石田芳恵のツボ

フリーアナウンサーのお仕事日記のはずが、大好きな映画・音楽・本のレビューに。感動とやさしい気持ちをお届けしたいです。

『伊藤宏恵 現代音楽の世界』2011年9月3日開催です

2011年08月30日 23時47分47秒 | アナウンスのおしごと
牛窓亜細亜芸術交流祭
『伊藤宏恵 現代音楽の世界』


メゾソプラノ 伊藤宏恵
ピアノ 橋本佳子
ナビゲーター 石田芳恵

日時 2011.9.3(土) 開場18:00 開演18:30
場所 ゆめトピア長船 大ホール
チケット 2500円
問い合わせ 実行委員会事務局0869‐34‐3137


去年(2010年)に開催予定でしたが
改めて2011年9月3日(土)に開催決定しています。

19世紀末から20世紀の現代クラシックの変遷をたどりながら、
歌曲を中心としたプログラムです。
山田耕筰やアルバン・ベルク、三善晃、別宮貞雄、橋本国彦といった、
実験的な構成で、日本国内でも珍しいプログラムです。
きっと新鮮な感動をみなさんの共有できることと思います。

難しいと思われがちな「現代音楽」を当時の世界情勢や芸術活動など、
背景を交えながらお話する・・・という形で私もお手伝いします。
数年前の『伊藤宏恵 オペラ入門』も満席&大好評でした。
ドイツを中心に世界で活躍する伊藤宏恵さんのファンの方はもちろん、
まだ一度もクラシックコンサートに足を運んだことのない方にも、
楽しんでいただけると思います。

村上龍『限りなく透明に近いブルー』、暴力性の中に爽やかさが見える不思議。

2011年08月18日 13時12分30秒 | 本の感想(小説)
新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社



何度も読みたい小説ではありません。
一度でいいです。
それだけのインパクトが持続している強烈なストーリだから。

米軍基地の街を舞台に、
若者のドラッグとセックスを何の遠慮なく文章にしている。

不思議なのは、エグさのある描写ばかりなのに、
文章に品があって、どこか爽やかさがある、ということ。
救いようのない「暴力性」の中に、どうして気になってしまう「煌めき」が見えてしまう。
これは登場人物が、退廃的であっても「若さ」のある年齢だからか?
本人たちが愚かなボロボロ状態であっても、
客観的には「若者」には「可能性」がある。
無気力や自暴自棄の向こうに、ひとすじの希望が常にある内容。


初めて読んだ村上龍の小説は、『半島を出よ』(北朝鮮コマンドーが九州に上陸する話)だった。
その綿密な取材によるリアルな筆致に圧倒されたけれど、
次に読んだこの『限りなく透明に近いブルー』は、「文学」の凄さを教えてくれた。
衝撃的だった。
社会から内面まで、深く掘り下げる表現は、「文学」でしかできないものがある。
映画や音楽や絵画ではとても行けないところを、あぶり出すことができる。

きっと、この本は、多くの人の人生を変えてきただろうし、
これからも、多くの人に影響を与え続けるだろう。

でも、あまり頻繁に読みたい内容じゃないなあ。けっこう、体力が必要です。


NHK「渡辺謙アメリカを行く”9・11テロ”に立ち向かった日系人」、歴史から学ぶということ。

2011年08月15日 21時47分09秒 | TV・ラジオの感想
渡辺謙アメリカを行く“9・11テロ”に立ち向かった日系人

9・11テロと太平洋戦争という、点と点を結ぶ物語。
「日系人」「人種差別」をキーワードにしたドキュメンタリーを
終戦記念日の今日、観ることができた。感動している。

「9・11後のアラブ系イスラム系の人々に対する差別に、
多くの日系人が心を痛め、支援活動をしている」、
「そのルーツは、太平洋戦争時の日系人の強制収容、人種差別」
なんとなく耳にしていた断片的なニュースを思い出した。
この番組を観るまで思い起こすこともなければ、深く考えることもなかっただろう。

