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皇位継承問題の議論のための資料として

2006年01月04日 | 政治
 私が、皇位継承における天皇陛下の性別の問題が、然したる問題ではないと考える理由は、古田武彦先生の「九州王朝説」のみではなく、経済人類学者の湯浅赳男先生の次の見解に依拠しているからです。
 ただし、湯浅教授の「七世紀以来」の部分と『日本書紀』に係る認識には同意できませんし、勅撰集の編纂によって、王朝の正統性を保証しているといえるかについては、判断を保留します。

 では、少々長くなりますが、湯浅赳男著『日本近代史の総括  日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析』284~287頁(新評論、2000年7月31日発行)を次のとおり転記します。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9973795849

 「これに対し、日本における民族のエネルギーの源泉はこの種の祭りではなく、四季、すなわち春夏秋冬(春の花、夏の蛍、秋の月、冬の雪)であり、その中のハイライトも新嘗祭、神嘗祭といった収穫祭であった。これらは毎年繰り返されるものである。いつとは定かに記憶されない時から始まり、いく久しく祝われるもので、それは事件の記憶、つまり歴史の特定の時期に起こって、民族があるかぎり自分たちの心をともしてくれるような記憶ではない。

いわば日本の時間はあえかなる光が透き通る回り燈龍のようなもので、絵画的で空間的なのである。無論そこにも事件は起こるし、新しいものもやってくる。しかしそれらは時間を創造するのではなく、むしろマンダラを形成するわけである。もちろん、こういう言い方は日本の精神の特徴を線描でくっきりと浮かび上がらせるためのものである。

例えば、こうした日本の時間の循環性を抑えてこそ、制度史上の特質である皇室の存在も説明できるのである。すなわち、皇室の存在こそ七世紀以来の日本社会の不変的要素となるのである。

 あえて皇室という表現を使ったが、一般的には天皇制という言葉が使われている。この天皇制という言葉そのものは本書の2章でふれたとおり、日本共産党がそれまでの君主制という言葉に代えて「三二テーゼ」(1932年、昭和七年)で使い、第一の打倒の対象としたものである。共産党員のみならず、一般に社会科学者もこの用語を使っているが、それをめぐる論議はブルジョア君主制であるか絶対主義君主制であるとか、あるいは東洋的専制皇帝であるかといった次元のものがほとんどである。

 しかし、こうした次元では日本社会における皇室の役割はもちろん、日本社会そのものを理解することはできないであろう。皇室は政治、経済の問題としてではなく、日本人にとっては無意識の領域に根をもつ世界観、社会観の中の中心的要素なのである。天皇は日本の固有の循環的時間意識の象徴であって、日本人と絵画的時間秩序との媒介者なのである。

この時間の自覚は和歌によって表現されている。天皇の公務は元旦の祭祀に続いて歌会始めから始る。中華帝国の王朝の正統性は「正史」の勅撰で保証されるが、日本の場合では「日本書紀」(720年)から「三代実録」(901年完成)までの六国史のあと、これに継走する勅撰和歌集が905年の「古今集」から室町時代の「新続古今集」まで二十一代集として編集されたことで保証されているのである。

 日本社会の特質と日本人のこれから

 日本の歴史はこの皇室に体現されている時間軸として存在しているのであるが、全体としてそこには変化と競合と多様があることは言うをまたない。いや、むしろ日本社会は東洋的専制主義の単一中心社会ではなく西ヨーロッパ型の多数中心社会なのである。天皇は日本社会の唯一最高の権力保持者ではなく、権力によらずに社会の時間を回すいわば虚の中心なのである。

したがって、政治史的に見ると、天皇の権威と並んで常に権力の実体が存在していたのである。奈良時代には天皇と豪族、平安時代には皇室と摂関家、鎌倉時代から江戸時代までは宮廷と幕府が共存している。経済史的に見れば、律令制による公地公民制はたちまちのうちに荘園制にとって代わられ、やがてその下から土地から土地占有者が抬頭して、封建的土地所有として法認させている(貞永式目)。この封建的土地所有が農兵分離によって領主権と私有権とに分裂して近代的土地所有が成立して近代的土地所有が成立するのである。
 
 政治史的、経済史的に見るとき、日本の歴史は循環的=停滞的であるどころか、むしろ時間は前へとふり返ることなく進行してきた。そしてそれは歴史をいくつもに画期させるものであったが、その原動力は生産力の漸次的な上昇であり、それが制度と権力にインパクトを及ぼしてきたのである。

この点、梅棹忠夫教授はユーラシア大陸を第一地域と第二地域に区分し、第一地域に属する西ヨーロッパと日本は社会生態的に順次に<遷移>してきたのに対し、第二地域に属する大陸の根幹部は外部からの遊牧民を主とする侵略者によって<遷移>を切断されたとしている。このように、日本の歴史の特質は、白村江(はくすきのえ)の敗北(663年)による大陸との政治的関係の切断が、幸いにしてその地政学的位地のおかげで連続性を維持することができ、順次遷移することができたところにある。そしてこの時間の前進を許容した条件こそ皇室に体現される時間軸の安定だったのである。

 これらの事情が変わらざるをえなくなったのは幕末のことである。これまでの国家のあり方を続けたならば欧米諸国の植民地とされる状況に追い込まれる運命にあったのである。明治維新はこの運命を拒否し、独立自尊を守るために積極的に近代世界秩序に参入することを決意する。

そのためには単に開国するだけでは全く不十分で、旧来の東アジア世界秩序を破壊し、さらにロシア帝国の侵略を撃退しなければならなかった。これを成しとげるためには国民のエネルギーを喚起し、それを結集しなければならない。しかもこれを可能とするためには、日本は旧体制を破壊し、新体制を建設しなければならない。いわゆる革命である。

そして流血と断層を最少限に押さえ、これをスムースに実現させたものが「天皇」というメタ秩序であった。多数中心社会ではあれ、皇室に体現されている時間軸が背骨のように存在していたからこそ、日本社会は全体としての秩序を破壊することなしに、体制の転換を成しとげることができたのである。」

 (参考)
 メタ
http://www.ogis-ri.co.jp/otc/hiroba/technical/Squeak4/S4-1.html
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