旧ユーゴスラヴィアの本

旧ユーゴ地域についての本と、ときどき映画。
ミリャナ・カラノヴィッチのささやかなファンBlog。

社会主義と個人――ユーゴとポーランドから

2010-05-04 10:37:08 | 
「社会主義と個人――ユーゴとポーランドから」 
笠原清志 集英社新書


社会主義体制を、生身の人間に密着して、その観察、生の声から描いた一冊。
著者は七十年代、ユーゴスラヴィアに留学していて、ユーゴについてはその時の人間観察が中心となっている。「上司が旧ソ連派だったため拷問にあった下宿の主人、劇的な体制の変化により不可解な死をとげた元外交官」を間近で見ていた著者。まさに、「歴史の表面には出てこない人々の素顔が浮かび上がってくる」のです。
ポーランドについては、主に八十年代後半に著者が行った要人への聞き取り調査をもとに書かれている。どちらか一方に偏ることなく、ある一定の距離を保ちながら行った調査。時折挟まれる著者の意見は率直で、かつ真摯。当時のポーランドの政治情勢について疎い自分にとっては、なかなか難しい個所もあったが、それも含めて読み応えがあった。

「ハプスブルク一千年」

2008-12-12 17:06:41 | 
「ハプスブルク一千年」 
中丸明 新潮文庫


本書はタイトル通り、ハプスブルク家の歴史の本。もちろんそれを理解するにあたって不可欠なイスラム史の歴史などもちゃんと触れられている。
歴史書、なんだけれども個性的な本。
もちろん新潮文庫でごく自然に並んでいるので、外装からは(まあ表紙絵に片鱗が垣間見えるが)想像できないのだけど。
で、たいへん奇妙な本。
……ああこの一年に読んだ本の中で一番強烈だったよ……。


どこがどう個性的で奇妙かというと、まず登場人物が名古屋弁でみゃあみゃあ言っている。王も王妃も王子もみんな雅にみゃあみゃあしてます。
そして、汲めども尽きないおっそろしくインパクトのある下ネタ。
いきなりサラエボ事件から始まる、テンション高めな文章に、初めはびっくり、でもだんだん慣れてくる。時折やりすぎじゃないかと思ったりもしつつ。
斎藤美奈子さんが書評で書いているように「講談気分」で「聞く」本です、これは。つべこべ言わずに乗ってしまって楽しむのが正解。きっと。


個性豊かな登場人物(もちろんみんな実在の人たちです)を笑い飛ばしたり、愚痴をこぼしたりしつつ、時折ナイーブな感想をぽつり。どうも一筋縄ではいかない本だ。
歴史を「飽きさせない」ことは至難の業。苦痛なく読み終えられた歴史の本って、私はとても少ない。あなたはどうですか?
学生には学習漫画というものがあるけれど、それを文章にし、なおかつ過激に、挑発的に(思想とかでなくてね。)したようなのが、つまりはこの本なのである。


ハプスブルク家の歴史は長い。
そして西洋史の例にもれず、名前がややこしい。同じ名前でも場所によって名前が変わったり、一世、二世がいたり。というのでなんとなく敬遠しがちな人は、この本を読むのがいい……かもしれない。
(断言できないのは、これを読むことでもっと嫌になる人もきっといる気がするからです。(苦笑))
まあ、何はともあれとりあえず手に取ってもらいたい本であることは間違いなし。
細かい年表もしっかり後ろについている。

「ユーゴ内戦後の女たち その闘いと学び」

2008-12-12 17:06:06 | 
「ユーゴ内戦後の女たち その闘いと学び」
ドラガナ・ポポヴィッチ、ダニサ・マルコヴィッチ、北嶋貴美子
柘植書房新社


改めて眺めてみると、旧ユーゴについての記述で、女性の目を通したものって意外に少ないということに気付く。
内戦中の女性の被害について書かれた文章は多く、また、報道で伝えられてきて、多くの人がそれを知った。しかし、それまでの彼女たちの生活は? そしてその後は? と考えると、「知っている」と答えられる人は少ないだろう。かくいう私だってそうだった。
この本は、大学に社会人入学して学び、セルビアにわたって現地の人々の調査をした日本の主婦がまとめたもの。内戦が終わり、伝えられることの少なくなった、セルビアとそこに生きる女性たちの現状についての本である。
彼女以外に、二人のセルビア人研究者の文章が収められている。全体的に、フェミニズムについて知識のない人でも分かりやすいし、また、現地の歴史に疎い人でも読みやすい。背景の説明が丁寧なのが嬉しい。
戦場にはならなかったけれど、NATOの空爆を受け、多大な被害を受けたセルビアの女性たち。内戦中、そしてその後の復興の中での彼女たちの生活について知るのは、決して無意味なことではないと思う。地理的に距離があろうとも。そこにある様々な問題は、現在の日本の社会が抱える問題ともつながるものが多い気がする。


