清水町千[せんだい]代のぶどう山椒

縄文時代からの贈り物。大切にし、伝承したい。
奥深き山郷から自然豊かなリポートをお送りします。

清水町千[せんだい]代のぶどう山椒

2017-11-19 22:11:59 | 自然とともに
 清水町とはどんなところ 30  
 全国の有名な寺社が山の上に多いのは、多くは山頂に巨岩が仰立して
いるので、直接的にはその巨岩が人里に落下し被害を蒙るので山を鎮める
ためのモノであろうと思う。

 太古の時代は山が火を噴く(マグマの噴出)ため、恐れおののいたのが
長いこと伝わってきてやはり鎮魂のために創建されたのではないかと思う。

 道の駅「あらぎの里」から進路を左に取ると旧高野街道(高野街道は
旧清水町の至る所で見られる=すべてが高野詣りの道である)の坂道を
上がり、少し行くと「あらぎ島」を眺望できる展望所に出る。

 その位置で背中の方の山の上にたしか「ぞうさん」と呼ばれるところがある。
お不動さんなら「どうさん」だし、和歌山弁の「ざじずぜぞ」と
「だぢづでど」の発音からすると納得のゆかないところもある。

 識者に尋ねると「蔵王権現』だという。
 また山中であるが、金毘羅さんを祀るという。こちらは古い歴史上の訳がある。

 長いコト紀州材の木材を搬出するのに「筏流し」が隆盛を極めていた。
いわゆる水の神様であるため、隆盛を極めた「金比羅さん」にお参りして
分祀することの了解を取り付けあちこちで祀ってきたものと思われる。

 どちらも人口が少なくなってきたにもかかわらず、沢山のモチ投げを行う
事で有名でもある。(すべてが杵で搗くおいしいものだともいう。

 なんでも、果無山脈の「水ケ宝形山」が周囲の景色と相まって素敵な
姿を見せるという。

 隣の小峠地区には観音様が祀られていて、水間観音様より格が上である
という。  

コメントを投稿