いっしぃのUK&Ireland放浪旅行記

私が96年~97年にかけて、イギリスとアイルランドを旅行した時につけていた日記です。
その他、日常の出来事など

2007年大阪国際女子マラソン

2007年01月31日 | 日々の出来事
家の近くに長居公園があるのですが、28日は大阪国際女子マラソンがあったので、妻と見に行きました。
長居公園に着いたときには、もうすでに何人かは走り終わっていました。
と思っていると渋井選手が入ってきました。


家を出るときにテレビをつけると、先頭を走っていたので、何があったのでしょうか。
この時は分かりませんでした。

沿道は人が多かったので、長居スタジアムに入って観戦することにしました。
みなさん最後まで頑張っていました。観客の声援もよかったです。









スタジアムの外にスポンサーの日東電工の企業ブースがあり、そこにはHair for contact PropiaのCMでおなじみのおじさんがいました。



日東電工が関わっていたとは知りませんでした。

そして、いま話題の関西テレビの中継車です。



千葉真子さんを発見!



大阪女子マラソンを生で見るのは今回で2回目です。
これからも毎年見に行こうと思いましたね。

私も今日からジョギング再開しないとと思いました。

外食 中食 内食

2007年01月24日 | 日々の出来事
居酒屋さんにここ数ヶ月行ってません。
最近行った店は串かつ屋、餃子屋にお好み焼きの店と専門店ばかりです。
確かに最近のチェーン店居酒屋の雰囲気はいいし、内装もきれいし、店員の掛け声は元気がよいです。
しかし、居酒屋は料理の単価が高い割には、期待したような内容の料理が提供されないこと、また量が少ないなどで敬遠しています。

と思っていると、1/15日発行の日経流通新聞、「縮む居酒屋市場 質を問う」という記事でワタミ社長 渡辺氏のインタビューが載っていました。

記事によると、居酒屋市場は縮小傾向であるとのことです。それはライフスタイルの変化があるそうです。
以前は、深夜のサラリーマンの1人客が多かったのですが、今はほとんどいないそうです。また、飲酒運転の問題で客足が遠いているのも原因のひとつとのこと。

ワタミでは、売上を改善するために、料理の質の向上をめざすことと、いい人材を確保し長期間育成することで売上を上げる方針を取るそうです。

スローフードがもてはやされる現在では、外食より内食、つまり家で酒のあてを作って食べる家庭が増えていると思います(オレンジページという雑誌でも特集で酒の肴の作り方を特集していました)。
確かに家でビールを飲みながら、つまみにチーチク(チーズ入りちくわ)を食べるのはこの上ないヨロコビです。

そういうことも意識してか、外食産業やコンビニは「内食中心の家庭」から売上を頂こうと「中食」つまり、惣菜店を積極的に出店させています。
惣菜は以前に比べれば確かにうまいと思います。
しかし、値段が高い割には安っぽく見えるのが欠点ではないでしょうか。
結婚して以来、自分で料理を作るようになってから、どうも惣菜に手を出そうとは思いません。
そして日本では伝統的に料理は家で作るものであり、惣菜を買うのは気が引けるという思考もあると思います。

外食産業が考え出した中食ビジネスモデルは主に単身者世帯や共働き核家族世帯が多く住む関東では受け入れられるでしょう。
しかし、大家族世帯や近所に顔見知りがたくさんいるような関西圏では苦戦するかもしれません。
そしてなにより大阪では地元密着の商店街がいいものをお客さんに提供しているので、外食産業が中食に食い込めるのかという疑問もあります。

また、外食ビジネスも料理の質を上げる=客単価を上げるとのことでしょうから、「おいしいものをより安く」が信条の大阪人にとっては受け入れ難いものだと思います。

また居酒屋市場がさらに縮小する原因として、賃金抑制やリストラのおかげで会社と会社員との関係がドライになったこともあると思います。仕事が終わったあとに「みんなで飲みに行こう!」という姿はいずれ消えていくに違いありません。

外食や中食もいいし、どんどんいいものは活用すべきとは思うけれども、やはりだんなや子供も家事に協力しながら、家族総出で買出しをし、料理を作り、家族でのんびりと過ごす。それが将来の新しい日本人家庭のモデルとなればいいですね。












トドラ谷 モロッコ

2007年01月20日 | 情熱のモロッコ・スペイン編
今日からTinerhirを離れ、Todara渓谷に行きました。
ガイドは食堂にいた若者でした。
私のほかにイギリスから来たという20歳くらいの若者5人組も一緒でした。

歩くこと3時間くらいで、Todora渓谷に到着しました。
私はここトドラで1泊することにして、イギリス人やガイドと別れました。

宿にはイタリア人カップルの他はだれもいませんでした。
ラマダン中なので何も食べることができずとても暇でした。

夜はなぜか地元の人たちが集まってきて、宿は大賑わいでした。
ある少年が私をみるなり、空手の真似をして、
「Hello! Jacky Chen」
など言ってきたので、「はいはいそうですか。」と独り言を言って、わたしもまた空手のポーズをし「アチョー。」と叫んだら、その少年は一瞬ひるみました。
モロッコ人は東洋人がみな空手ができると思っているに違いありません。

