いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
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アフガン問題の軍事的解決はあり得ない 民生中心の援助を/山崎孝

2008-08-30 | ご投稿
【伊藤さん、無言の帰宅へ 同僚と共にドバイ出発】(2008年8月30日付中日新聞)

【ドバイ29日共同】アフガニスタンで拉致、殺害された非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の伊藤和也さん(31)の遺体を納めたひつぎが、同会の中村哲現地代表らに付き添われ、中継地のアラブ首長国連邦のドバイを30日未明(日本時間同日午前)発のエミレーツ航空機で出発した。同機は中部国際空港へ同日夕に到着。遺体はその後、静岡県掛川市の伊藤さんの実家に無言の帰宅をする予定だ。

帰国を前にした思いを聞かれ、中村氏は「感じることばかりです。自分も人の親ですから。子どもを亡くした親の気持ちは…」と言葉をのみ込んだ。

現地に深く根を下ろし、住民を支援してきた伊藤さんまで標的となった今回の事件は、旧政権タリバン勢力と欧米軍主体の国際治安支援部隊(ISAF)の戦闘が、民間人を巻き込んで泥沼化している現実を示した。(以上)

【コメント】朝日新聞29日の報道によれば、ジャララバードで開かれた伊藤和也さんの葬儀に当初数千人の参列希望者がありましたが、会場の敷地の都合で、参列者は地元の長老や州知事、米軍を含む治安関係者ら500から600人となったということです。これをみれば改めて「ペシャワール会」と伊藤和也さんの行なっていた民生支援が地元の人たちに高く評価され、大きな国際貢献をしていたことがわかります。

フランスの組織「平和運動」の声明には「アフガン問題の軍事的解決はあり得ない。アフガン人にとって、この七年で飢え、貧困、汚職、麻薬取引は増大し、状況は悪化している。軍隊を引き揚げ、真の国際的連帯を対置すべきだ」と強調しています。

アフガニスタンで活動する100のNGO(非政府組織)の連絡調整機関、ACBARが8月1日に発表した声明は、民間人犠牲者の激増など、外国人への憎悪の広がりの状況を詳しく挙げたうえで、

「われわれは紛争を軍事的手段によって終わらせることはできないとの強固な信念を強調する」とし、和平構築のためのイニシアチブ、持続可能な平和を達成するための一連の措置を求めています。

伊藤和也さんの「志」は不滅である/山崎孝

2008-08-29 | ご投稿
29日の朝日新聞朝刊に「ペシャワール会」現地代表の中村哲さんが、不条理な暴力で命を奪われた伊藤和也さんの棺に寄り添う姿の写真がありました。小柄なお体ですが情熱を秘められた中村哲さん。厳しいアフガンの大地に真の国際貢献を示された伊藤和也さん、中村哲さんらの思いを拝察し、悲しみがこみ上げてきました。

国際貢献の最大は軍事的貢献である。憲法を変えるため国民に対しての意識工作としてとして捉え、この方向の政策に重点を移す政権与党及び民主党の一部の議員たちです。前原誠司議員は、伊藤和也さんが拉致された問題について、「相当程度の警護のための自衛隊員を出さないと、民生支援を丸腰で出すというのは極めて危険だ」と発言しています。

これに対して暴力は暴力を呼ぶと考えて非武装で、アフガニスタンの民衆の生活を向上させることでテロリストとの戦い方を示した「ペシャワール会」の活動です。この考え方は道理のある考えです。PKOの紛争当事者に対する通常の武装解除は丸腰で行なわれます。

不運にも犠牲者が出てしまいましたが「ペシャワール会」と亡くなられた伊藤和也さん「志」は、アフガニスタンの人たちに深く理解されると確信しています。

私はなぜテロリストたちが見境の無い行動をするのか、そしてこの行為を恥じないのか、その背景にあるものを広く訴えたいと思い、朝日新聞の読者投書欄「声」に投稿しました。幸いにも掲載していただきましのでお読み下さい。

2008年8月29日付朝日新聞「声」欄掲載文【民間巻き込む戦いは改めよ】

アフガニスタンで活動する日本のNGO「ペシャワール会」の伊藤和也さんが武装グループに誘拐された事件は残念な結末となった。御家族に対して深い哀悼の意を表します。

拉致された時、周辺地域の有力者が犯人グループと交渉をしたり、大勢の村人が捜索を手伝ったりしたことから分かるように、「ペシャワール会」の農業支援や医療活動は、評価され信頼されていたと思う。

それなのにアフガニスタンの情勢は有益な活動を行なう団体にさえ危害が加えられるような状況になってきた。背景にはアフガニスタンにおけるテロとの戦いに重大な問題があると思う。

潘基文国連事務総長が2007年7月、北大西洋条約機構主導の国際治安部隊の空爆で民間人の死傷者が相次いでいることについて「敵を利し、われわれの努力を損なうものだ」と述べている。今月22日には80人を超える民間人を死亡させている。

このようなテロとの戦い方を改めない限り、治安の回復は出来ないだろうと思う。

真に残念至極な結果/山崎孝

2008-08-28 | ご投稿
拉致されていたペシャワール会の伊藤和也さんの遺体が確認されたと報道されました。真に残念至極な結果です。御家族とペシャワール会に哀悼の意を表します。

【アフガン拉致:支援団体ショック「現地の信頼厚いはず」】(毎日JPより)

 アフガニスタンでの事件発生に、国際援助団体からは今後の活動への懸念の声が上がった。

 約15年間、教育支援活動を続けてきた「宝塚・アフガニスタン友好協会」(兵庫県宝塚市)代表の西垣敬子さん(72)は、自らもペシャワール会の会員だったことがある。「現地の人から厚い信頼を寄せられている団体で、大変ショックだ」と驚きを隠せない。

 西垣さんは今年3~4月、資金援助で建設した女子大生向け寮の整備のためにジャララバードを訪れた。道路の検問が異様に厳しく、「テロリストの移動に対する警戒が強まっていると感じた」という。タリバン勢力の巻き返しでテロも増えており、「現地での支援の輪が消えてしまうのが心配だ」と述べた。

 03年からアフガンの農業再建支援に取り組んできた神戸市のNGO「海外災害援助市民センター(CODE)」の村井雅清・事務局長(57)も、「古くから支援に尽力してきたペシャワール会のメンバーですら狙われる。それほど治安が悪化している」と懸念を示した。背景として、「長年、戦争が続き、教育が行き届いていない。NGOの存在が理解されていない」と指摘した。

 岡山市の国際医療支援団体「AMDA」グループの菅波茂代表も「ペシャワール会は、徹底的に地元密着型で活動しているという。現地で恨まれることは考えにくい」と話した。【山田奈緒、川口裕之、石戸諭】

【コメント】《「古くから支援に尽力してきたペシャワール会のメンバーですら狙われる。それほど治安が悪化している」》と述べているように、アフガニスタンのテロとの闘いは、長年、平和的な活動をして住民にも信頼されている人たちにも危害が及ぶ様相を呈してきました。フランスの人たちが指摘するように、テロを戦争で一掃することは間違いなのです。このような戦争を支援する艦船に対する日本の給油活動は役に立ちません。

8月22日未明に多国籍軍が同州シンダンド地区でイスラム教徒の集会会場を空爆して、少なくとも民間人89人を死亡させています。このような事態を繰り返しているテロとの戦いは、アフガニスタンの人たちに憎しみを与えるだけです。

とても心配なアフガンの事件/山崎孝

2008-08-26 | ご投稿
【アフガンで日本人拉致 ペシャワール会、静岡の男性】(2008年8月26日の中日新聞ニュース)

【カブール26日共同】アフガニスタン東部ジャララバード近郊で26日、日本の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(本部・福岡市)の日本人男性が拉致された。身代金などの要求は現在のところないという。同会現地事務所が明らかにした。

現地事務所によると、拉致されたのは静岡県出身の伊藤和也さん(31)。携帯電話でも連絡が取れない状態という。

伊藤さんは同日午前7時(日本時間同11時半)前、ジャララバード近郊ダラエ・ヌール付近で農業指導などの作業中に現地住民とトラブルになったとみられる。移動中に車を止められ、運転手とともに拉致されたとの情報もある。

