祈・大河さんの
ムーミンママ劇場
今日はムーミンママが 会報いすみ文化第5号(いすみ市文化財保護協会)文化講座「上総万喜城の歴史」 美濃源氏フォーラム 山口 總源氏著に導かれ、万木城址公園へ登ります!
今から450年前に遡ると、いすみ市の政治・文化の中心地は、夷隅地区の万木であったことが覗える。
当時の蔓喜(万木)には上総土岐氏の居城「万喜城」があり、その城下町として栄えていたと考証される。
そして、上総土岐氏の支配地域は偶然にも平成17年に誕生した「いすみ市」の行政区域と慨ね重なり大変興味深いものがある。
ママ 「なるほど~」
会報 いすみ文化第 5号
万木城の歴史については資料に乏しく謎に包まれている部分が多いが、近年、城跡の発掘や埋もれていた資料の発見などで少しずつその解明が進んでいる!
応永19年(1412)土岐氏は、万喜城城主とし、近隣の里見氏、正木氏、武田氏と再三抗戦するが堅固な万喜城は落ちることはなかったという。し・・・しかし土岐氏は北条方にあったため、徳川方による房総攻めの前に落城し・・・ここに178年間上総に根を下ろした土岐氏は終りをむかえた。
なお万喜城には後の大多喜城主・本多忠勝が入ったことが最近発見された(本多忠勝書簡)より判明している。
・・・・従来伝えられてきた万喜城は落城時に焼失したというのは誤伝であることが判明し、廃城は、本多忠勝が大多喜城に移った後の事であろうと考えられる。・・・・
ママ「『本多忠勝書簡』が発見されてほんとによかったわ、今までは本多忠勝に攻められ落城とされていたのですから・・・・歴史的発見ネ」
廃城後土岐氏の多くの重臣達が近郊に帰農し、現在までに連綿とその家系を残していることは、他に類をみず本多忠勝の器の大きさを物語っている
ママ 「ジンとくるわね! さすが、本多忠勝公!
今ある田んぼもその当時からと思うと、胸をうたれるわ。
あれあれ、ムーミンまで嬉しくて登場よ!
ねえムーミン こっち向いて
あなたの先人達が築いた田んぼ、素敵でしょう~」
*万木城跡地には土俵があります!
5月の万木城祭りの時に友綱部屋より力士が来訪し、ちびっ子大相撲大会が行われます。
ムーミンママさん☆
教えてくださってありがとうございました。
この記事で、いろいろが変わりますよ!!
歴史が変われば、人の心も変わる。
感謝、感謝です。
美濃源氏フォーラム 山口 總源様☆
この場をお借りして、研究に感謝申し上げます。
御婆ちゃんも胸をうたれました。
最近はいすみ市になかなか行く機会がありませんけど、皆さんの綺麗な景色で、今日はどこが出てるか毎日見たいと思ってしまいます。
歴史について語る人達が、
身近に多くなったような?
私が、歴史に興味を持ってきたのか?
ブ~~ムなのか?
「大河ドラマ」も視聴率UPだし・・・
興味深々です。