清水町千[せんだい]代のぶどう山椒

縄文時代からの贈り物。大切にし、伝承したい。
奥深き山郷から自然豊かなリポートをお送りします。

清水町千[せんだい]代のぶどう山椒

2017-09-08 03:50:25 | 自然とともに
 日日を感謝の気持ちで生きるなら  
 もうお亡くなりになった方で、若いころ高野山に勤められた方がいた。

 これといったことがないごく平凡な方であったが、目立たない中にも
感謝の精神で生きておられたようであった。

 よく言葉の中に「感謝」の精神が表れていた。

私達は、この「感謝の心・気持」が薄いように思えてならない。

 日頃この感謝の心を忘れずに生きられるなら、それはもう幸せ以外の
なにものでもないと感じるようになってきた。

 多くには、信人心が根底に無ければそこまで到達できないのかも
知れないが、この場合の信人心とは、神様であれ仏様であれ手を合わす
心が必要なのかもしれない。

 投稿者は、神より仏の方が大切と思っているが、いずれにしても自分が
恥じない生き方をするときに何かの信仰心を抱かなければならないと
感じている。

 幾らか世間知らずで、唯我独尊・自画自賛の向きにあって、信仰心が
薄いなら仏教における経文(梵字であり漢文ではあるが)の意味を悟る
ことが出来ないのではとも思う。

 さて、感謝の気持ちが大きくなり、山椒の話が遠のいてきたが、細々と
栽培しなければならざるを得なくなってきた山椒栽培も、前回の
ブログのような事柄を経験すると、やっぱりもう少し頑張らなくてはと
思う。
 「清水町のぶどう山椒」のためと、食の安心安全のために。
 
 

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