アフガン反政府武装勢力タリバンの報道官は同日、共同通信に対して、犯行への関与を否定した。

日本外務省は同日、カブールの日本大使館に現地対策本部を設置、情報収集を進めている。外務省本省にも深田博史領事局長をトップとする連絡室を設置した。

同会はダラエ・ヌールの診療所で医療活動を行っているほか、付近で農作物の改良などを実施。ジャララバード近郊で用水路も建設中で、これまで地元住民との間に大きなトラブルはなかった。

同会報道担当者のヌール・ザマン氏は共同通信に「現在のところ男性が負傷したとの情報はない。地元住民が米軍の活動に反発して勘違いした可能性がある」と述べた。(以上)

★ またしても多国籍軍の空爆による大きな犠牲者

【アフガン:大統領が軍幹部を解任 空爆で民間人死亡】(26日の毎日JPより)

 アフガニスタンのカルザイ大統領は24日、西部ヘラート州で、米軍主体の多国籍軍の空爆により女性や子どもを含む民間人多数が殺害されたことを受け、無責任な作戦を行ったなどとして、西部地域の司令官らアフガン軍幹部を解任した。

 AP通信によると、幹部らは作戦を主導。事実関係を把握しながら報告していなかった。

 政府当局者によると、多国籍軍は22日未明、同州シンダンド地区でイスラム教徒の集会会場を空爆し、少なくとも民間人89人が死亡した。米軍は反政府武装勢力タリバンがアフガン軍の車両を襲撃したため反撃し、タリバン兵約30人を殺害したと主張している。(共同)

戦後63年の夏、忘れないこと、語り継ぐこと(記事のタイトルより)/山崎孝

2008-08-25 | ご投稿
朝日新聞2008年8月25日付の「ポリティカにっぽん」で、朝日新聞のコラムニストの早野透さんは、ご自身の初任地の岐阜で、1936年夏、甲子園で優勝した岐阜商業ナインのうち5人が戦死した物語を、地方版に書いたことを詳しく述べた後、次のように書いています。

先週末、映画「ラストゲーム最後の早慶戦」が封切られた。1941年生まれの神山征二郎監督は「私たちは最後の戦争世代なんです。いよいよ平和が大事な時代、私たちが戦争を語り伝えていかなければ」とあいさつした。

1943年、文部省は「戦時に敵国のスポーツなど敵愾心を欠く」と六大学リーグを中止した。学徒動員で、学生は戦地に赴くことになる。その前にもういちど早慶戦をしたい、させてあげたいと慶応大学の小泉信三塾長、早稲田野球部の飛田穂洲顧問が動く。10月16日、青空の下、バットの快音が響く。対戦者名薄の早稲田の側には、あの岐阜商ナインだった近藤清の名前が。この後、海軍に入り、そして戦死した。

学生野球の父といわれ、「一球入魂」を説いた飛田はこう書き残した。「ひたむきに国のためと信じて死地に赴いた野球魂の尊さ、それは俗吏や軍閥には知るよしもなかったであろう」

 15日の終戦記念日、井上ひさし作「闇に咲く花」の上演が東京で始まった。「人間は忘れてしまう動物だからこそ、向き合わねばならない歴史に向かう」と演出の栗山民也さんは書いている。

時は、戦後2年となった47年夏、東京・神田の小さな神社で、神主と戦争未亡人ら5人の女性が生計をたてている。田舎にでかけて着物と交換で闇米を入手、警察に没収されないように妊婦のふりをしておなかに抱えてくるなんて、いま飽食の時代に、お芝居でなければ想像できないだろう。

 神主の息子は野球選手、戦地から帰って言う。「とうさん、戦地へ行ってからますます野球が好きになってしまった。野球の球(たま)は打ち返すことができる、しかし鉄砲の弾丸(たま)は打ち返すことができない」

井上さんは、この芝居を21年前に書いた。中曽根康弘首相が靖国神社を公式参拝して2年後、1987年のことである。

 「神道はゴムマリ。浄く明るい心がいっばい入っている」、「神社が国家だの皇室だのマッカーサーだのと付き合う必要がどこにあるんですか」、「死は穢れていて暗いもの。神社が出征兵士を『お国のために喜んで死んできなさい』と送り出したとき、神社は神社でなくなったんだ」

