菅直人首相や若手議員は消費税の怖さを知らず参院選に敗北すれば民主党内で壮絶な権力闘争が起きる

2010年06月19日 03時00分17秒 | 政治
◆戦争は、戦争を知らない世代が行う。戦争の悲惨さを身にしみて痛感している世代は、もう二度と戦争をしてはならないと本当に心の底から願い、後世に伝えようとするのが通例である。大東亜戦争でひどい目にあった世代は、そう言っていた。だが、時を経て戦争を知らない新しい若い世代には、戦争を体験した世代がいくら口を酸っぱくして説いても戦争の悲惨さは、本当のところでは理解できない。その果てに戦争が繰り返されることになる。それが人類の悲しい歴史である。
 もちろん戦争と消費税とは、根本的に違う。けれども、何か似ているところがある。政治家は、案外と過去の歴史を学習しないものらしく、消費税の怖さが後世に伝わりにくい。今回、菅直人首相ら民主党の上層部が、消費税アップに踏み出そうと決め、マニフェストに書き込む蛮勇ぶりを示して、天下を騒然とさせた。谷垣自民党は、堂々と「消費税10%」をマニフェストに書いているので、むしろ驚きなから「これは抱きつきだ」とあきれ果て気味である。
◆案の定、マスメディアの大半は、菅首相の「変節」に腰を抜かしているのだが、なかでも日刊ゲンダイは6月19日付けの紙面で、舌鋒鋭く菅首相を一面から三面にかけて厳しく批判した。曰く、「民主党 参院選大変選 焦点は消費税」「だが菅首相は財政再建を掲げ、大マスコミや旧体制勢力の罠にはまってしまっている」「自民党とアップ税率競い合い 菅民主党 消費税選挙に持ち込んだ過信と落とし穴」といった具合である。その三面では、「過去、増税選挙で勝った与党はない」「有権者は生活問題に敏感」と大平正芳首相、宇野宗佑首相、橋本龍太郎首相が大敗した前例を振り返って見せている。
◆しかし、菅首相には消費税をめぐる失敗体験はない。それどころか、大平首相が一般消費税(大型間接税)導入を明言して行い、大敗した昭和54年の第35回総選挙に社会民主連合から出馬した菅首相は、三度目の落選をしたものの、昭和55年の衆参ダブル選挙で消費税反対を唱えて初当選しており、痛い目よりは幸運を味わっている。要するに、消費税にまつわる怖さの体験はないのである。
 いまの民主党の若手政治家たちに至っては、まさしく消費税の怖さに関しては未経験であり、それは戦争を知らない世代が戦争の悲惨さを体験していないのとよく似ている。たとえば、昭和39年5月20日生まれの玄葉光一郎国務相は5月、「国家財政を考える会」を民主党内に設立して150人を集めて代表世話人に就任して、消費税アップを提唱、今日の菅首相の消費税アップ路線を敷いた立役者となっているけれど、大平首相が命を失う目にあうことになる昭和54年ころは、まだ、15歳の少年だった。初当選は、平成5年の総選挙で、26歳だった。消費税の怖さを心底から感じてはいないと見てよい。
◆私は、福田赳夫首相番記者から大平正芳首相番記者を引き続き担当し、昭和54年の第35回総選挙後、大平首相が福田前首相率いる福田派の抵抗にあい、世に言う「40日抗争」に巻き込まれて、政権運営に苦労の末、昭和55年には衆参ダブル選挙を断行したものの、投開票の日を待たずに持病の狭心症が悪化して急死するという怨念渦巻く凄まじい政争劇の渦中で取材してきた。大平首相の頭が日に日に白髪が増えていくのが思い出される。ある日、国会内の赤じゅうたんを歩いていく大平首相の背後についていたとき、白髪の一本が抜けて背広の肩についているのを発見し、私はそっと指でつまんで取り去って差し上げた。その記憶がいまでも鮮明に残っている。この経験から言えば、仮に菅首相が参院選挙に敗北した場合、民主党内で「反小沢一郎派」と消費税アップ反対の「小沢一郎派」とが激突して壮絶な権力闘争が起きないとは限らない。
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