合唱団いちばん星 の 今

星を★ あなたの心に 
愛と平和をうたう 合唱団いちばん星 の近況を発していきます。
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ビッグニュース!!「いちばん星」CDデビュー!!

2015-04-28 | 近況
 今年は、戦後70年ですがそれは被爆後70年でもあり,沖縄戦70年でもあります。そのことを忘れないように大事にしていくことが私たちの役割です。

 そこで、飛び込んだこのビッグなニュースは「青い空は」のCD録音に出演するということです。しかもその他に「クミコさん」「デュークエイセス」「ナターシャ・グジーさん」(予)などの著名な方々の中に混じって合唱部門で歌うということです。

 何故、沢山上手な合唱団がある中で「いちばん星」が選ばれたかと言うと、この「青い空は」は作詞が小森香子さん、作曲が大西進さんです。大西進さんは、「いちばん星」創設初期の時代の指揮と指導者でしたが、その縁だけでなく、大西さんが混成4部にした時の初演を担ったのが「いちばん星」と言うわけです。
(小森香子さんは、全国9条の会の事務局長で、夏目漱石研究や近代文学研究のあの小森陽一さんのお母さんです。)
 
 この歌は、副題を「鳥たちへの歌」と言って(知らなかったなあ)、1971年第17回原水爆禁止世界大会で発表された第2の「原爆許すまじ」と言われています。 「原爆許すまじ」は、7月19日(日)に川崎市中原の「第33回平和公園コンサート」の全員合唱として歌いますが、この歌の由来も面白いのですがそれは又に。

 今回は、特別ニュースをお知らせしたので、次回は沖縄の歌の続きです。(下田)


このブログも読まれているのだなあ?!

2015-04-15 | 近況
 今回はうれしいブログです。14日の練習の時に、団長の照井さんと副団長の安並さんが取材を受けるということが
ありました。そのきっかけがこのブログで、来年23回コンサートのテーマの一つに「沖縄」をやるということで、
取材に訪れたようです。 このブログが社会に認識された(大げさか)と言うことは、うれしいですね。

 そこで今回は、「いちばん星」が練習している「沖縄関連の歌」の簡単な解説をしましょう。
 ①「美ら歌」=作詞「いがらしのりこ」さんに、作曲は、あの名曲「風よ故郷は」(福島の原発にあった人々が
「ささやかな人生を壊されたことからの故郷への強い思いと嘆きと怒りを歌い上げた歌」)の「安広真理」さん。
今回は、戦争によって命を奪われた父や母が国を超えて時代を超えて「命を守る」うたごえが美しい空や海を渡って行って
ほしいと言う思いを込めた歌です。初め混声2部だったのですが、「いちばん星」のために、お願いして混声4部にして
いただきました。(それで今覚え直ししています。)

 ②「チビチリガマ」(金城実さんの作詞)で作曲が「小室 等」さん。とてもきれいなメロディなのですが、詞の内容は、
とても重い。沖縄戦の時、米軍上陸があり、指揮を執っていた軍人の命令で「チビチリガマ」にいた141名の村人たちのうち
「83名が集団自決」をしたことを追悼した歌です。6割が18歳以下の子どもと言うことと1キロ離れた隣の「シムクガマ」では、
1000人の人が 隠れていましたが指導者の判断で皆投降し、一人も死ななかったという事実と比べて、「悲惨さ」が際立って胸を打ちます。

 ③「喜瀬武原」(詞・曲 海勢頭 豊さん)。「きせんばる」と聞いたとき何だろうと思いました。漢字を見て、
原っぱと分かりました。曲自体は、強い悲しみや嘆きが感じられましが、詞の成り立ちを知り、びっくりでした。
1974年米軍が県道104号線を封鎖して、生活の場を無視して、155ミリ砲の実弾演習を勝手に行ったことへの抗議し、
銃に脅されながら抗議活動を行い、演習地に潜入して「のろし」を上げたり、何回も阻止したが、結局逮捕され、
裁判になり執行猶予付の有罪判決が下ったまま、1983年終結しています。

  以下続く。

2015総会が17日に開かれ、意見が活発にでました。

2015-04-02 | 近況
 2015年度の総会が3月17日ノクティの第5会議室で開かれました。在籍41名で25名+委任状7名=32名の参加で
成立しました。(途中ざっと数えたら、34名出席していました。)
 今回も「いちばん星」らしく、活発に意見が出され、予定時間をオーバーしてしまい、議題が一つ次回
回しになってしまいました。

 さて何が話されたのかポイントを絞って、まとめるとこんなでした。
 (1)昨年はとても大変な年でした。①振り付けをして「歌いながら踊る」と言うことでの初めての試みを全員がやりぬいた
こと。ソプラノ・テノールの人数減にめげずに団結して頑張りぬいたこと。②一番の問題は、「選曲」で「歌いたくない歌」
があった場合の「取る態度」でした。各自の自由と言うことで、休団・退団も出てしまいましたが、異なる意見があった場合の
「民主主義」が試されました。議論を尽くした上でみんなで決めて事を守っていく、可否の反省はやってみた上で検討すると
言う事が確認されました。

 ここからは、個人的意見ですが、この曲なら歌う、歌わないでやると「団」のまとまりがなくなり、今度これをやるから
集まると言う「その時々の合唱」集団になって、崩壊してしまう危険があります。如何でしょうか。

 (2)22回コンサートは、一言では「大成功」で良いのですが、細かく見ると①構成の問題で第1部が短く、第2部の
「みな歌」が倍ぐらい長くなったこと②第2部の「みな歌」をコーナーからステージにして「格上げ」し、一部でなく、
全員参加にしてはと言う反省と提案が話され、その方向が承認されました。

 ③「大成功」の中味は、チケットを売り切ったこと。アンケートや直接の声で熱い共感や高い評価がたくさん寄せられた
ことからです。
 (3)今年の計画で、一番厳しいのは「財政」です。今までは割と悩むことが少なかったことも(練習場の費用・合宿補助
レッスン費用など)、退団者(病気療養など増えた)ため厳しい「予算」になり、復活折衝?など意見がでました。そのため、
「団員を増やそう」「もっと宣伝したら」など積極的意見が出ました。

そんなこんなであっという間に時間が来て、「20周年史」の議題は、次回の練習日にやることになってしまいました。
(下田)

 ※23回コンサートの企画は、やはり第3部「沖縄をテーマに」と言うことで、前回の候補曲の他に「島唄」「芭蕉布」
「心つないで」などなどがあがっています。