 そんなせりふを耳にしながら、英霊をまつる靖国神社は「死」の神社、本来の「生」(アニミズム)の神道じゃないんだねと思う。

 「この芝居を書いたときは小さな芝居でした。でもだんだん大きなものになってしまった」と井上さん。戦後すぐ、自由主義者石橋湛山、のちの自民党総裁・首相は、「怨みを残すが如き記念物」として、「靖国神社廃止の議」を書いた。この15日の戦没者追悼式で河野洋平衆院議長は「特定の宗教によらない、すべての人が思いを一にして追悼できる施設について真剣に検討を」と提唱した。戦争世代の課題である。

15日の終戦の日、私は、靖国神社の喧騒に触れ、千鳥ケ淵墓苑の静寂に浸って、午後は「戦後民主主義」のリーダー、政治学者丸山真男をしのぶ「復初」の集いに参加するのを恒例とする。この日は丸山の命日なのである。

 かつて、日米安保反対デモを自民党が強行突破、「民主主義の危機」が叫ばれたとき、丸山は「復初とは、ものの本質にいつも立ちかえること。初めにかえれということは、敗戦直後のあの時点、8月15日にさかのばれということ」と述べた。今年は、丸山の勾留体験をつづった「昭和8年手記断片」の朗読を聴いて、軍国主義の往時を思い描いた。

 忘れないこと、思い返すこと、語り継ぐこと。戦後63年の夏に感じた大切なこと。(以上)

【コメント】早野透さんの文章は、日中・太平洋戦争を肯定的に捉える勢力の活動が勢いづいている現在の日本に対する警戒感が感じられます。戦争を忘れないこと、思い返すこと、語り継ぐことは、日本人を憲法の生まれた原点に立ち返らせ、戦争を放棄した憲法理念を認識或いは再認識させることだと思います。そしてこの理念は今日も生きた平和に対する有効な理念です。

戦争を飛田穂洲さんの「ひたむきに国のためと信じて死地に赴いた野球魂の尊さ、それは俗吏や軍閥には知るよしもなかったであろう」という言葉は、国のためと信じて死地に赴いた者と国家権力を握っている者との矛盾を間接的に表現しています。

国のために死ねということは、国民全体のためになるというよりも、国家権力を握って誤った国策を指導している者に利用される場合が往々して起こっています。戦争政策はこの矛盾をはらんでいます。これは現代でも起こります。米国のベトナム戦争やイラク戦争は、このことに気がついた市民が戦争反対に立ち上がっています。しかし、気がついた時はすでに他国と自国で多くの人命が失われてしまっています。はじめからこのことを良く理解しておく必要があります。現在進めている愛国心教育もこのような矛盾を大きく秘めていることを国民は認識しなければならないと思います。

井上ひさしさんは「闇に咲く花」で「死は穢れていて暗いもの」とセリフで言わせています。日本は古来から死者の魂はあらぶる魂とされ、ねんごろに供養しないと災いをもたらすものと考えられてきました。お盆に日本各地で行なわれる初盆供養はそのような考えから来ています。天皇が死去した場合も殯宮を建てて、死者の魂が生者を死の世界にひきづりこまないように魂を鎮める儀式を行なっています。靖国神社の国家のために死んだ者は、英霊になるという考えは、日本の古くからの伝統的な霊魂観ではなく、明治時代に編み出された霊魂観です。

アフガンに関する二つの報道を紹介/山崎孝

2008-08-22 | ご投稿
【洋上給油無償提供の自衛隊 イラクでは米から購入】(2008年8月21日付東京新聞)

インド洋で米軍など複数海軍の艦艇に無償で燃料を提供している自衛隊が、イラク空輸では米軍から燃料を購入していることが二十日、分かった。ガソリン価格が高騰し国民が困窮する中で、燃料の無償提供を続ける日本の“気前よさ”が際立つ形になった。 

イラク空輸のため、隣国のクウェートにC130輸送機三機を派遣している航空自衛隊は、日米物品役務相互提供協定(ACSA)に基づき、有償支援を受けている。二〇〇六年度は米軍から航空燃料千八百四十キロリットルの提供を受け、一億二千六百万円支払った。

一方、インド洋に派遣されている海上自衛隊はテロ対策特別措置法(テロ特措法)に基づき、〇一年から昨年十一月まで艦艇燃料、ヘリコプター燃料など九百八十九回の洋上補給を行った。その分の燃料費二百二十四億円は、日本政府が負担した。

