石野真琴のなんでもあり?

多趣味な石野真琴が、普段感じている事、将棋、祭り、甲冑等々、趣味の内容を描きます

何度目かの石和の地へ(その1)

2013-04-23 21:55:17 | 趣味
(写真はここ数年のもの、石和以外の物もあります。)
 今年も山梨県笛吹市で石和の地で行われる「桃の花まつり川中島合戦戦国絵巻」と言う正式名称だったと思うが・・、そのお祭りが4月の21日に行われ、例年の如く参加してきました。
 自分たちの中でもっとも昔から参加しているメンバーは、実に連続参加は12回?か13回目となります。つまり10年以上も連続して参加しているのです。
 思えば・・と言う話をちょっとだけ書きますと、あるHPの掲示板(当時のインターネットコミニケーションツール)に、実際に甲冑を着て参加出来るお祭りがある、とその体験談を掲載したHPの報告があって、参加してみようと集まったのが4人でした。
 その後、紆余曲折を経て2人だけが残り、新規メンバーが残ったり変わったりしながら、10年以上も参加しているのです。

 さて、この石和の祭り(最初の頃は石和町のお祭りだった)は、例年、年が変わった頃から話が始まります。年明け早々から参加の有無を確認し、1月中に申し込みを行う必要があるのです。(申し込みの期日は正式HPを確認して下さい)
 例年の如く「行くよ」程度の簡単な返事をします。このお祭りの申し込みは10人以上で1部隊が普通です。もちろん、個人でも申し込めますが、10人以上で1部隊として申し込めば、武将役と副将役の二枚胴鎧を着るチャンスが与えられます。
 自分は長らく自前鎧で参加していたので、武将役と副将役での参加は一度もありません。今年は自前鎧での参加は禁止されたので、目を引く自前鎧保持者は・・どうするのでしょうか。
 最近は申し込み者が大幅に増えていて、申し込み開始から数日で受け付け終了となるようです。
 参加人数は800人から1000人ぐらいなので、以前なら1ヶ月ぐらいは受け付けていた事を考えると、ここ数年非常に人気が上がっている事を実感します。
 10年前、まだ一般参加の受け入れを始めた頃、ネット応募の一般参加は上杉軍のみ、武田軍は地元参加者のみで構成されていました。当時、お願いして武田軍に参加させて貰ったのが我々で、後になると武田も上杉軍も一般参加者による構成となったのです。
 そして申し込み後、3ヶ月ぐらいが経過した頃、参加武将名が知らされてきます。 

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