風に吹かれても!雨にうたれても!

桜田淳子さんの幸せを願うとともに、良き70年代の心を少しでも残したいと思います。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

雨~風 そして絆

2016-05-24 18:00:00 | 日記

 『幸響院讃譽秀偉浄楽清居士』(こうきょういんさんよしゅういじょうらくせいこじ)

 

「幸いなる響きの音楽で人々の心を癒やし、優しく包み、多くの人々を幸せな心に導いた」

この戒名には、そういう意味が込められているそうだ。

 

横須賀で生まれ育ち、どぶ板通りを友として、バンドマンとして育った人らしい、と思う。

 

故相澤会長が、亡くなられて3年が過ぎた。

 

残された遺書を一文字で表現すれば、『絆』だったのだろう。

そんな3年間の時の流れだったのではないか。

 

松田聖子さんなど、サンミュージックにゆかりのある人からは、桜田淳子さんの名が多く聞かれ、妹分のその松田聖子さんは紅白歌合戦でトリを歌うほどになった。

 

1971年の小柳ルミコさん、72年の麻丘めぐみさん、73年の桜田淳子さんと3代続く左手のアイドルの系譜が、今のアイドルの源流にあることも確信できた。

 

また、森昌子さん、山口百恵さんとの『花のトリオ』の絆も、ことあるごとにクローズアップさるようになった。

 

そして、なにより、ベッキー騒動の中にあっても、今年に入って、桜田淳子さんが雑誌の掲載を引き受けられたことも、岡田有希子さんの30回目の命日を前に、ともに掲載されたことも、その事実がうれしかった。

 

博品館で語られたように、『恩を返す番』だということなのではないか。

 

相澤会長の死は、しめやかなるものではあるけれども、今後も苦難が予想されるとはいえ、サンミュージックの絆は深まったのではないかと思う。

 

再び、サンミュージックから発信される音楽が、多くの人を幸せに導くことを強く望むのは、私ばかりではないだろう。

 

相さんの明るさが、いつまでもサンミュージックを照らしますように。

 

愛燦燦 美空ひばり

 

 

追伸 動画のUP主様に感謝します。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

向上心とは何か~桜田淳子と独眼竜

2014-05-05 20:54:57 | 日記

昨年、桜田淳子さんの『Thanks40』が発売された。

このDVDを何度も見返して思うことは、その成長の早さだ。

当時は、頻繁にテレビに登場する彼女を追うことにとらわれ見失っていたが、今一気に通してみると、その進化の過程にこそ彼女の最大の魅力があると思う。

 

その裏には止むことの無い向上心と、努力があることは語るまでもない。

 

昨年のサンミュージック相澤会長のお通夜の後の報道番組で次の言葉が紹介された。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

常にトップを目指して挑戦し続けた桜田淳子の精神力は、いくつになっても彼女の内に残るだろう。

そして、消えない静かな火となって、彼女を支え続けているだろうと思うのです。

                               相澤 秀禎

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

4月に入って、BS放送ではあるが、『独眼竜政宗』が放映されている。

『独眼竜政宗』は、1987年のNHK大河ドラマで、当時、見ていたと思うのだが、既に記憶の外にある。

 

おそらくストーリーを追いながら、意識せず見ていたように思う。

 

このドラマで、新人の後藤久美子さんが子役として愛姫役で登場する。

そこには、未だに都市伝説化しているものがある。

愛姫役が桜田淳子さんに交替したことが『衝撃』と捉えられていることだ。

 

後藤久美子さんが登場するのは、第5回と第6回の2回だと思うのだが、先週第5回を途中からだが見ることができた。

子役なのでセリフは少なく、『はい』という二文字だけが印象にある。

セリフだけが全てだとは思わないが、神妙に座っているシーンが目立つ登場場面だった。

第6回では違った魅力が見れるのだろう。

 

正直、不勉強なので、当時の記憶が定かでは無いものの、『ゴクミ』という耳慣れない言葉と、『国民的美少女』ということだけが記憶にある。

 

当時、ビジュアル面が優先していたのであろうか、当時のNHKに2回だけの出演に対する苦情が多く入っていたと言うことである。

 

この批判を前に、持ち前の精神力を発揮した人がいる。

 

次の記事にはこのことが書かれている。

 

脚本家のジェームス三木さんの回顧である。

“批判”を芝居で封じた

 

