ささやかな体験のその2であるが、まとめてみると「当たり前だな」と言う思いがして、書くことに躊躇があり
ましたが、その1の続きとして、終わらせるつもりで書きます。
トルストイの有名な「幸せな家族は、どれも似ているが、不幸せな家族は、それぞれ違っている。」の言葉とは逆に、
合唱団と言う「幸せな家族」は本当に色々あるなあということです。練習前の「体ほぐし」や「発声練習」など、
したことのない、目新しい動きや声の出し方などかなり違う。どう違うのかを伝えたいけれど、でうまくできないので省略。
とにかく違うんです。何より、練習の時の指揮者と本番の指揮者が違う人なのが普通で、「いちばん星」はそれが同じと
言うことは恵まれているらしいことも教えられました。
最後にしまらない文章を閉めるにあたり、残念だなと思ったことをのべます。1つは、個人的達成感は、あったけれど
各自がそれぞれ頑張るだけでパートとして、合唱団全体としてのやった感がないということ。2つは、いつも同じメンバー
がいない、つまり全員そろうことがないのでこれも一体感が持ちにくい。お互いがお互いを刺激し合えない。励ましたり、
注意したりとか。やはり「合同の合唱団」はここらあたりが限界ですかね。
ましたが、その1の続きとして、終わらせるつもりで書きます。
トルストイの有名な「幸せな家族は、どれも似ているが、不幸せな家族は、それぞれ違っている。」の言葉とは逆に、
合唱団と言う「幸せな家族」は本当に色々あるなあということです。練習前の「体ほぐし」や「発声練習」など、
したことのない、目新しい動きや声の出し方などかなり違う。どう違うのかを伝えたいけれど、でうまくできないので省略。
とにかく違うんです。何より、練習の時の指揮者と本番の指揮者が違う人なのが普通で、「いちばん星」はそれが同じと
言うことは恵まれているらしいことも教えられました。
最後にしまらない文章を閉めるにあたり、残念だなと思ったことをのべます。1つは、個人的達成感は、あったけれど
各自がそれぞれ頑張るだけでパートとして、合唱団全体としてのやった感がないということ。2つは、いつも同じメンバー
がいない、つまり全員そろうことがないのでこれも一体感が持ちにくい。お互いがお互いを刺激し合えない。励ましたり、
注意したりとか。やはり「合同の合唱団」はここらあたりが限界ですかね。