清水町千[せんだい]代のぶどう山椒

縄文時代からの贈り物。大切にし、伝承したい。
奥深き山郷から自然豊かなリポートをお送りします。

清水町千[せんだい]代のぶどう山椒

2017-09-30 02:24:33 | 自然とともに
  清水町とはどんなところ 9  
 新宮で知り合った「お万」という女性が同行したとの記述もあるが、
そこのところは定かでない。ただ、維盛さんを語るときに「お万」という
名の女性は捨てきれない。

 先に記した、高野山で僧侶になりやがて熊野灘にて入水は真逆となる。
当時は熊野灘は当時の黄泉の世界であり、ゆえに補陀落渡海に繋がった
もので多くの僧侶は「補陀落」をめざし大海原に漕ぎ出したのであろう。
 (補陀落とは南インドにある観音菩薩の霊場という)

 筆者注:18人のお供を連れた上に少ない食料は瞬く間に尽きる。大海に
でることもままならない小さな舟は当時の事ゆえ粗末なものであった。

 舟底に「ヒ」と言われる栓を拵えておき食料が尽きると、その栓を抜き
舟もろともに入水したと言われる。これが補陀落渡海の実態で、多くは
四国や九州まで行けばよかったという。

 とてもじゃないが「補陀落」まで行けたものでなく、殆どが難破するか
海の藻屑と消えてしまったらしい。いわば捨て身の「行」であった。

 思わぬところで平安時代のインド行き船旅=黄泉の国への話となって
しまったが、平維盛の行動は瀬戸内から大阪難波あたりを経由したのち
紀伊半島の陸地伝いに南下、新宮までたどり着いた後、京都に向かう。

 これが当時の京都に向かうコースであったことは、落ち人と言う立場の
人のたどるべき道筋であったと考えられる。
(瀬戸内から難波へのコースは危険であったため別ルートをとったかも)

その途中に旧・清水町や奈良県野迫川村が登場することとなる。
 野迫川村に行きたいと思っていたが、昨年旅の途中に通過したのみ。
 
 

清水町千[せんだい]代のぶどう山椒

2017-09-29 02:33:04 | 自然とともに
 清水町とはどんなところ 8  
 清水町多くは平家の落ち人の集落と言われますが、果たしてどこまで
真実かはわかりません。(何カ所か変換ミスなどあり訂正し再送信します)

 ここで、平家との関わりについて旧・清水町の皆さんの長年の伝承と
投稿者の知り得た?モノとを合わせて少し触れてみます。

 前にも記しましたが、維盛さんの子孫と言われる方が、いまだに
「小松家」を屋号としていることと、いかにも武家にふさわしい名前を
名乗っていることが学者の興味をそそるようです。

 そのお家の位置する所もいかにもそれらしい地形です。
今にも維盛さんが現われそうな雰囲気を漂わせています。

 聞くところによるとでっかい墓碑が沢山あるそうで(江戸時代までは
墓碑が大きかったようです=権力の象徴?)いつのころ建立したかは確認
していませんが立派だと言われます。

 いろんな文献を読み合わせても、殆どの文献には維盛さんは熊野灘にて
入水と締めくくっています。
(9月11日送信の「清水町はどんなところ 2」に一部記載)

 大芝居をうった補陀落山寺から山伝いに高野山に向かったのは信憑性が
高く、途中の茶店で腹ごしらえに「何かある?」と尋ね、京都の美男子
3人に見とれていた娘たちが「目張り寿司と熟れずしならございます」と
答えたそうである。

 一説には平維盛が、この熟れずしを編み出したとも言われるが、当時の
山仕事師たちの保存食か携帯食であったものと推察する。
因みに何年も前に湯川の方が作った熟れずしをいただいたがおいしかった。
山奥ゆえに塩干もののサバを使った郷土料理であったものだろう。
 
 

清水町千[せんだい]代のぶどう山椒

2017-09-26 07:48:48 | 自然とともに
  清水町とはどんなところ 7  
 今までは、数日間何かの事情でキーボードに向かわなくなれば
読者の反応が少なくなっていました。

 今回も超多忙で3日間徹夜をしましたが、読者は「清水町」の
神秘?に興味をお持ちでしょうか、毎日gooさんのランク付けに
ご協力いただいています。
(有難いことです。写真もない下手なブログに興味を下さって)

 ふと、何が?と考えてみました。
 一つに曜日の問題もありますが、前回の連休後の投稿は20日の
朝ですから、昨日は月曜日。6日目です。

連休も曜日も関係なくお読みいただくとなると、徹夜しようと何
しようとのんびりできません。

 まだある「清水町」の魅力を探し出してでも、お送りしなければと
思います。

 和歌山市あたりの方は「清水町はいい」とおっしゃいます。
「21世紀は癒しの時代」と言いますから、空からロケットが落ちて
くるような物騒な環境の時代にあって、心が休まるのかも知れません。

 でも今日はお許しください。まだ頭が冴えません。少し疲労困憊の
状態です。

 今日は彼岸の結願日です。真言宗の丁寧さで「霊供膳」にままごとの
真似事のように精進料理をお供えして仏様にお供えします。
 (仏様は今日お帰りになるのですから、貧乏してもお接待しなければ
 なりません。)ほかにもなすことが溜まっています。
 
 

清水町千[せんだい]代のぶどう山椒

2017-09-20 08:28:57 | 自然とともに
 清水町とはどんなところ  6    
 「せまいにっぽん そんなに、いそいでどこへゆく」という標語があった。

 狭い日本には全国いたるところに棚田と棚畑がある。
随分と知られた景色も多いが、この段丘に田畑を築いた先人たちに感謝する
とともにその努力と技術力のすごさを感心する。

 旧・清水町にも沢山の棚田・棚畑が存在します。
特に有田川地域は悠久の歴史の中でも比較的新しいのか、山肌をみると
急峻である事は否めない。

 「太古の昔」に始まる「清水町誌」の編纂をされた先人たちの努力に
頭を垂れるが、この地域の一部にやたらと石山があり、そそり立つクリフ
巨岩がありご神体と崇めるところも多い。

 46億年と言われる地球の歴史の中にも新旧があろうし、その誕生の
中にも遅くまで噴火が続き、小さなくすぶりが続いたものかもしれない。

 今一つは、マグマが急に冷えたのかも知れない。
その後の浸食が緩やかであったかもしれないし、硬いいわゆる深成岩が
表面に現われたためにそれが進まなかったのかも知れない。

 それゆえ、急峻な土地として残りそこに耕地を求めたため棚田・棚畑
開墾となったのであろう。

 清水でも有名なのが「あらぎ島」であることは前述したが、枝谷に
入って少し高度を上げると棚田&棚畑が存在します。

 残念なことに、生活のより便利さを求めたため都会への移住と労働力が
減少、それによる就労者の高齢化と相まって、遊休地と耕作放棄地が多く
なってきました。これからの季節ススキの花が楽しめるかな。
    

清水町千[せんだい]代のぶどう山椒

2017-09-13 03:11:40 | 自然とともに
  清水町とはどんなところ  5  
 高野山に近いところに「板尾」という土地があり、長い坂道を上った
ところに「岩坂観音」という立派な観音堂があります。歴史を感じる
ことができます。
仏教徒でなくとも一度は訪ねて見られるのもよいかと思います。

 一度急ぎのドライブの途中ちらりとのぞいた程度ですが、弘法大師の
縁が強いとのことです。

 聞くところによると会式は賑わうそうでモチ投げなどもおこなわれる
とのことでした。

 投稿者が立寄ったのはもう4~5年前のことですが、桜も見頃の
大きさになっている事でしょう。

 山岳ドライブのお好きな方には良い感じです。

 いい加減な情報で申し訳ないので、近々に再訪して詳細をおお届け
したいと思っています。

 道路は舗装されていますが道幅が狭いのとカーブが多く坂道です。
スピードは出さずゆっくり走られることをお奨めします。

 「清水町」の隠れたデートスポットかも知れません。
お奨め季節はやはり春です。

 下れば夕日百選の「あらぎ島」迄約1時間、昇れば高野山まで40分
かと思います。(このデーターは定かでありません。あしからず。)

 最近は、田舎の方も旅人にやさしく綺麗に整備されています。