この番組がドキュメンタリーとして驚くほど成功しているのは、
日系2世のノーマン・ミネタ氏をキーパーソンとして登場させたこと。
そして、彼の言葉のひとつひとつが素晴らしいこと、である。

番組では、渡辺謙さんをナビゲーターに、9・11と太平洋戦争という時代の異なる大事件を、
現場から分かりやすく、かつ詳しく追っている。
軸となるのは、ノーマン・ミネタ元運輸長官がかつて頑なに拒否した
「人種プロファイリング」の経緯。
航空関係のトップであった彼は、
アラブ系イスラム系の人々に対する空港での荷物チェックなど、
人種による選別・差別を禁止した。
しかし、その対応には批判が殺到したという。

そこで、である。
世論やマスコミの意見は、「最良の意見」ではない。ましてや「正しい」こととは限らない。
煽動的な「感情」は、時として大きな間違いをおこす。
だからこそ、高い見識と強い信念を持った「政治家」が必要なのだ。
まさに、ノーマン氏はそんな政治家と言える。

戦争もテロも、憎しみが憎しみを生む。
ウサマ・ビン・ラディン容疑者殺害の一報に喜ぶアメリカ人たちの映像を観て、
違和感を覚えずにいられなかった。
この反応こそが新たな憎しみを生むことを、彼らはまだ気がつかないのか?
ヒステリー状態にある時、多くは過ちをおかす。
冷静さを失ったとき、正しい(もしくは最良の)判断はできない。

ノーマン氏は言う。
「かつての日系人が受けたような差別を生んではならない」
「歴史から学ばなければならない」

過酷な歴史、緊迫する現状。
なのに、ラストは力強い希望のある言葉。この構成にやられた。
涙が出た。
ノーマン氏が日系人とアラブ系の若者に真摯に語る。
「未知が恐怖を生む。だから、お互いを知ること」
「先祖に誇りを持て。先祖の文化と歴史に誇りを持て」
言葉に力がある。
行動を起こし続けてきた人だからこその説得力と優しさに、
心が震えた。

テーマ、素材も素晴らしいが、
構成と編集の勝利だ。
作り手側の思うつぼだが、ここは素直に余韻に浸りたい。

NHK総合 19時30分~20時43分

NHKスペシャル『封印された原爆報告書 』(再放送)、政治も外交もなんと過酷なことか。

2011年08月06日 14時52分34秒 | TV・ラジオの感想
NHKスペシャルは時々、凄いスクープをとってくることがある。
番組の作りが落ち着いているので、センセーショナルでもヒステリックでもないのだが、
今回は、本当に驚く内容だった。
静かに、じわじわと怒りが込み上がってくる。

広島・長崎に投下された原爆。
日本の一線の学者や多くの医者が被爆者を調査した。
その中には、外部被曝だけでなく内部被曝といえる症状もあった。
原爆の「効果」を知りたいアメリカ。
調査報告書は全てアメリカへ渡り、そのまま保管されていた。

もし、これらの報告書が国内にあれば、
「原爆の威力」の研究ではなく、「被曝後の医療」の研究が60年蓄積できたのに・・・

それぞれの国の思惑。

くやしい。
そして、現実は過酷だ。

宮城県の南三陸町に行ってきました(その5)

2011年08月03日 01時14分31秒 | アナウンスのおしごと
自分に何ができるのか?を考えた数ヶ月でしたが、
考えるよりも行動した方が
遥かに思考の新陳代謝がいいことも分かりました。

次回はボランティアとして訪れたい。
そして、マスコミに関わっている者として、
自分の守備範囲でまずはできることをしっかりとやっていきたいです。

そうそう、「福興市」。
雨でスタートしましたが、お昼過ぎからは青空がのぞいてきました。
太陽の日差しが降り注ぐ中、
子供たちの笑い声や威勢のいい売り子さんの声。
私も、南三陸産のトマトやなす、タコ料理を購入しました。
(とっても美味しかった!)

