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アルハッラージュのあやまち~「神助受けし明証」より 

2010年07月16日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ


まことに汝らのもとに使徒がやってきた。汝ら自身の間からである。
その使徒にとっては、汝らを悩ませるものが大事な気がかりであり、
その使徒は汝らのことを気遣い、信徒たちに思いやり深く、情け深い。(クルアーン第9タウバ章128節)



アッサラーム アライクム。

皆さんに平安あれ。


さて、アハマド・アッリファーイー師(ヒジュラ歴578年/西暦1181年没、アッラーのお慈悲あれ)の
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』より、
第20項目「アルハッラージュのあやまち」についての拙訳です。

             ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において
我らが主アッラーにこそすべての称讃あれ。
我らが指導者ムハンマドさまとそのご家族、ご教友全員に最高の祝福と平安がありますように。

筆者たるアハマド・アッリファーイー師(アッラーのお慈悲あれ)は、
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』という著作の中で言われました。
願わくは至高のアッラーがかの先生を通して私たちにとって役立つものをお恵みくださいますように。
そして学びの友として共に学ぶ皆さんを通しても、役立つものをお恵みくださいますように。アーミーン。

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خطيئة الحلاج
ينقلون عن الحلاج أنه قال: أنا الحق!
أخطأ بوهمه، لو كان على الحق ما قال: أنا الحق.
يذكرون له شعرا يوهم الوحدة، كل ذلك ومثله باطل.
ما أراه رجلا واصلا أبدا. ما أراه شرب، ما أراه حضر، ما أراه سمع إلا رنة أو طنينا فأخذه الوهم من حال إلى حال.
من ازداد قربا ولم يزدد خوفا فهو ممكور.
إياكم والقول بهذه الأقاويل، إن هي إلا أباطيل.


アルハッラージュのあやまち
アルハッラージュが「われは真理なり」と言ったと伝えられている。《訳注1》
思い込みで間違えたのである。もし本当に正しかったならば、「われは真理なり」とは言わなかったはずだ。
神人合一(ワハダ)を思わせる(アルハッラージュ作の)詩が伝えられているが、その類のものはすべてデタラメである。
(アッラーと)つながりし者(ワースィル)とは思えない。
(真知を)飲み知った者とは思えない。
(アッラーの御前で)臨在を感じた者とは思えない。
(真理を)聞いた者とは思えない。ただ一鳴りまたはノイズを聞いて、ある状態からまた別の状態へと思い込みに心を奪われただけであろう。
近しさが増しながらも、恐れが高まらない者は、欺かれているのである。(マムクール:欺かれし者)
こうした言説にはくれぐれも注意されたい。単なるでっちあげに過ぎないからである。


درج السلف على الحدود بلا تجاوز. بالله عليكم، هل يتجاوز الحد إلا الجاهل؟ هل يدوس عنوة في الجبّ إلا الأعمى؟
ما هذا التطاول؟ وذلك المتطاول ساقط بالجوع، ساقط بالعطش، ساقط بالنوم، ساقط بالوجع، ساقط بالفاقة، ساقط بالهرم، ساقط بالعناء
أين هذا التطاول من صدمة صوت ﴿لِمَنْ الْمُلْكُ الْيَوْمَ ﴾ (غافر 16)

先達は境界線に沿って進み、度を越えることはなかった。
アッラーにかけて諸君に問おう。無知な者のほかに度を越す者があろうか。
目の見えない者のほかに外套を力任せに踏みつけて転ぶ者があろうか。
この横柄さはなんだ?
その横柄な輩は空腹に倒れ、渇きに倒れ、眠気に倒れ、うずきに倒れ、貧困に倒れ、老衰に倒れ、苦しみに倒れるというのに、
『今日この日、王権は誰がためにある!?』(ガーフィル章16節)という声の衝撃を前にこの横柄さがどこにまかり通るというのか。

العبد متى تجاوز حده مع إخوانه يعد في الحشرة ناقصا.
التجاوز علم نقص ينشر على رأس صاحبه، يشهد عليه بالدعوى، يشهد عليه بالغفلة، يشهد عليه بالزهو يشهد عليه بالحجاب، يتحدث القوم بالنعم لكن مع ملاحظة الحدود الشرعية.
الحقوق الإلهية تطلبهم في كل قول وفعل. الولاية ليست بفرعونية ولا بنمرودية. قال فرعون: أنا ربكم الأعلى.

