ブログ初心者ですが、頑張って、桜田淳子さんと70年代を語って行きたいと思います。宜しくお願いします。
今回は、初回なので、高校1年の思い出など綴ってみたいと思います。
1975年4月27日。
高校1年になって、地獄の部活にもがきながら迎えた最初のOFFのことです。
部活一筋となった私は、最後にじっくり見ておこうと思って見たのが、封切直後の『スプーン一杯の幸せ』でした。
スクリーン一杯の淳子さんを追いかけるのが精一杯でした。
足が痺れてよろめくシーン、走るシーン、ラケットを振り回すシーン、どの淳子さんも鮮やかでした。
話し方、指の動き、一つ一つ瞼に残しておきたかったのです。
翌日から、部活漬けのくたくたの毎日でした。まさに『巨人の星』顔負けの青春に、悔いはありせんでした。
青春時代、紛れもなく、淳子さんは、私の天使だったのです。
最後に、『スプーン一杯の幸せ』を初め、淳子さんの映画の企画は、相澤会長自ら手がけています。75年にかける意気込みがにじみ出ているようです。
今回は、初回なので、高校1年の思い出など綴ってみたいと思います。
1975年4月27日。
高校1年になって、地獄の部活にもがきながら迎えた最初のOFFのことです。
部活一筋となった私は、最後にじっくり見ておこうと思って見たのが、封切直後の『スプーン一杯の幸せ』でした。
スクリーン一杯の淳子さんを追いかけるのが精一杯でした。
足が痺れてよろめくシーン、走るシーン、ラケットを振り回すシーン、どの淳子さんも鮮やかでした。
話し方、指の動き、一つ一つ瞼に残しておきたかったのです。
翌日から、部活漬けのくたくたの毎日でした。まさに『巨人の星』顔負けの青春に、悔いはありせんでした。
青春時代、紛れもなく、淳子さんは、私の天使だったのです。
最後に、『スプーン一杯の幸せ』を初め、淳子さんの映画の企画は、相澤会長自ら手がけています。75年にかける意気込みがにじみ出ているようです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます