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ダバオ市にあるミンダナオ国際大学(Mindanao Kokusai Daigaku-略してMKD)は、将来の日比友好関係を担う人材の育成を目指して、国際学科、社会福祉学科、教員養成学科などの学科で、毎年多くの学生を迎え入れています。2002年6月開校の新しい大学ですが、例年、2月にマニラで開催される国際交流基金主催の「日本語スピーチコンテスト」でも、各部門で優勝者を輩出しています。
このMKDは、元JPVA副会長の内田達男氏夫人、故内田あや子氏の教育基金によって設立された大学です。ダバオ市から、日本人で唯一「Datu Uchida」という名誉ある称号を与えられている内田達男氏ですが、そのあたたかいお人柄から、ダバオの日本人、日系人、そしてフィリピン人からも「お父さん、オトウサン・・・。」と慕われています。
「二〇〇三年までJPVA副会長を務められ、ここ二十年以上も日系人のサポート等で地域に大きな貢献をされているダバオ市生まれの内田達男氏は、二〇〇二年、ダバオ市の最高栄誉賞と言われる『ダートバーゴ賞』を、日本人として初めて受賞された。そして、二〇〇四年には、独自に「ダート内田・デベロップメント・ファンデーション」(Datu Uchida Development Foundation‐略してDUDF)という基金を設立された。DUDFは、内田氏が長年活動を共にされてきたJPVAとは別に、フィリピンの子供達を対象とした、スポーツや音楽での交流による教育振興を主な目的に設立された団体である。ここでは内田氏のお孫さんで、野球の本場アメリカのベースボール・アカデミーで勉強してきた内田ユウスケ氏が、年に三、四回ダバオを訪れ、一ヶ月から二ヶ月をかけて子供達に野球を教えている。そして、様々な人たちの協力を得て、野球道具を現地の子供達に供給している。DUDFにも、活動に参加、協力される方々が、安全に心地よく過ごしてもらえるようにという内田氏らしい配慮で、小奇麗で安全な宿泊施設も備えられている。・・・
四月(二〇〇六年)、フィリピン日系人会インターナショナル小学校の卒業式の壇上で、内田氏がはなむけの言葉を送った。
『世の中は、いつも平和で安定したものとは限らない。不安の多い中で、人々がみんな臆病になっている時も、勇気を出して自ら一歩を踏み出さなければならないこともある。』
…ダバオ生まれで、戦禍を生き延びられた後、氏が十八歳の時に日本へ送還され、苦労を重ねてこられた内田氏らしい重みのあるスピーチだった。そのスピーチの間、静かに聞き入っている卒業生の表情が印象的だった。そして、日本での生活が落ち着いた時、脳裏に浮かんできたのが故郷ダバオで、当時窮境にあった日系人を何とかして救いたい、という熱い想いだった。」
(拙著『アイ!サラマッポ~フィリピン人介護者と生きて~』下巻より抜粋)
<写真> 内田おとうさん、ダバシューさん(右)、MKD事務局長イネスさん(左から二人目)-2006年8月 ダバオ市の日比友好祭り(RP-Japan Festival)にて。
きのうのニュースで、実地に配属されるインドネシア人介護士の様子が報じられていましたね。
日本に入国したその後どうなったのかな?と思っていましたが、これまで日本語など研修を続けていて、いよいよ実地に配属が行われたということなんですね。
ニュース解説などの話からも、期待されることの一つとして、いまの日本人が忘れかけてきた人間らしい暖かさや思いやりを、身をもってしめしてくれるのではないかと言うのがありましたね。
昨日、ブログにもそのことを含めて、外国人の介護についてチラッと書きました。
昨夜も、インドネシア人介護士の現場研修スタートの話題が「ニュースウォッチ9」のトップで取り上げられてたね。
いろいろと問題が出て来て当たり前…くらいの気持ちで接してほしいものです。