やがて私も就職の波に飲み込まれた。一昔、そう、一昔はぜんぜん就職をたいしたことだと思ってなかったのに、今はどうしてもそこから逃げ切れなかった。仕事ぐらいは見つかるだろうと当たり前のように考えて、今でもそうなんだけど、お気に入りのやつはさすがに難しい。いや、だいたい好きな仕事は何なんだろう。精神的に好きなのか、それともプライド的に好きなのか。人に比べる時こいつ大手にいるんだなぁ、かっこいいなぁと思われたい、自分の偽りの負けず嫌いを保ちたい見栄っ張りだけなんだ、自分。
時々考えるんだ。みんなちっちゃい時科学者かピアニストになりたいと言ってた。日本だと車掌さんになりたいとも言う。でもセールスマンと企画人になろうという子なんている?なのに今はそういわなきゃ食っていけないんだ。おかしいよ。おかしいんじゃない。やってること全てが自分の意思とは関係がなく、社会の意志で、学校の意志で、周りの人間の目つきで、親の望みである。
苦しくても、じっとしてはいられない。パソコンの前に履歴書をまめに清書して、どっかの人事担当が本気で気に入ってくれるだろうという妄想に、自分の卑怯さと弱さがどんどん浮かび上がってきた。自分の生きる意味は、この現代人の誰一人も逃れられないプロセスの中に薄まってしまって、溺れ死にに至った。単純な幸せへの追求がだめ人間のラベルをつけられてしまい、四六時中スーツを身にまとって奔走するような人間こそ成功者だなんて論理は、私たちはそこで抵抗しながら従ってしまってる。
すると自分を後ろめたく責める。周りの人ほど楽に就職できない自分を責めるか、自分の夢の貫けない自分を責めるかは、わからない。とにかく無力なままネットエントリーを繰り返して、野次馬みたいに「今日私もx社のmanagement traineeをエントリーしたよ」って言い、実際はその仕事は何なのか知らないままでいる。友達によると、いくらきつくてばかばかしい仕事でも応募する人が多くなればすばらしく見えるの。時々自分もそう思う。
本当は、就活は仕事を探すんじゃなくて、自分の力を図るんじゃないか。
ネットエントリーして、一回目の筆記試験のチャンスまでないこともあった。行かせてもらった場合は、今の時点でどうやら二回目からアウトされてるみたい。二三日前の日本企業の面接会では二社エントリーして、一社(ロート製薬)の二回目にも行ったんだがまずかった。もう一社のユニクロは一回目が終わって今は結果プロセス中。自分の情けなさに対して友達は高能率でこの二日だけの面接会で日本のコンサルティング会社からの内定が決まった。しかも他のところでは他の会社にエントリーはしていない。すごいじゃない。喜びたいけど、誰かのために喜ぶ度量は今のところはなくなってるみたい。待つ時間が長ければ長いほど、自信がどんどん消えてしまってく。同じ日本語学部人間として、同じ職場知識のない人間として、各々の器を図る戦役では彼女が優位にいた、彼女自身がそういうつもりはないだろうけど。こういうことをたいしたこととは捉えなくてもいい。ただ焦りという感じがあった。哀れなことは弱いことじゃなく、弱いのに強いという自信があること、いつも強い強いって評判されてて肝心なとこでは萎えることだと、最近になってわかってきた。バカだったなぁ、本当に。
眠れないことが多くなってきた。これからどうするって、どうやって自分の力を生かせるのかって、いまからがんばっても間に合うだろうかって。でも正直実力って私いったい持ってるのか。眠れない資格はあるだろうか。子どもから今まで全部ごまかすような態度で使う猿知恵も使いきってしまい、問いかけを恐れる自分はぼろを出した。脳みそを絞っても何も出てこない。「いくら無用な専攻でも一応有名な大学だ」「人にあるものはあなたにはない、あなたにあるものは人にはない」と友は言ってきたが微妙だった。こうなるんだったら普通に大学に入って比較対象を変えればよかった。
いやいや、コレも言い訳だろう。
やりたいことがやれてなく、当てもなく追求した挙句、何も手に入れないだろう。
時々考えるんだ。みんなちっちゃい時科学者かピアニストになりたいと言ってた。日本だと車掌さんになりたいとも言う。でもセールスマンと企画人になろうという子なんている?なのに今はそういわなきゃ食っていけないんだ。おかしいよ。おかしいんじゃない。やってること全てが自分の意思とは関係がなく、社会の意志で、学校の意志で、周りの人間の目つきで、親の望みである。
苦しくても、じっとしてはいられない。パソコンの前に履歴書をまめに清書して、どっかの人事担当が本気で気に入ってくれるだろうという妄想に、自分の卑怯さと弱さがどんどん浮かび上がってきた。自分の生きる意味は、この現代人の誰一人も逃れられないプロセスの中に薄まってしまって、溺れ死にに至った。単純な幸せへの追求がだめ人間のラベルをつけられてしまい、四六時中スーツを身にまとって奔走するような人間こそ成功者だなんて論理は、私たちはそこで抵抗しながら従ってしまってる。
すると自分を後ろめたく責める。周りの人ほど楽に就職できない自分を責めるか、自分の夢の貫けない自分を責めるかは、わからない。とにかく無力なままネットエントリーを繰り返して、野次馬みたいに「今日私もx社のmanagement traineeをエントリーしたよ」って言い、実際はその仕事は何なのか知らないままでいる。友達によると、いくらきつくてばかばかしい仕事でも応募する人が多くなればすばらしく見えるの。時々自分もそう思う。
本当は、就活は仕事を探すんじゃなくて、自分の力を図るんじゃないか。
ネットエントリーして、一回目の筆記試験のチャンスまでないこともあった。行かせてもらった場合は、今の時点でどうやら二回目からアウトされてるみたい。二三日前の日本企業の面接会では二社エントリーして、一社(ロート製薬)の二回目にも行ったんだがまずかった。もう一社のユニクロは一回目が終わって今は結果プロセス中。自分の情けなさに対して友達は高能率でこの二日だけの面接会で日本のコンサルティング会社からの内定が決まった。しかも他のところでは他の会社にエントリーはしていない。すごいじゃない。喜びたいけど、誰かのために喜ぶ度量は今のところはなくなってるみたい。待つ時間が長ければ長いほど、自信がどんどん消えてしまってく。同じ日本語学部人間として、同じ職場知識のない人間として、各々の器を図る戦役では彼女が優位にいた、彼女自身がそういうつもりはないだろうけど。こういうことをたいしたこととは捉えなくてもいい。ただ焦りという感じがあった。哀れなことは弱いことじゃなく、弱いのに強いという自信があること、いつも強い強いって評判されてて肝心なとこでは萎えることだと、最近になってわかってきた。バカだったなぁ、本当に。
眠れないことが多くなってきた。これからどうするって、どうやって自分の力を生かせるのかって、いまからがんばっても間に合うだろうかって。でも正直実力って私いったい持ってるのか。眠れない資格はあるだろうか。子どもから今まで全部ごまかすような態度で使う猿知恵も使いきってしまい、問いかけを恐れる自分はぼろを出した。脳みそを絞っても何も出てこない。「いくら無用な専攻でも一応有名な大学だ」「人にあるものはあなたにはない、あなたにあるものは人にはない」と友は言ってきたが微妙だった。こうなるんだったら普通に大学に入って比較対象を変えればよかった。
いやいや、コレも言い訳だろう。
やりたいことがやれてなく、当てもなく追求した挙句、何も手に入れないだろう。