今年一月からの新テロ対策特別措置法(給油新法)でも燃料費は日本持ちで、パキスタン、フランスなど七カ国に八億円以上の燃料を無償提供している。

イラクでは有償で購入、インド洋では無償提供と対応が異なることについて、防衛省幹部は「政策判断というほかない」という。給油新法は来年一月で期限切れを迎えるが、秋の臨時国会では同法の期間延長を論議するか決まっていない。(以上)

【アフガン戦争に批判/兵士死亡で仏国内から声】(2008年8月21日付「しんぶん赤旗」)

 【パリ=山田芳進】フランスのサルコジ大統領は十九日、アフガニスタン駐留仏軍兵士十人が武装勢力タリバンの待ち伏せ攻撃を受けて死亡した事態を受けて声明を発表し、「テロとのたたかい」を続ける「決意」を明らかにしました。しかし、仏国内では犠牲になった兵士を悼む声とともに、テロを戦争で一掃しようとすること自体に批判の声が上がっています。

 野党・社会党のオランド第一書記は十九日声明を発表し、「この戦争の目的は何なのか。設定された目的のためにどれだけの軍隊が必要なのか」と問い、戦争の無益さを告発。さらに、「二〇〇一年以来の軍事活動と(アフガン)復興の結果」を評価するための上院外交委員会の招集を求めました。

 仏共産党は「フランスはアフガンから撤退すべきだ」と主張するとともに、北大西洋条約機構(NATO)の軍事機構への完全復帰の意向を示唆している仏政府の立場を批判し、「完全復帰をやめるべきだ」と主張しました。

 リベラシオン紙二十日付社説は、アフガン問題の解決は、圧倒的な軍事力を背景にしたとしても「政治的な解決しかありえない」と強調しています。

 サルコジ大統領は大統領選挙中にアフガンへの関与の見直しを示唆。今年四月のNATO首脳会議で、駐留仏軍七百人の増派を表明しました。そのときにも野党勢力から「米国への追随だ」と批判を受けていました。当時の世論調査では増派反対が68%、賛成はわずか15%でした。

 同大統領は二十日、クシュネル外相、モラン国防相らを伴ってアフガンの首都カブールを訪問。同市郊外の仏軍基地で仏軍兵士らに「職務を続ける」よう訴えました。

 一方、仏陸軍参謀総長によると、兵士十人が殺害されたのは十九日で、米軍特殊部隊を含む仏軍・アフガン政府軍兵士ら百人が偵察行動を行っていた際に攻撃を受けたといいます。仏軍兵士十人が一度に殺害されたのは、五十八人が死亡した一九八三年のレバノンでの自爆テロ以来の惨事。また戦闘での死亡は一九六二年に終わったアルジェリア独立戦争以来のことです。

太田誠一農水相の「やかましい」発言を考える/山崎孝

2008-08-20 | ご投稿
太田誠一農水相は8月10日、NHK番組で、「食の安全」について、「消費者としての国民がやかましくいろいろいうと、それに応えざるをえない」と、国民が横着を言っているかのように受け取れる発言をして問題になりました。

この太田誠一農水相の発言を弁護する発言を麻生太郎自民党幹事長が8月19日の記者会見で行ないました。朝日新聞の記事によりますと、大田農水相と同じ福岡県出身の麻生幹事長は、「関西以西の人は『やかましい』とみんな言う。『あの人はワインにやかましい』というのは普通の表現だろう」と解説。さらに「『選挙にやかましい』と言ったら、うるさい、詳しい、プロ。そういったものをみんなやかましいと言う」と協調しました。

私の生まれた地域は関西弁が混じっています。麻生幹事長が言うように「うるさい」には、うるさいとか詳しいという意味を持って使われるときがあります。その時によってうるさいとか詳しいのどちらかにニュアンスを置いて使います。しかし、太田農水相は関西以西の「やかましい」意味合いとは違った仕方の釈明をしています。

太田農水相は、「社会主義国と違って自由主義国は消費者が正当にものを言える。『やかましい』というのは健全に、正当に自らの権利を主張している、という意味だ」と記者団に釈明しています。