しっかりと着実に歩み始めている南三陸町。
せっかくご縁があったので、今後もその歩みに寄り添いたいと思います。


(とりあえずend また思いつくままupします)

宮城県の南三陸町に行ってきました(その4)

2011年08月03日 01時04分03秒 | アナウンスのおしごと

震災についての捉え方は、個人それぞれで、
そして個々の思想のもと、できることをしていけばいいと私は考えます。

一方で、大衆に向けて情報発信するマスコミはどうでしょうか。
新聞も放送も雑誌も、明らかに震災報道は減りました。
限られた紙面や時間の中で、
ニュースのウェートが原発や政治に行くのは当然のことかもしれません。
それが要求されているのも事実です。
むしろ、
被災地での現状は「これから復旧に向かうもの」という、
どこか解決しつつあるような、
ポジティブな捉えられ方をされている気もします。
しかし、
「報道されない=忘れられているのでは?」という寂しさや虚無感も
生む可能性があるとも言えます。

少ししか現場を見ていない私が言うのもおこがましいのですが、
とにかく、
長く長く、「関心」を持つことは大事だなと思ったわけです。
サッカーなでしこフィバーを一過性のものにせず、
彼女たちを応援し続けることが女子サッカーの底上げになるように、
個人が少し「意識」するだけで、大きな力となるのではないでしょうか。
人間はもともと忘れる生き物です。
けれど、人間だからこそ、忘れないこともできる生き物だと思います。


(その5へ)

宮城県の南三陸町に行ってきました(その3)

2011年08月03日 00時57分34秒 | アナウンスのおしごと
そして、実際に海岸線から、決壊した防潮堤、
津波が逆流した川、高台にあるにもかかわらず想定外の津波のため死者が出た福祉施設、
町長が防災庁舎の3階屋上でしがみついて助かった鉄塔などを、
被災地の方の説明を受けながら、すぐそばで見学させて頂きました。

その光景は、TVの映像や写真の想像をはるかに越えたものでした。
2次元と3次元は、これほど違うのでしょうか。
奥行き、潮の匂い、
穏やかな風、カモメの群れ、
潮で焼けた森の木々、
そして瓦礫の山の間から生えている緑。
五感で認識して、私は初めて、この現実の入り口に立てた気がします。

3.11のことを「地獄のようだった」と形容する方も多いですが、
今以上の惨状だったのでしょう。

受けたこともないショックで、一気に身体と心が疲れたのか、
急な眠気が来たくらいでした。

唖然、呆然という時間がかなりたったと思います。

瓦礫の撤去したわけでも、医療知識あるわけでもない私たちに、
被災者の方は、何度も何度も「来てくれてありがとう」と言われ、
そして「帰ってから周りの人に話をしてほしい」とお話されました。

その時。
すぐにボランティアとう行動を起こせなかった自分に引け目を感じていた数ヶ月でしたが、
少しだけ(自己満足かもしれませんが)自分のできることの糸口を見いだせた気もしたのです。

(その4へ)

宮城県の南三陸町に行ってきました(その2)

2011年08月03日 00時51分03秒 | アナウンスのおしごと
実際に被害にあわれた方のお話を 伺う機会もありました。
これは本当に本当に、貴重なことだと思います。
福興市エリアで3名の方、被災地の現場見学で3名の方からのお話。
もともと南三陸町の観光ガイドをされている方々です。
「観光地として案内できない」という現状のもと、
「観光」を語れないなら、
「被災」を語るのが使命ではないかという思いから、
苦しい想いを内包しつつも、
「語り部ガイド」として活動をスタートされました。
(30名ほどの観光ガイドのうち、
 現在「語り部」として活動 されているのは10名ほどとのことです)

そのお話の内容は、壮絶なもの。
簡単に文字に起こすことはできないくらい、
心の奥深いところが揺さぶれました。
知人や同僚を亡くされた方たちが、
気持ちを押さえて言葉を選びながらのお話は、
胸が締め付けられます。
建物の3階に避難して、一本のペットボトルの水を
みんなでキャップで回し飲みした話、
手すりにしがみついて津波を頭からかぶり、勢いで海老反りになった話・・・

たぶん、「重い」と括られてしまう内容なのでしょうが、
語り部の皆さんがおっしゃるのは、
話すことは辛いが、それよりも
「たくさんの人に知ってほしい」
「関心を持ってほしい」
ということでした。