この大河ドラマのキャスティングは素晴らしい。

今となっては奇跡的な役者が揃っている。

主役級ばかりで、勝新太郎さん、岩下志麻さん、北大路欣也さん、挙げたら枚挙にいとまが無い。

その人達が、主役の渡辺謙さんを支える。

 

しかし、4番を揃えれば野球に勝てるわけではない。

 

そこにチームワークが必要となる所以である。

いろいろな個性を持ったキャラクターが、それぞれの持ち味を生かしてこそドラマが生きる。

 

例えば、スーパースターの勝新太郎さんが目立てばドラマは壊れる。

 

後藤久美子さんという人気の逆風を、いかに順風にかえるか、これこそが、僕が今回このドラマを見ようとする動機である。

 

いささか不純かもしれないが、愛姫の動向を注目している。

 

桜田淳子さんにとって、自らがかつてアイドルとして一世を風靡したことは、遠いことの話であったに違いない。

逆風に立ち向かい、豪華キャストに混じり、このドラマにつくしたのだろう。

 

そして、見事、数字で跳ね返した。

ジェームス三木さんは、桜田淳子さんのその精神力と努力を端的に述べたものだ。

 

 

もう一つ、チームワークで勝利することに大事な要素がある。

一人の執念が、チーム全体に乗り移ることがある。

スポーツでたまに見かけるシーンで、ファーストへの滑り込みがある。

そういうものを見せられると、魂に火がつき、チームが回り始める。

そして思わぬ奇跡を生む。

 

桜田淳子さんは、ほぼ毎日NHKに足を運び、このドラマに精魂込めたと言われている。

私は、この4番が揃った『独眼竜政宗』の役者陣に、何か共通の火が灯されたのではないかと思う。

それが、歴代トップの高視聴率につながる。

 

1980年だと思うが、勝新太郎さんと永六輔さん、それに桜田淳子さんが対談されている動画がある。

永六輔さんが桜田淳子さんに、勝新太郎さんのエピソードを紹介して、こう諭すように言う。

『自分のために何かしてくれる人がいる。その人のために何かしなきゃ。』

そういう人の結びつきが大事で有り、そのためには、一緒に戦うことの尊さを語るものだろう。

 

 

この大河ドラマの成功の裏に、人の結び付きを深く感じさせる。

 

淳子さんが、舞台を好んだ理由は、そうしたところにある。

 

その後、封切りまもなくの『オーロラの下で』をみて、桜田淳子さんの『天性のアイドル』という個性がお芝居の中で溶けこんでいるのに安堵したことがある。

 

大河ドラマの中で、桜田淳子さんがどのように変貌したかを見てみたいし、苦境をバネに変えた精神力と努力に触れてみたい。

今、改めてそう思う。

 

追伸 動画のUP主様に感謝します。

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

アイドルそして時代を動かす力~わたしの彼は左きき

2014-03-13 01:04:20 | 日記
時代の曲がり角だったかもしれない。

1969年代は、アポロ11号の月面着陸ととともに、強いアメリカは完成した。
それとともに、日本人の中にアメリカ至上主義がピークを迎えた。
1970年代は、万国博覧会で国際化し、アメリカ以外の国際化を感じた。

個性というものが、受け入れられる土壌が出来つつあった。

つい最近のことだが、ある動作をしたところ、知り合ったばかりの人に『左利きですか』と聞かれたことがある。
あまりに何気ない所作だったので、『どうしてですか』と聞き返した。

実は、思い当たることがある。
私は、ボールも右手で投げるし、右足で蹴る。

しかし、それは、教えられたことであったり、見まねで覚えたことだったのではないか。

高校生くらいの時だっただろうか、兄に子供が生まれ、母が子守をしていた頃だった。
兄の子が左手で物をつかもうとしたことに対し、私の母が『こっち』といって右手を指したことがある。

また、高校の時、部活で左手も使えるように指導され、練習したことがあるが、わりと速く正確にボールを投げられるようになった。

今にして思えば、僕は左利きだったのではないだろうか。

小学校の時、よくキャッチボールをしたし、野球の代わりにソフトボールをやった。
クラスは45人いたが、左利きは2人しかいなかった。
特に女子の左利きはいなかった。

二人の左利きのうち一人は、投げるのと打つのは左だったが、鉛筆も箸も右手だった。

僕たちは、左利きのことを『ぎっちょ』とか『ぎち』とか呼んでいたが、決して馬鹿にはしていないつもりだった。

オーダーを組むとき彼らは貴重だったが、守りではポジションはファーストかライトと固定されていた。
学校の倉庫には、左利き用のグラブはなく、彼らは右利き用のグラブを器用に使っていた。

