風に吹かれても!雨にうたれても!

桜田淳子さんの幸せを願うとともに、良き70年代の心を少しでも残したいと思います。

桜田淳子さんと無縁坂~母への思い

2013-02-03 13:44:53 | 日記
1975年の代表曲にグレープの『無縁坂』があった。
さだまさしさんの母への思いのこめられた名曲だと思う。


実は、当時高校1年生で、故郷を離れ、下宿していた僕には思い出深い歌である。
誰でも、母との思い出は格別のものがある。
これは、親子にしか理解し得ないものだろう。

時は流れ、桜田淳子さんが、統一協会の合同結婚式に参加して数年たち、統一協会のイベントに参加し、その中で、『無縁坂』を歌ったことがあるとのことである。
淳子さんは、どのような気持ちで歌ったのだろうか。

母への思いを込めて歌ったことは想像に難くない。
1980年のコンサートで『秋桜』を歌ったとき、かすかに声を詰まらせ、深い感情を込めていたことが、脳裏をよぎる。
やはり、変わらぬ母への同じ思いなのだろう。


1973年新人賞を受賞したとき、やはり、傍らにお母さんがいた。しかし、その表情はなく、前一点を見つめていた。お母さんは、何を思っていたのだろうか。
淳子さんの芸能界入りを一番反対していたのも、お母さんだった。しかし、一番理解していたのもお母さんだった。そのおかあさんが、新人賞にも無表情だったのだ。
喜びを表すわけでもなく、照れる風でもなく、さりとて、娘を案ずる様子でもない。凛として立っているその姿は、母の強さを感じさせるものだった。

光あるところ陰があり、昇った陽は、いつか沈む、そんな達観がある。
母親が子供に望むことは一つ、元気でいて欲しいということだけだ。

無縁坂の歌詞の一節に、
『ため息つけば、それで済む、後だけは見ちゃだめと、笑ってた白い手はとてもやわらかだった』
というのがある。
お母さんは、若干14歳の娘を秋田駅で見送りながら、決意したのだろう。

前を見る淳子さんの姿勢は、間違いなくお母さん譲りのものだ。

この歌詞の続きに、
『運がいいとか 悪いとか 人は時々口にするけど、そういうことって確かにあるとあなたを見ててそう思う』
というのがある。

淳子さんの今は、偶然なのか、宿命なのか、それはわからない。

しかし、ひとつだけ言えることは、どういう境遇でも、活路を見出すということだ。

彼女の非凡な才能を見てきた僕らにとって、これだけは断言できる。

あのお母さんに育てられた娘は、まなじりを決し、転んでも、砂をつかんで立ち上がると思う。

淳子さんの、何があっても後ろを振り返らない、そういう真似のできない強さが好きだ。


追伸 無縁坂の楽曲の歌唱では、無断歌唱ということで、ペナルティがあったとのことである。
関係者の手続きがもれたのか、著作権の認識が甘かったのか、それとも、カラオケ程度のものだったのか、それぞれの思いが交錯する水を差す出来事であったことは、付言しておく。


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