しばらく、ダムの話でもして行こうかと思います。
まずはダム・・・・ではなく水道の話。
水道、すなわち上水道と言えば、今では日本全国津々浦々まで伸びていますが、この国で最初に作られた上水道は、神田上水と呼ばれる水道でした。
井の頭、今では吉祥寺と呼ぶ方が適しているような、井の頭恩賜公園の池を出発点に、当時の江戸、すなわち神田日本橋まで掘削し、木の樋を埋めて水を流しました。
当時の水道は今の蛇口を捻ると水が出る加圧式水道ではなく、井戸のように釣瓶を落として水を汲み上げる方式でした。
これは後に世界屈指の大都市となる江戸と言う町の生い立ちに関係があるのです。
江戸は徳川家康が作り上げた都市ですが、元々は海に面した湿地でした。この時代、飲み水は井戸や川から引くのが普通で、井戸や川が無ければ多数の人が住む事は出来ませんでした。
江戸時代の中期には、江戸は100万人を超え、120万人もの人が住む屈指の大都市に発展します。その人口を支えたのがこの神田上水でした。
後に神田上水、玉川上水、青山上水、三田上水、亀有上水、千川上水の六上水道が整備され、江戸の人口の喉を潤します。
まずはダム・・・・ではなく水道の話。
水道、すなわち上水道と言えば、今では日本全国津々浦々まで伸びていますが、この国で最初に作られた上水道は、神田上水と呼ばれる水道でした。
井の頭、今では吉祥寺と呼ぶ方が適しているような、井の頭恩賜公園の池を出発点に、当時の江戸、すなわち神田日本橋まで掘削し、木の樋を埋めて水を流しました。
当時の水道は今の蛇口を捻ると水が出る加圧式水道ではなく、井戸のように釣瓶を落として水を汲み上げる方式でした。
これは後に世界屈指の大都市となる江戸と言う町の生い立ちに関係があるのです。
江戸は徳川家康が作り上げた都市ですが、元々は海に面した湿地でした。この時代、飲み水は井戸や川から引くのが普通で、井戸や川が無ければ多数の人が住む事は出来ませんでした。
江戸時代の中期には、江戸は100万人を超え、120万人もの人が住む屈指の大都市に発展します。その人口を支えたのがこの神田上水でした。
後に神田上水、玉川上水、青山上水、三田上水、亀有上水、千川上水の六上水道が整備され、江戸の人口の喉を潤します。