しもべたる者はひとたび同胞とのやりとりの中で度を越してしまえば、復活の日に欠陥のある者とみなされてしまう。
分不相応とは本人が頭に掲げる欠陥のしるしであり、根拠なき我流の言説を説く者であることを証し、不注意な人であること、虚栄の人、覆いをかけられた人であることを証言する印なのである。
人は恩恵を語るが、それとてシャリーアの枠組みに留意してのことである。神の権利がすべての言動において求められるのである。
ウィラーヤ(神に近しき人としての特権)とは、フィルアウンのようになることでもナムルード《訳注2》のようになることでもない。
フィルアウンは「われこそはお前たちの至上の主である」と言った。


وقال قائد الأولياء وسيد الأنبياء صلى الله عليه وسلم "لست بمَلِك"
(رواه ابن ماجه عن أبي مسعود البدري رضي الله عنه قال: أتى النبي صلى الله عليه وسلم رجلٌ فكلّمه، فجعل تُرعَدُ فرائصه فقال له: "هوّن عليك، فأني لست بملك، إنما أنا ابن امرأة تأكل القديد")
نزع ثوب التعالي والإمرة والفوقية. كيف يتجرّأ على ذلك العارفون والله يقول:﴿وَامْتَازُوا الْيَوْمَ أَيُّهَا الْمُجْرِمُونَ﴾ (يس 59)

だがアウリヤーゥ(アッラーに近しき人たち)の指令者にしてアンビヤーゥ(預言者たち)の指導者たるお人はこう言われた。「私は王様ではありません。」
(イブヌ・マージャがアブー・マスウード・アルバドリーさま〔アッラーのご満悦あれ〕によるハディースとして伝える伝承。
曰く、「ある男が預言者さま(アッラーの祝福と平安あれ)のもとにやって来て話し始めたが、身震いしだしたのでかの人がその男に言われた。
『落ち着きなさい。私は王様ではありません。私はあくまでも干し肉を食べていた女性の息子に過ぎません。』」)
かの人は優越の衣、貴族の衣、上位の衣を脱ぎ捨てたのである。
アッラーが『今日は目立つがよい。罪人どもよ。』(ヤースィーン章59節) と仰せられているにもかかわらず、
アーリフーン(真知を知る者たち)がどうしてそれをないがしろにすることがあろうか。

وصف الافتقار إلى الله وصف المؤمنين. قال تعالى: ﴿يَاأَيُّهَا النَّاسُ أَنْتُمْ الْفُقَرَاءُ إِلَى اللَّهِ وَاللَّهُ هُوَ الْغَنِيُّ الْحَمِيدُ﴾ (فاطر 15)
هذا الذي أقوله علم القوم، تعلموا هذا العلم، فإن جذبات الرحمن في هذا الزمان قلّت.
إصرفوا الشكوى إلى الله في كل أمر. العاقل لا يشكو لا إلى ملك ولا إلى سلطان، العاقل كل أعماله لله.

アッラーへの困窮という特徴、それは信徒たちの特徴である。至高なる御方がこう仰せられているとおりだ。
『人々よ、汝らはアッラーを必要とする者だが、アッラーこそは満ち足りた誉れある御方である。』(ファーティル章15節)
私の言うこれこそこの(道を行く)民の学問である。この学問を学ぶのだ。
まことにこの時代における慈悲深き御方を引き付けるものは減ってしまった。
万事において苦情はアッラーに向けるのだ。理性ある者は王様にも将軍にも苦情を訴えはしない。
理性ある者はそのすべての行いがアッラーのためにあるのである。



《訳注1》アルハッラージュとは、アルフサイン・ブン・マンスール・アルハッラージュ、通称アブー・ムギース、あるいはアブー・アブドッラーと呼ばれた異端者のこと。イラン地方のワースィトまたはトゥスタルで育ち、イマーム・アルジュナイドやサハル・アットゥスタリーと交流を持ちながらも正道に定まることはなく、マッカやホラーサーン、インドなど各地を転々とした。インドで魔術を会得し、バグダードにて人心をたぶらかし、聖者の名声を得るようになる。キリスト教信仰に近いこと(神の受肉)を言っているため、オリエンタリストには「無実の罪を着せられた悲劇の聖者」と人気があるが、当時のウラマーゥが一様に認めた不信仰と異端の言説を主張し続けたためにヒジュラ暦309年に処刑された。
アルハッラージュの言説としては、以下のものなどが伝わっているが、いずれもそれが本当なら無知と恥知らずな妄言ばかりである。

-自らが預言者たることを主張し、「われはアッラーなり」と遂には自らがアッラーであることを主張した。息子の嫁にサジダを命じ、「アッラー以外のものにサジダするのですか?」と問いかけた彼女に、「天における神であり、地における神である」と答えたという。
-フルール(受肉)とイッティハード(合一)を説き、自らとアッラーは同一であると説いたという。
-クルアーンの一節を読誦する者の声を聞いたとき、アルハッラージュは「我は同じようなものを作ることができる」と言ったという。
-預言者たちの魂はアルハッラージュの支持者や弟子たちに帰還した。それゆえ彼は支持者に対し、「お前はノーフ、お前はムーサー、お前はムハンマド」と名付けたという。
-処刑される際に支持者に向かって、「騒いではならない。我はお前たちのもとへ30日後に戻るであろう。」と言ったが戻らなかった。