6年生の時に、ソフトボールの大会に出ることになった。
先生は、サードに左利きの友達を指名した。

僕は、ショートだったので、サードを守る友人の動きを見て、先生に聞いたことがある。

『サードは右利きの方がボールをファーストに投げやすいのではないですか』と、そのとき先生は、『やってみなけりゃわからないだろう。そう思うのなら、みんなでカバーすればいい。』そんな感じの掛け合いだったと思う。

先生の言うことは絶対だった時代だ。
そのときの先生の表情は覚えていないが、反論はしていないと思う。

僕らのチームは勝ち進むことは出来なかった。

中学校に進学して、他の小学校出身の友達が出来、活動範囲が広がった。

2年生の時、麻丘めぐみさんの『わたしの彼は左きき』が流行した。

麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」


その時代、ラジカセはまだ買ってもらえなかったが、良くラジオを聞いていた。
その番組の中で、なぜかいまだに覚えている話題がある。

腕時計は右利き用に作られているという話題だった。
まだ主流は手巻きだったと思うが、リューズは右手で回すように作られていると言うことだった。
その他にも右手用の商品が多数紹介されていた。

今に思えば、この時、時代は動いていたのかもしれない。
人気絶頂のアイドルが歌うことにより、左利きが市民権を得たのではないかと思う。
毎日のようにテレビで流される影響力は大きいのだろう。

左利きの商品の販売促進の意図が当時の大人にあったかどうかわからないが、それより、左利きがいい意味での個性ととらえられた事の方が大きい。

桜田淳子さんが、カンコー学生服のコマーシャルをするCMがある。
映像の中で、淳子さんが木の枝に向かってジャンプするとき、左手を高く上げる。
バレーボールをやっていて、走りながら左手を上にすると、ジャンプしてバランスを崩すことがある。
もしかしたら、淳子さんも・・・。

東南アジア、インドなどの宗教的色彩を帯びた左手に対する偏見にも似た感覚が、日本にどこまで影響を与えているかわからないが、僕たちの左利きに対する見方は、『わたしの彼は左きき』により一変したことは間違いないと思う。

あの時の小学校の先生の配慮が、今も懐かしい。

追伸 動画のUP主様に感謝します。
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

桜田淳子 揺籃期の安らぎ

2014-02-16 10:49:17 | 日記
添えられる花がある。

土曜8時は、『全員集合』が、お決まりだった。

何気に、初期の頃の、荒井注さんにゴールデンハーフのエバが突っ込んでいる光景が思い出される。

そんな中、アシスタントの交代は、残念だった。

しかしながら、キャンディーズへのバトンタッチは、何と無くだったようだったが、アシスタントとして、爽やかな花を添えていた。

回が進むごとに、どつかれたりされていたが、番組の中での存在感としては、決して出過ぎることはなく、むしろ、控えめだった。

それまでのバックダンサーやら、バックコーラスなどの延長線上のもので、コントなどでもそれに徹していた。

そのせいで、私の頭にアイドルとしてのイメージは薄い。

ゲストを引き立て、テレビ番組を盛り上げることが彼女らの役割といってよかったと思う。

歌手に脇役はいないと思うが、彼女たちの言葉少ない輝きは、数々の歌手に添えられる花になっていたことは、疑うべくもないと思う。

キャンディーズ あなたに夢中


しかし、穏やかな時代は進み、ピンクレディーの登場により、ライバルとして意識させられたことは、彼女たちの本意とするところではなかったと思う。

そうした、あおる大人たちに振り回されたのは、ファンばかりではないだろう。
本人たちこそ、そうだと思う。


普通の女の子に戻りたい。


それは、そうした時代が言わせた、偽りのない本音だった。


同じことは、桜田淳子さん、山口百恵さんにも当てはまる。

未だに、二人の競争心を煽る表現をする雑誌、ネット情報などがあるが、それは、当時の大人の思惑の延長線上のものであると思う。

いつ、このドグマは終わりを迎えるだろうか。


キャンディーズは、アイドルグループとして独自の輝きを増していったが、それより、彼女らが、アイドルのお姉さん的な役割で、バックで支えていた安定感は、多くのアイドルに安らぎを与えていたように思う。