そして、断片的ではありますが、
私自身としては、
「経験(昭和35年のチリ大地震による津波)を基準にしてはいけない」
「ありとあらゆる涙を経験した。くやし涙からうれし涙まで」
「この震災に学びがあるはずだ」という言葉が今も忘れられません。

(その3へ続く)

宮城県の南三陸町に行ってきました(その1)

2011年08月03日 00時43分33秒 | アナウンスのおしごと
仕事のお休みを利用して、プライベートで
南三陸町へ0泊2日で行ってきました。
ずっと被災地へ足を運びたかったのですが、
気持ちのまま半年が立ちそうだったので、とりあえず行動。

3.11の9時間の震災報道では、私はずっとスタジオでした。
情報は、神奈川を中心とした関東エリアに向けてのもので、
当時は「神奈川エリアの人は今、何の情報を必要としているか」という思考でした。
一方で、
「被災者の方が今、何を必要としているのか」という思考も頭の中にずっとあり、
少しでも早く現場に足を運びたかったのです。

そこで、
・被災地の現場を自分の目で見る
・被災者の方とお話する
・被災地にお金を落とす
という目的で、南三陸町の「福興市(「ふっこういち)」へ足を運びました。

足を運んだ以上、感じたことを形にしたいと思い、
つたない文章ですが、ブログに上げていきます。
長文になりそうですので、数回にわけて書いていきますね。

宮城県の南三陸町は、津波により壊滅的な被害を受けた地のひとつです。
防災担当の女性が、命尽きるまでマイクを通して避難を呼びかけていた、という
報道で大きくクローズアップされたこともありました。

下水道の復旧は6月、そして飲み水はまだ復旧していません。
未だ避難所生活の方も多いのですが、
それでも外からの人の流れ、交流や賑わいを作りたいということで、
「福興市」が月に一度開かれています。
この7/31で3度目。
南三陸町の物産や、応援する市町村からの品物のテントがずらりと並んでいます。
3度ともお天気はあいにくの「雨」。
関係者の方の、「神さまがもう少し頑張れと言っているのか・・・」という言葉が
忘れられません。

(その2へ)



総合的に使える料理本「ようこそ、私のキッチンへ」(有本葉子)

2011年08月01日 01時37分29秒 | 本の感想(評論)
「ストレス?あまり感じない方だと思う」
「少なくとも、ここ3年は、ストレスらしきものを感じたことがない」
「とりあえず、何かを作ってると楽しくなるもん」

・・・と口にすると、相当鈍感な人間だと思われるのでしょうが、
イライラがあまり続かない性格です。
(イラッというのはあるかもしれないけれど、すぐ忘れる)

というのも、「自炊」のおかげです。

幼い頃から、
何かを造っている/作っている/創っている時って、
集中していて楽しくてしょうがなかった。
ありがたいことに、仕事でも「つくる」ことに携わっているし、
30代を迎えてからはプライベートタイムも「つくる」時間が増えた気がします。

特に料理。
決して得意ではありません。
冒険心と好奇心で、レシピ通り作らず
トンデモナイことになることもありますが、
でも楽しい。

キッチンに立っている間は、
いろんなことを忘れて、そしてスッキリと浄化できる時間です。

そんなわけで、たくさんのお料理本にお世話になっているのですが、
最近のヒットはこちら。

太くて重くて、辞書か辞典のようなお料理本ですが、
「なるほど!」「ふむふむ!」と納得できる理論も書かれています。
納得するとレシピ通り作るし(笑)、
そして、応用もできる!
ふんわりとした解釈もいいですが、
どちらかというと理論や公式があるとスッキリとするタチなんで、
読み物としても非常におもしろいです。
分かりやすいから、小さなお子さんでも読めると思います。

有本さんの料理本を読んで、つくづく、
料理って総合科目だなあと感じるわけですよ。
数字もあるし、化学変化もあるし、情緒もある。
そして、五感をフルに使う。
私は第六感を使って時々失敗するけど。

決定版253レシピ ようこそ、私のキッチンへ
クリエーター情報なし
集英社