和泉の日記。

気が向いたときに、ちょっとだけ。

【SS】人魚

2016-08-24 17:04:47 | 小説。
「あの人は人魚だから、近づいちゃダメよ」

母に、そう言われて育った。
どう見ても普通の人間なのに、「人魚」とはどういうことだろう?
ずっと、そこが気になって仕方なかった。

その人魚は、どうやら恐れられているようだった。
嫌われている、というのとはまた違う。
一種、信仰のようにも見えた。
近づいてはいけない。
しかし、忌み嫌っているわけでもない。
複雑な感情が、街の人々の中にあるようだった。

人魚は古めかしい家に住んでいた。
あばら屋――というほど荒れ果てているわけではない。
古く、しかし小奇麗で。
世捨て人というわけでもないような印象を受ける。
そして本人はまだ若く、20代そこそこの青年に見えた。

おかしいな、と思ったのは、僕が成人してからだった。

長年、「たまに見かけるご近所さん」だった人魚は――
僕が大人になっても、20代の青年のままだった。

時間が止まっているよう。
さながら、不老不死の怪物。

そこで僕は、「人魚」という呼称に納得がいった。
古くから、人魚の肉を食べた者は不老不死になると言われている。
人魚の肉を食べ、不老不死になった者。
人魚そのものではないが、人の道を外し化物となったモノ。
それが、彼ではないのだろうか。

大昔からそこに居る、現実と地続きの絵空事。
畏怖と敬意をもって、信仰を集める現人神。
そんなイメージ。

一体いつから、人魚はここにいるのだろう。
多分、父や母、祖父祖母の時代にはもう人魚だったはずだ。
だが、誰に聞いても口を閉ざすばかりだった。

直接本人に尋ねようとは思えなかった。
その頃には、僕もすっかり人魚が恐ろしくなっていたからだ。
当たり前のように生活し、日常に溶け込む虚構。
そんなもの、恐ろしいに決まっている。

結婚し、子供ができた。
もちろん、「人魚には近づくな」と教えるつもりである。
この子も不思議に思うだろうが、物心つくころには弁えることだろう。
僕が、そうだったように。

人魚は今日も、当たり前のように若々しく生きている。
きっと、これから先も、永遠に――。
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