恵みの贈り物≫として認識する、≪恵みの贈り物≫として受け止めるということは、つまり、こういうことである。キリストが、人々を教えたり、病気を癒したり、人々を慰めたり、励ましたりする、或いは、キリストが、人々によって苦しめられたりするのを、あなたが読んだり聞いたりする時、こう思いなさい。キリストご自身が、そのような行いと苦しみとをもってあなた自身のものとされていることを疑わず、信じるのだ。あなた自身がそのような行いと苦しみを味わったかのように思いなさい。いやそれ以上に、あなた自身がキリストご自身であるかのように、その事に信頼を置いてよい、ということなのである。」

 私は、ルターのこの文章を読んだ時に、衝撃を受けました。そこには、何という恵みが証しされていることでしょうか!ルターは言います。「あなた自身がキリストご自身であるかのように、キリストがあなたのものとされていることを信じなさい。キリストは、≪恵みの贈り物≫として、あなたに与えられているのだ。だから、キリストの善い行いは全て、あなた自身のものとされているのだ。だから、あなたは神様の御前で、キリストの義をあなた自身のものとして見なして頂けるのだ。もうあなたは、神の裁きを一切、心配する必要はない、恐れる必要はないのだ。なぜなら、キリストの一切の行いによって永遠に確立された≪神の義≫は、信仰によってあなたに与えられ、あなた自身のものとされているからだ!」
 ルターの言っていた、≪信仰義認≫の教えは、このように理解されるべきもの、なのであります。≪信仰義認≫とは、単に、あなたの罪が赦される、ということではないのです。≪信仰義認≫とは、イエス・キリストの義が、あなた自身のものとされている、ということなのです。つまり、イエス・キリストの一切の善い行いが、あなた自身のものとされている、ということ。だから、神様の裁きの座に着いた時、神様があなたを見て、こう言われるでしょう。「よし、あなたはキリストを信じている。だから、あなたはキリストのように生きた者と見なす!天国に入られよ!」と宣言されるということなのです!これが、イエス・キリストが≪恵みの贈り物≫としてあなたに与えられている、ということの意味なのです!
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