惜しまれつつ華やかに引退したキャンディーズだったが、彼女らの芸能界での活躍は、ひとえに芸能界の宝だったと言っていいのではないだろうか。


日曜昼下がりの番組で、電線音頭を楽しそうに踊っている姿が懐かしい。




追伸 動画のUP主様に感謝します。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

桜田淳子 揺籃期の鼓動~左手のアイドル

2014-02-13 12:30:00 | 日記
偶然の巡り合わせが、大きな流れを作ることがある。


1972年、一つのレコード会社が独立し、それまで演歌中心だったのが、POPSに路線変更が行われる。

それは、一人の少女によるものだったのではないか。

彼女の姉は、演歌歌手としては、決して脚光を浴びなかった。

姉の望みを叶えたい。
その一心が、少女の心を動かした。

麻丘めぐみさんだった。
6月、ビクターからデビューする。

中1の僕は、キャンプ中、テントの中で、仲間が『芽ばえ』のジャケットを見せながら、興奮気味に自慢してたのを思い出す。

もちろん、テレビで知ってはいただろうが、先を越されたとの思いはあった気がする。

『どこが、いいのか』などと、強がって見せるほど、衝撃的だった。

その年の最優秀新人賞を手中にしたことが、そのことを端的に表している。


南沙織さんが、中、高校生の目を見開かせ、天地真理さんが娯楽番組に必要なアイドル像の一つのモデルを示したと思う。


しかし、麻丘めぐみさんは、ファンを公言することを躊躇させるほど、僕らに接近した。

それは、好意を寄せる人を、親友以外漏らさない感情と似ている。

『アイドル』という言葉は、今では多義的かもしれないが、狭義では、『独占欲』を起こさせるということではないかと思う。

そういう意味では、天地真理さんは国民的であったあまり、『独占欲』の対象ではなかった。

むしろ、『天地真理のファンであるべきだ。』という、潮流に流されていていたように思う。

『誰のファンか』という問いに、『天地真理だ』という、数学的一つの答えが用意されていた。

数学的答えに対して、美術的な答えは、麻丘めぐみさんにより初めて与えられたような気がする。

キャンプでの仲間の告白がなければ、僕は麻丘めぐみさんのファンと言えたのだろうか。

TV 麻丘めぐみ 森を駈ける恋人たち(歌の妖精)



麻丘めぐみさんは、マイクを左手に持ち、右手は、振り付けにより表現力を与えられる。

遡れば、僕らの時代は、箸を持つときに、右手に変えられる人が多かったと思う。

より重要な動作、細かな動作は、右手に委ねる傾向がある。

握手は、通常右手で行う。
しかし、ボーイスカウトでは、左手で行い、右手は敬礼などのサインで使われる。
盾と槍の使い方も同じだろう。


それと同じレベルで論じられないにしても、『左手にマイク、右手に表現』は、麻丘めぐみさんにより、スタイルとして、定着したのではないか。

そして、その歌唱スタイルを踏襲したのが、初期の桜田淳子さんではなかったのではないかと思う。

『森を駈ける恋人たち』と、『黄色いリボン』の足のステップの相似形、右手のアクションからマイクコードの静電気を逃がす所作までその思いを馳せる。

麻丘めぐみさんと桜田淳子さんは、共に姉思いであることが知られている。
姉のレコード発売を進めるために自ら歌謡界に身を投じるのも、有名になれば姉を救い出せると信じる思いも、大きく作用したとすれば、運命というものの巡り合わせを感じる。

歌唱において似ている点といえば、共に、元々太い声質だったことだし、そして、鼻空間の共鳴を多く利用していることだろう。


今に思えば、麻丘めぐみさんも述懐されているように、スカウト組に対して、次第にオーデション組の勢いが増し、それがやる気と結びつけられていたことは不本意ではあろうが、それでも、ビクターにおける『アイドル』の系譜を作ったことは特筆すべきだろうし、そのスタイルは昭和アイドルに踏襲されていたことは評価されるべきだと思う。


1973年のレコード大賞最優秀新人賞での、桜田淳子さんの涙を拭く麻丘めぐみさんの仕草が今も懐かしい。


追伸 動画のUP主様に感謝します。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加