《訳注2》ナムルードとは、「旧約聖書」の登場人物ニムロドのアラビア語名。「旧約聖書」ではノアの子の1人ハムの孫にあたり、地上で最初の勇士とされているが、イスラームの文脈では、ナムルードは預言者イブラーヒームさま(平安あれ)が生まれたころに世界を支配した王とされ、悪魔シャイターンにそそのかされて魔術や偶像崇拝を行っていた。ナムルードにまつわるエピソードは以下のとおり。
占いにより、王に最も近い男からイブラーヒームという者が生まれ、その男が王を破滅に導くとされたため、親族のうち子供が生まれそうな者たちをすべて殺したが、イブラーヒームさまは王の腹心である建築家の子として生まれた。預言者イブラーヒームさま(平安あれ)と神について論争した末、神を殺そうとして天に昇る。その方法は2本の長い棒を付けた球形の乗り物を作り、棒の先に肉塊を、さらに球形の本体に3日間餌を与えていない鷲4羽をつなぐというものだった。空腹の鷲は肉をめがけて飛び上がり、それによって乗り物も宙に浮いたが、途中天使と出会い、最下天にたどり着くまで500年、神のところへ行くにはこの天を7つ越えなければならないと言われて諦め、天に向けて矢を放った。天使が翼で乗り物を打ったためナムルードは海に墜落し、その衝撃のため髪も髭も真っ白になったが、ナムルードは預言者イブラーヒームさま(平安あれ)とその信徒たちに戦いを挑んだ。しかし、神が送ったブヨの大軍のためナムルードの軍隊は壊滅した。さらにブヨの1匹が鼻からナムルードの脳に入ったため、以後は苦しみのため寝ることも食べることもできなくなった。鉄の棒で頭をなぐると、ブヨはしばらく動きを止めたので、家来に定期的に頭を殴らせていたが、あるとき家来が強く打ちすぎたため頭蓋骨が割れて死亡したという。ファラオと並び、傲慢の限りを尽くして自滅した人間の代名詞。



【訳者のつぶやき】

「度を越すな。分をわきまえよ。」

この忠告とは今もそうですが、私はずっと葛藤してきました。

自分が率先してダアワ活動の先陣を仕切る(少なくともその気負いを抱く)のは、分不相応であると知りながらも、
自分の子や孫の代の日本語人ムスリムが胸を張ってダアワ活動に従事できるようになるには、たとえピエロのようであれ今がんばるおじさんが必要だろうと思うからです。
これが独りよがりな思い込みかつ幻想である場合はまさにピエロなわけですが、少なくとも私が上を見て抱く思いから当らずとも遠からじとは言えそうです。

アルハムドゥリッラー、日本にはスライマーン浜中先生が、ヤーセル小杉先生が、ハサン中田先生が、カマール奥田先生が、イブラーヒーム大久保先生らがいる。
でも当然ながらそれぞれのお仕事やご専門、あるいはご方針によってご活動の恩恵を享受できる人は限られてきます。
アッラーの道でのご奉仕を志す人たちは、お互いに補完しあう人たちであって、
至高にして完全無欠なアッラーや選ばれしラスールッラー(アッラーの祝福と平安あれ)ではないのだから、誰かがいればそれで十分ということはないはずです。

だからこそ、「お前も動かなきゃならんのだ!」

そのように自分を叱咤激励しております…。(論理の飛躍は、単細胞ゆえご勘弁ください)

皆さんどうぞ私が少しでも度を越え、分不相応なことをしでかしたときは遠慮なくお叱りください。(すでにしでかしているときは今すぐ!)


皆さんにアッラーのご加護と祝福を。
アブー・ハキーム

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Good Work (Saïd - Saeed)
2010-07-17 06:28:21
アッサラーム アライクム。
皆さんに平安あれ

Mash'Allah Very good work.

Abou Hakim

Thanks you very much
先生の右に出る指導者はいないです (ジャーファル諏佐)
2010-07-20 21:06:10
先生こんばんは。
若い先生が率先して若きムスリム、ムスリマを指導して後継者を育て私は先生の弟子と考えています。
セリム先生が生みの親でセリム先生が離乳食を作って前野先生や浜中先生や佐藤さんや松山さんが介助人で私に離乳食を与えてイスラームを学んでいます。
先生の様にはなれないですが、イマームになることを目指しています。
先生のお庭番か下足番でありますが学んでいきますのでよろしくお願いします。
たとえ一人でも (タウフィーク須見)
2010-07-21 20:14:47
必要としている人がいればピエロではありません。
そして私はその一人です
ご声援ありがとうございます! (Abu Hakeem)
2010-07-22 23:22:45
アッサラーム アライクム。

ジャアファル兄さん、ご声援ありがとうございます。マーシャーアッラー、イマームを目指しておられるとは、頼もしいかぎりです。
各地でマスジドは増えておりますが、日本人ムスリムのイマームはまだまだ全然足りておりません。外国出身のムスリム同胞たちと日本社会との橋渡し役としても、日本人あるいは日本語人イマームには大いに期待しておりますのでがんばってください。

タウフィーク兄さん、短くも力強い励ましのお言葉、沁みわたりました。
アクラマクムッラー!
心よりお礼申し上げます。

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