戦争中、そして爆撃の音が絶えない中で、「学び」が女性たちを支えたというある一つの事実。
「フェミニズムはちょっと……」と敬遠することなかれ。フェミニズムに興味のある人も、ない人も、バルカンに興味のある人も、ない人も、読めばきっと何かを得る本ではないだろうか。
たとえば、バルカンの家父長制。この本を読むと、それが映画や小説にも、かなり重要な影響を及ぼしていることがわかる。やはり背景を知ることはそういうものの理解の上では大きい。なにも専門家にならずとも、一応は知っておきたいものである。


ただ、欲を言えば、筆者も書いていたように対象をもっと広げられればより良かったろうと思う。難しいことだと思うのですが。
続編、期待してます。


「バルカンの心 ユーゴスラビアと私」

2008-11-21 20:35:45 | 
「バルカンの心 ユーゴスラビアと私」 田中一生 彩流社

バルカンに興味を持つ人なら、この著者のお名前に、きっとどこかで出会ったことがあるはず。
イヴォ・アンドリッチ作品などの翻訳や、語学書などを手掛けられた方です。
船ではるばるベオグラードに渡ってから、昨年亡くなられるまでの半世紀に執筆された旧ユーゴに関するエッセイや論考をおさめた本。軽妙なものも、学問的な硬いものも、一冊に収まっている。
本の解説については、その本を読んでいないと辛いものがあり、私はとばしてしまったのだけれど、旅行記、体験記などは興味深く読んだ。
歴史についての記述もあり、勉強になる。


日本から地理的にも歴史的にも離れた地域を相手に、それで食べていこう(翻訳や研究など)というのは、なかなかに大変な道。勇気も決意も、並々ではないのが、改めて分かる。
それでもその道を進むことにした人の書くものって、面白いものが多い気がする。
それは、日本であまり知られていない土地の魅力をいかに余すことなく伝えられるか、というのにやはり心を砕いているからなんだろう。
そして、対象への愛とともに、日本人というある意味「部外者」、外からの視点も失われていないことが、重要な気がする。
愛情を注ぎ、しかしそれに振り回されず、盲目にならないバランス感覚が必至。
ま、これはもう「大国」だろうが「小国」だろうが変わらないことなんだろうな。


「四月馬鹿」

2008-11-02 12:43:11 | 
「四月馬鹿」
ヨシップ・ノヴァコヴィッチ
白水社
岩本 正恵訳



「昔、ある所に国があった」――「アンダーグラウンド」とは少し違った、ある男と彼の祖国の半世紀の物語。


奇妙な小説である。
だいたい、主人公がヘンだ。一九四八年四月一日、つまりエイプリル・フールに生まれる彼、イヴァンは、父親に「一生エイプリル・フールのジョークが付きまとってはかわいそう」と翌日生まれとして出生登録される。が、彼のその後の人生は、ジョークそのもの……なんだろうか。断言できないところがこの小説の一番の特徴なのかもしれません。
クロアチアで生を受けたチトーを熱狂的に愛する少年は、やがてノヴィ・サドの医学部に入学するが、ひょんなことから逮捕され強制労働収容所に送られてしまう。
そこで出会うのが誰だと思います? かつて彼が崇拝していた大統領と、インディラ・ガンジー!
収容所から出てきて、一九七〇年代のクロアチアの春、そして内戦を経て、彼は亡くなる。が、亡くなった後もまだ厚いページが残っている。どういうこと……?といぶかしく思いつつ読み進めれば、とんでもない結末が待っている。
ジョークと現実の間の奇妙な浮遊感。読んでいて、自分が笑いたいんだか、泣きたいんだかも分からなくなってくる。


うぬぼれが強く、自己中心的なイヴァンの一生の物語は崩壊してしまった祖国がたどってきた道のジョークそのもののようにも思える。しかしやはりこれは、五〇年代に生まれ、二十歳で国を出た作家の、祖国への追悼の物語というのが適当なのだろう。作家自身が言っているように。
風刺や批判精神とないまぜになった、祖国やそこに生きる人々への愛。


若くして国を出たという作者の事情を考慮しても、ユーゴスラヴィアというのは述べる人の立場によってさまざまな姿が浮かび上がってくる国である。同じ連邦内の住民でも、本当に千差万別の意見があったようだ。
解体した後に、歪められた部分、郷愁などを除いても、そのどれも、直ちに標準化しうるもの(「セルビア人は皆~と思っていた」とか)にはならないだろうと思う。というかそれは無理だろう。まとめられるほど単純な話ではない。
同じ国に住んでいても、人によって「国」は違う。生活水準や社会的な立場によって。
どこの国だってそれはそうなのだろうけど、多様な文化を包含していたユーゴという国は、とりわけその傾向が強かったのではという気がしている。かの地の歴史に、あるいは現在に迫ろうとするなら、結論を急がずに、じっくりそのことを踏まえていく必要があるだろう。


本書をある一人のクロアチア人の男の目を通したユーゴの記録として読むと、なかなかに興味深い。そして「クロアチア人は皆~」と思いたい誘惑は強烈な登場人物たちによって見事に吹き飛ばされる。あくまで、浮かび上がるのは民族より個々人の物語。そしておそらく、より複雑ではあるが、これが実相に近かったのだろう。


……と、長々と書いてしまったけれど、もちろん記録にとどまらない、小説としての優れた点も際立つ作品です。