日本語として普遍的に使われる「やかましい」は、煩わしいとか面倒である、小言が多くて、理屈っぽいである。これらの意味は、自分の考えている基準より、相手の考える基準がオーバーしていて納得できない時に発する言葉で、相手が「正当に自らの権利を主張」していると思う時には使わない言葉です。

2007年2月に安倍内閣の伊吹文部科学相は、食べ過ぎれば日本社会は「人権メタボリック症候群となる」と発言しています。「やかましい」発言と共通で、権利の主張を抑えようとする考え方の発言です。

現在の日本国民の権利が肥大化していると捉えているから、自民党の改憲草案 第12条 (前略)国民はこれを(註、権利)濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う、となってしまうのです。「権利を行使する義務」とは変な表現です。普通は「権利を行使することが出来る」です。国家が権利を保障しなければならないことであって義務づけられるものではありません。

自由とは他者の自由を尊重する意味が本来的に含まれています。公の秩序とは個人と個人の水平的な関係で、決して国家と国民と言う関係で公があるのではないことを自民党の政治家は認識して欲しいと思います。

現在の日本は権利が肥大化しているのではありません。痩せてきています。思想信条の自由が処罰の対象となり、集合住宅へのビラの配布も住居不法侵入のケースがあるとして処罰を受ける場合があります。以前には起こらなかったことです。健康で文化的な生活する権利は自民公明の政策によって脅かされています。

映画「南京の真実」は世界に通用しない/山崎孝

2008-08-19 | ご投稿
【靖国神社/「南京大虐殺」否定の映画上映/賛同者に自民・民主議員ら】(2008年8月16日付「しんぶん赤旗」)

 靖国神社の戦争博物館・遊就館で八月中の企画として、戦争美化映画「南京の真実」が上映されています。

 副題は「第一部 七人の『死刑囚』」。

 「七人」とは誰のことかと思って見てみたら、案の定、東京裁判で死刑となったA級戦犯の面々でした。

 映画では、東条英機や松井石根(南京大虐殺時の中支那方面軍司令官)らを「七人の殉国者」と位置づけて美化。巣鴨プリズンで死刑執行を待つ松井らに語らせる形で、「南京大虐殺」はなかったと主張する内容になっています。

 靖国神社が過去の侵略戦争を「正しい戦争」だったと肯定・美化することを自らの使命としている組織だということをあらためて痛感しました。

 驚いたのは「製作委員会賛同者」のリストに政治家の名前がゴロゴロしていることです。石原慎太郎・東京都知事とともに、自民・民主・無所属の国会議員十六人がずらり。

 自民党からは赤池誠章、稲田朋美、大塚拓、戸井田徹、松本洋平ら七氏、民主党からは松原仁、笠浩史、鷲尾英一郎、渡辺周、大江康弘ら六氏、無所属は平沼赳夫、西村真悟、松下新平の三氏が名を連ねています。(大江、松下両氏は参院議員で、ほかは衆院議員)

 映画「南京の真実」製作委員会はカンパを募り、全三部作を目指すとしています。

 自民、民主の枠を超えた「賛同」態勢と、相変わらずの「靖国」派の執念に、あきれつつも警戒心を強めました。(以上)

【コメント】NHKテレビ「日中戦争」―兵士は戦場で何を見たのか―は、国民党軍の将校はいち早く南京から逃亡、その指揮下の兵士は戦闘意欲を失い武器を捨て軍服を捨てて兵士を捨ててしまいました。その状況の中で日本軍は敗残兵の掃討作戦を行い、検査・選別をろくにせず敗残兵とみなして殺害します。敗残兵を捕虜にした場合でも殺害することは国際的な取り決めの違反です。

南京駐在のドイツ外交官 ゲオルク・ローゼンは、本国政府に次のような報告を送っています。

私は日曜日、日本軍の犯行現場を見た。日本兵はひとりの老人を銃で撃った。老人の家族や知人は彼を助けようとしたら、4人全員は射殺された。

ゲオルク・ローゼンは米国の南京在住の宣教師 ジョン・マギーの撮影した南京における日本軍の虐殺行為を記録したフィルムを本国政府に送っています。

この記録フィルムにはコピーがあり、米国はジョン・マギーの撮影フィルムと説明に基づき映画を作っています。何千人にも民間人がロープで縛られ、川岸や池のふちや空き地に連行されて、機関銃や銃剣、手榴弾で殺されたことを説明しています。

