旧ユーゴスラヴィアの本

旧ユーゴ地域についての本と、ときどき映画。
ミリャナ・カラノヴィッチのささやかなファンBlog。

「バルカンの心 ユーゴスラビアと私」

2008-11-21 20:35:45 | 
「バルカンの心 ユーゴスラビアと私」 田中一生 彩流社

バルカンに興味を持つ人なら、この著者のお名前に、きっとどこかで出会ったことがあるはず。
イヴォ・アンドリッチ作品などの翻訳や、語学書などを手掛けられた方です。
船ではるばるベオグラードに渡ってから、昨年亡くなられるまでの半世紀に執筆された旧ユーゴに関するエッセイや論考をおさめた本。軽妙なものも、学問的な硬いものも、一冊に収まっている。
本の解説については、その本を読んでいないと辛いものがあり、私はとばしてしまったのだけれど、旅行記、体験記などは興味深く読んだ。
歴史についての記述もあり、勉強になる。


日本から地理的にも歴史的にも離れた地域を相手に、それで食べていこう(翻訳や研究など)というのは、なかなかに大変な道。勇気も決意も、並々ではないのが、改めて分かる。
それでもその道を進むことにした人の書くものって、面白いものが多い気がする。
それは、日本であまり知られていない土地の魅力をいかに余すことなく伝えられるか、というのにやはり心を砕いているからなんだろう。
そして、対象への愛とともに、日本人というある意味「部外者」、外からの視点も失われていないことが、重要な気がする。
愛情を注ぎ、しかしそれに振り回されず、盲目にならないバランス感覚が必至。
ま、これはもう「大国」だろうが「小国」だろうが変わらないことなんだろうな。


「世界文学全集」

2008-11-15 20:56:09 | 情報
河出書房新社から出ている、話題の池澤夏樹氏個人編集の「世界文学全集」
来年から発刊される第2集には、ダニロ・キシュの新訳の作品もあるそうです。
キシュはセルビア出身のヨーロッパで高い評価を受けている作家。でも、日本では残念なことに他の多くの中・東欧の作家と同じく訳書があまり出されていないんです。
ノーベル賞を受賞したアンドリッチや、最近も続々と出ている、日本でもたくさんの愛好者がいるチャペックは別だけど、それ以外はやはり、英語などの外国語で執筆している作家じゃないと難しいようで……。(前掲の『四月馬鹿』もそうだし、あとフランス語で執筆しているクンデラとか。)
そんな中、キシュをこの全集に入れたということで、他の作品の紹介も見てみたら。――おお、面白そうだ、この全集。


……と、書きつつ未だ私は『若き日の哀しみ』一冊しか読んでいません。(苦笑)
それがつまらなかったのではなく、他の作品が難解だといろんなところに書いてあったので、怖気づいて手を出せずにいるだけです。
でも読もう、勇気を振り絞って。(←大袈裟)

「四月馬鹿」

2008-11-02 12:43:11 | 
「四月馬鹿」
ヨシップ・ノヴァコヴィッチ
白水社
岩本 正恵訳



「昔、ある所に国があった」――「アンダーグラウンド」とは少し違った、ある男と彼の祖国の半世紀の物語。


奇妙な小説である。
だいたい、主人公がヘンだ。一九四八年四月一日、つまりエイプリル・フールに生まれる彼、イヴァンは、父親に「一生エイプリル・フールのジョークが付きまとってはかわいそう」と翌日生まれとして出生登録される。が、彼のその後の人生は、ジョークそのもの……なんだろうか。断言できないところがこの小説の一番の特徴なのかもしれません。
クロアチアで生を受けたチトーを熱狂的に愛する少年は、やがてノヴィ・サドの医学部に入学するが、ひょんなことから逮捕され強制労働収容所に送られてしまう。
そこで出会うのが誰だと思います? かつて彼が崇拝していた大統領と、インディラ・ガンジー!
収容所から出てきて、一九七〇年代のクロアチアの春、そして内戦を経て、彼は亡くなる。が、亡くなった後もまだ厚いページが残っている。どういうこと……?といぶかしく思いつつ読み進めれば、とんでもない結末が待っている。
ジョークと現実の間の奇妙な浮遊感。読んでいて、自分が笑いたいんだか、泣きたいんだかも分からなくなってくる。