私の横にずっと座っているニコニコおじさんがいました。
みんな私にこう言いました。
「そのおやじは危ないぞ。」
ひょっとしてこのおじさんはあっちの趣味がある人なのではと思いました。
幸いその夜はなにごともなかったです。

そしてわたしにニックネームができました。
「モハメッド」です。
それから何か呼ばれるごとにモハメッドと言われ続けました。

1.17 阪神淡路大震災から12年

2007年01月17日 | 日々の出来事
今日なにげなくテレビを観ていると、阪神大震災の特集をやってました。
そして、明日がその日と分かるまでしばらくかかりました。
物事が風化し、人々の記憶から消されていくことが、なんと恐ろしいのか改めて思いました。

震災の前日、私は会社の上司らと信州へスキーに行くため、午後10時ごろJR三ノ宮駅に集合したことを覚えています。
駅は混雑していたように思います。仕事を終えて家へ帰る人や、一杯飲みに行く人、などたくさんの乗降客が三ノ宮駅を行き来していたことでしょう。
そしてその数時間後、地震が起きたのです。

信州のスキー宿で地震の情報を知りました。しかし、関西で地震といっても大したことはないと思い、午前中スキーを滑りに行きました。
しかし、なにか引っかかるものを感じ、私を含めて、みんな早々と宿に帰り、テレビをつけました。
そして一瞬にしてその状況を理解し、スキー旅行を切り上げ、一路大阪に向かいました。

新幹線に乗っていると、50歳くらいのサラリーマン風のおやじが「わしら日頃の行いがいいから地震に遭わずにすんだ。」とおやじの同僚に言っていました。
思わずそのおやじを殴ってやろうかと思いました。

会社の大阪支店に立ち寄ると、支店の人が神戸の現場の差し入れにと菓子パンやお菓子を渡されました。あとになって考えるとやはり現地との温度差を感じざろ得ませんでした。

そして地震から3日目にしてようやく神戸に入ることができました。私の家の周辺はひと気もなく、夜であるのに街灯もなく真っ暗でした。建物は壊れ、想像を絶する世界でした。

私はまだルミナリエに行ったことがありません。
私にとってのルミナリエとは震災で亡くなった人や傷ついた人を癒す場所であると思います。もし私がいけば泣いてしまうにちがいありません。

震災後、街中に漂っていた消毒液のにおいや避難所で出された味の薄いスープの味を忘れてはいけないと私は思います。

亡くなった人のご冥福を祈りつつ床につきたいと思います。



鴨葱 その2 Tinehir モロッコ

2007年01月13日 | 情熱のモロッコ・スペイン編
朝、イスラム寺院から流れるコーランの声で目が覚めました。
時計を見ると、まだ5時すぎだったと思います。二度寝して、再び起きたときにはもう9時をまわっていました。

昨日クスクスを食べた食堂で、クロワッサンとオムレツにカフェオレを食べました。
ラマダン(断食)の月であったので、通行人は私を睨みつけたり、文句を言う輩もいましたが、食堂の主人がとりなしてくれました。

その後、昨日会った若者の知り合いの人が食堂に来て、この町を案内してあげようと言ってくれたので、半日付き合うことにしました。
薬屋や飲食店を回って、知り合いの家に行きました。
そこで絨毯やラグを次々と見せられ、しばらくして、ラグの値段交渉をしている自分に気がつきました。

「1枚50ドルでどうや?」
「もう少し負けて。学生割引はないの?」
など交渉の末、1枚40ドルのラグを2枚買うはめになりました。
そのときは、いろいろ親切にしてくれたから買わなくてはと勝手に思ってしまいました。ほんと日本人の悪い癖がでたと後になって思いましたね。
そのラグは今でも家の押入れに大事に保管されてます。

その後、食堂へ行くと、昨日から親切にしてくれる若者グループの取りまとめ役のおじさんと話をしました。
おじさんはここの食堂の主人のお兄さんで、若者を使って、主に外国人旅行者相手に、宿や食事の世話、各種ツアーの手配をしているらしく、日本人はお金をよく使ってくれるいい顧客だと言っていました。

つまり、旅行者と同行して、毎日の世話をすることで、いろんな店からマージンを貰って生計を立てているようです。そして旅行者は後になって、かなりのお金を支払っていることに気づくのです。

おとついQuarzazateで会った若者も私を見て、「いい顧客だ」と思ったに違いありません。
そして、ラグを2枚も買ってくれた私を「お金持ちの日本人」と思ったことでしょう。

明日は、食堂の主人がお勧めの場所、トドラ渓谷に行くことにしました。
今日の晩御飯は野菜の煮込み「タジン」の大盛りを食べました。モロッコ料理は本当に日本人の口に合うと思いました。

写真はモロッコで購入したラグです。畳1畳くらいの大きさです。ラグの色にはいろいろ意味合いがあるらしいのですが、忘れてしましました(スミマセン)。