元第九師団歩兵第七連隊の兵士(番組では実名が記された)は、陣地に突っ込んで敵を殺すのとは全然意味が違っている。非戦闘員かも分らない者を殺す、だから虐殺とされる、と述べています。そして兵士は敗残兵か非戦闘員か分らない者を自分は1人殺したと述べ、戦争はやってはならないと語っています。

黒澤明の「七人の侍」は世界に認められ、世界に通用する映画となりました。それにひきかえ、映画「南京の真実」の「七人の殉国者」は世界から認められず、通用しないことは明らかです。

NHKのテレビ番組は、調査報道として、関東軍が指示して民間人にアヘン製造と販売を行なわせ、関東軍の秘密の工作資金に当てていたことを報道していました。日本軍中央司令部を無視した行動のために予算がつかないため、アヘンの販売で資金を捻出したことや南京の傀儡政権を維持するために日本軍はアヘンの製造と販売に関わっていたことなどを報道していました。番組には日本の傀儡国家 満州国や日本の傀儡政権の南京政府の支配地域は、アヘン中毒患者が増えて中毒で死んだ人は路上に捨てられている写真がありました。

番組では、アヘンの製造と販売に関わっていた当時の関東軍の幹部は、東条英機と松井石根で、アヘンの製造販売に関する軍の文書に東条英機の署名がありました。

映画「南京の真実」では、このようなことを行なっていた2人を含めて「七人の殉国者」と位置づけて美化しているのです。

人はだれでも愛される権利があると教えるコスタリカの教育/山崎孝

2008-08-18 | ご投稿
8月17日、伊勢市・非核平和空襲展の講演で、現在、朝日新聞Beの編集者で米国と南米の特派員で活躍していた伊藤千尋さんの講演がありました。そのなかで軍隊をなくして軍事費を教育費に転換したコスタリカの話をされました。以下は講演会で述べた内容と同じである、著書「活憲の時代 コスタリカから9条へ」の一部を紹介します。

〈教育の目的は?〉

伊藤 僕はコスタリカの学校を、国境地帯だけでなく首都でも小学校、中学校、高校、大学と訪れ、教育風景をみてきました。先生たちに「教育の目的はなんですか?」と聞いてみると、こういう答えが返ってきました。

「この社会は、どうしてこんなふうになったのか。みんなが一緒に平和に暮らすためにはどうあればいいのか。それをちゃんと教えることです。学校を卒業したときに、生徒が自立して生きていけるようにすること。それが教育の目的です」

先生たちは明確な目的をもって、教育にあたっているんだなあ、と感じた。それに、授業が楽しいんです。「憲法」や「公民」のような授業は、ほとんどが生徒たちによる「対話」ですすんでいく。

 たとえば、「憲法」についての授業でいうと、高校で先生が「きょうは憲法について考えてみようね。これから卒業して大学に行く人もいるけれども、就職する人もいるだろう。じやあ、こう仮定しましょう。どこかの企業に入ったが、クビになってしまった。さあ、みなさんはどうしますか?」と提起する。すると生徒たちは、憲法をワーッと読みはじめる。そして思いついた子どもから立ち上がって、自分の意見を言っていくんです。

「そういえば、小学校のときに『人はだれでも愛される権利がある』と教わった。クビになったらメシが食えなくなるし、家族を養えない。これは愛されてないということだ。それをもって会社を訴えるべきじゃないか」という意見が出る。「憲法を読むと『労働権』というのがある。これを使えばいいんじゃないか」という意見も出る。

 そういうふうにゲーム感覚で意見が出てくる。楽しいものですから、生徒はいろんな方法を探す。意見が出つくしたところに、先生が出てきて具体例を出す。いつ、どこどこの工場で誰々がクビになったとき、その人は憲法のこういう条項を盾にとってたたかって勝ちました、と。すこぶる実践教育なんです。憲法にこんな条文がありますよ、と頭から教え込むんじゃなくて、どうやって使うのかということを子どもたち自身に考えさせる。どう憲法を活かすか、なんです。

「憲法」の授業だけでなく、あらゆる授業がそうです。生徒たち自身が話しあう、意見をぶつけあう。そういう形の授業が非常に多かったですね。だから授業がにぎやかですよ。こういう授業が日本でもあったら、自分ももっと勉強しただろうな、喜んで授業に出ただろうな、と思うような授業をやっていました。(以上)