うぬぼれが強く、自己中心的なイヴァンの一生の物語は崩壊してしまった祖国がたどってきた道のジョークそのもののようにも思える。しかしやはりこれは、五〇年代に生まれ、二十歳で国を出た作家の、祖国への追悼の物語というのが適当なのだろう。作家自身が言っているように。
風刺や批判精神とないまぜになった、祖国やそこに生きる人々への愛。


若くして国を出たという作者の事情を考慮しても、ユーゴスラヴィアというのは述べる人の立場によってさまざまな姿が浮かび上がってくる国である。同じ連邦内の住民でも、本当に千差万別の意見があったようだ。
解体した後に、歪められた部分、郷愁などを除いても、そのどれも、直ちに標準化しうるもの(「セルビア人は皆~と思っていた」とか)にはならないだろうと思う。というかそれは無理だろう。まとめられるほど単純な話ではない。
同じ国に住んでいても、人によって「国」は違う。生活水準や社会的な立場によって。
どこの国だってそれはそうなのだろうけど、多様な文化を包含していたユーゴという国は、とりわけその傾向が強かったのではという気がしている。かの地の歴史に、あるいは現在に迫ろうとするなら、結論を急がずに、じっくりそのことを踏まえていく必要があるだろう。


本書をある一人のクロアチア人の男の目を通したユーゴの記録として読むと、なかなかに興味深い。そして「クロアチア人は皆~」と思いたい誘惑は強烈な登場人物たちによって見事に吹き飛ばされる。あくまで、浮かび上がるのは民族より個々人の物語。そしておそらく、より複雑ではあるが、これが実相に近かったのだろう。


……と、長々と書いてしまったけれど、もちろん記録にとどまらない、小説としての優れた点も際立つ作品です。

ヴケリッチ・淑子夫妻をめぐる二冊

2008-11-02 12:11:50 | 
「ブランコ・ヴケリッチ 獄中からの手紙」
未知谷
山崎淑子編著 


「ゾルゲ事件 ヴケリッチの妻・淑子 愛は国境を越えて」
同時代社
片島紀男



「獄中からの手紙」はゾルゲ事件に連座して逮捕されたユーゴ人、ブランコ・ヴケリッチとその妻淑子の獄中書簡の一部・二四七通を納めた本。手紙の他、淑子氏によるブランコ・ヴケリッチの紹介、息子である山崎洋氏によるヴケリッチ家の紹介などが収録されている。専門家ではなく、女性、あるいは遺族の視点から見たゾルゲ事件についても語られており、結構興味深い。


本文、つまり手紙を読んでいてまず驚くのはヴケリッチの日本語力。収められた書簡の大半は日本語で書かれたもの(当局側に怪しまれないようにとの考慮から。後には横文字の使用を禁止された。)で、多少の修正は加えられているようだが、ほぼ完璧。獄中で万葉集を愛読している(もちろん日本語で!)などの記述には舌を巻くばかりだ。
そして、本書の大きな魅力というのは、この彼の日本語に発している部分が多いと私は思う。というのも、ヴケリッチの手紙の文章はほぼ口語体で、そこからは家族を心配する気持ちが率直によく伝わってくるのだ。時にユーモアを交えた彼の文章を読んでいると、当時の日本語の話し言葉が今とそう変わらなかったことがよく分かり、なんだか時代の距離をあまり感じさせない。


気丈にふるまおうとする心情の表れだろうか、初めはどちらの手紙からも深刻で切実だという印象はあまり受けない。しかし、読み進むうちに、夫が「スパイ」として連行され、幼児(もちろん洋氏のこと)とともに残された淑子さんの置かれた状況の厳しさが伝わってきて、胸が痛む。子供を抱え、実家や友人宅を転々としながら暮らす彼女は、実の親に子供と共に自決する方法まで手ほどきされるのだ。


死刑求刑を経て、終戦の半年前にヴケリッチは肺炎で網走刑務所で亡くなる。それからの残された家族の歩みについて書かれたのが「愛は国境を越えて」である。ここでは取材を交えて淑子さんの生い立ち、ヴケリッチとの出会い、離別がとりあげられ、「獄中からの手紙」の解説と重複するところもあるが、書簡の交わされた背景、当時の詳しい状況について知るには併読すのが良いだろう。


祖国の崩壊を聞きながら、遠い日本にとどまって仕事を続け、牢獄に入ることになったヴケリッチ。実の親が自決の方法を教えなければならないような社会で、一人息子を守って暮らした淑子。二人の生きざまを通して、ユーゴと日本がたどったそれぞれの近現代史が浮かび上がる。