【コメント】日本は1947年から1952年までは、文部省は「あたらしい憲法のはなし」という中学1年生用教科書を作成して、先生たちに憲法の教育をするようにしていました。しかしその後、第2の憲法と言われた教育基本法に基づく平和国家を担う国民を養うための先生方の教育が偏向教育というレッテルを貼られ攻撃されるようになりました。

コスタリカの教育は、憲法に保障された市民としての権利を、生活の中で起こる問題と結びつけて教えています。しかし、現在の日本の教育は市民の権利を教えることより愛国心教育に熱をいれています。この延長線上にあるのは国家主義が強く出している自民党の改憲があります。

この間の秋葉原で起こった無差別殺傷事件は「誰にも愛されていない」という疎外感を抱いてしまった若者が起こした事件だと思います。

伊藤千尋さんは、米国の状況を話しながら、自覚した市民の力が社会を変えると言っています。市民運動を工夫して広範な人々を惹きつけるものにしなければならないとも述べていました。とても情熱的な講演でした。

閣僚の靖国神社参拝に思うこと/山崎孝

2008-08-16 | ご投稿
【首相、靖国参拝見送り 中韓への配慮色濃く】(2008年8月15日付東京新聞)

福田康夫首相は終戦記念日の15日、昨年の安倍晋三前首相に続き靖国神社参拝を見送った。現職首相の靖国参拝に反対している中韓両国に配慮した形。閣僚で参拝したのは保岡興治法相、太田誠一農相、野田聖子消費者行政担当相の3人で、高村正彦外相ら14閣僚は参拝しなかった。

首相は昨年9月の自民党総裁選時から、靖国参拝について「相手の嫌がることをあえてする必要はない。(中韓両国に)配慮しなければならない」と参拝しない方針を明言。今月5日にも記者団に「私の過去の行動をみてほしい」と重ねて参拝しない意向を明らかにしていた。

野田氏は参拝後、記者団に「首相と私の考えがいつも一緒なのはおかしな話。心は曲げずに通していく」と述べた。

首相は15日昼の全国戦没者追悼式出席後、公邸に戻り、靖国神社は午後7時に閉門された。(共同通信配信記事)(以上)

【コメント】靖国神社のホームページは軍事博物館 遊就館の目的を、殉国の英霊を慰霊顕彰すること、近代史の真実を明らかにすること》と述べた後、《近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界的に視れば、皮膚の色とは関係のない由由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました》と述べて、日清・日露、日中・太平洋戦争を肯定しています。

公の立場にあり政権に責任を持つ閣僚が靖国神社に参拝することは、客観的に見れば、遊就館で表明している靖国史観に同調していると見なされます。

歴史的事実に照らしてみれば、日本の自存自衛ためには、由由で平等な世界を達成するためには、他国の領土を占領し資源を奪い、310万人の日本人と2千万に及ぶアジアの人を犠牲にした戦争政策を良いと考えていると言われても仕方がありません。

戦争の犠牲者を悼むことは当然のことですが、世界に通用しない史観を表明している宗教施設の靖国神社に参拝することは、靖国神社の考え方を肯定することが伴うことを避けられません。

福田首相は《「相手の嫌がることをあえてする必要はない。(中韓両国に)配慮しなければならない」と参拝しない方針を明言》していますが、一番重要なことは、隣国への配慮は当然ですが、日本人が世界から笑われないように、歴史の事実に基づいた歴史教育をしっかりと行うことに努力することだと思います。

対日「慰安婦」決議のひとつで2007年12月13日に採択された欧州議会決議で、慰安婦問題にとどまらず日本の歴史全体に対して「日本政府はどこの国の道徳的義務でもあるように政府と国民が自国の歴史の全体を認める手段を講じ、かつての自国の行動についての認識を涵養するように勧め、現在と将来の世代に歴史的事実を教育するよう要請する」となっていることに特段の留意をしなければならないと思います。

「由由で平等な世界を達成するために、避け得なかった多くの戦いがあった」という考えは、反戦に対する挑戦であり、今日の米国政府の主張、イラクの自由と民主主義のために戦争は必要とする考え方と共通項を持っています。