いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
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自覚し自主性を養う教育/山崎孝

2007-08-21 | ご投稿
【教研分科会/「君が代」やイラク戦争題材にして授業実践】(2007年8月18日付「しんぶん赤旗」の報道)

 広島市内を中心に開かれている「教育研究全国集会2007」二日目の十七日、各分科会での討論が始まりました。社会科教育の分科会では、「日の丸・君が代」問題やイラク戦争などを題材にして、子どもたちと考え合う教育実践が報告されました。

 北海道で今年三月まで小学校教師だった男性(60)は、「日の丸・君が代」の歴史について教えることを全校的に位置付け、毎年三月に全学年で公開授業を行ったことを報告しました。

 授業では、「日の丸」が戦争に利用されたことや「君が代」の歌詞の意味などを教えました。授業のあとの父母との懇談会では、「僕も国歌の意味は知らなかった。やはり子どもたちの時代から教えてもらいたい」「韓国の人と話をすると食い違う経験をした。過去の歴史を知らないでは歯車がかみ合わない」などの感想が寄せられたといいます。

 男性は「賛否を問わず話し合うことが一番大事。子どもたちにも『日の丸・君が代』に反対してほしいということではなく、事実を知って自分自身で判断できる力をもってほしいと考えた」と語りました。

 埼玉県川越市の小学校教師(55)は、イラク戦争で目を負傷したモハマド君をとりあげた実践を報告しました。

 モハマド君が日本の支援者の協力で手術を受け成功したことを書いた本を二時間半かけて読み聞かせ、感想を書いてもらいました。「目は治っても心の傷は治らない」という子どもの意見にはほかの子から「するどい」との意見が。「モハマド君以外の医者にもかかれない子どもが心配」という意見にも共感が寄せられました。

 小学校教師は「モハマド君の目になってイラクの子どもたちやイラクの人々のこれからに思いをはせる子どもたちに育ちはじめていると思う。目を世界の現実に向け、世界を読み解く人間になってほしい」と述べました。(以上)

ブログで紹介した朝日新聞8月19日付「声」欄「若い世代」に掲載された三輪綾里佳さん(14歳)が書いた《私のクラスでは、道徳の時間に、先生が本や新聞などからコピーしてきてくれる、本当の「良い」文章を読みます。そういうことで生徒たちは、温かい気持ちを育てることができたり、自分を見つめ直したりできるのだと思います》は、「教育研究全国集会2007」で報告された教師たちの取り組みのひとつなのだと思います。

自民党が企図する教育は、ある特定の価値観を叩き込もうとする結果、物事に対する批判力がつかない教育なのだと思います。

教育である以上、どこかでしっかりとたたき込むという部分がなければ/山崎孝

2007-08-20 | ご投稿
朝日新聞2007年8月20日掲載「報国レジームの記憶」より

「教育二関スル勅語」(1890年)一旦緩急アレハ義勇公二奉、ン 以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

校庭に全校児童が並ぶ中、儀式などで使う三方と呼ばれる白木製の台に載せた巻物を教頭が校長に差し出す。校長は巻物をおもむろに広げ、独特のの節回しで「朕惟うに……」と奉読を始めた。

 1943年2月11日に兵庫県西部の相生国民学校で開かれた紀元節の式典。読み上げられた「教育二関スル勅語」(教育勅語)の意味を、当時2年生だった安川寿之輔さん(72)=名古屋市=はよく理解できず、退屈しのぎに足袋の指先で小石をはさんでは友達に投げるいたずらをしていた。

 「こらっ。そこの眼帯をかけている者、出てこい」。奉読が終わったとたん、結膜炎で眼帯をしていた安川さんを教頭が怒鳴りあげた。全校児童の前にひきずり出され、いきなり頭を殴られた。

 後に名古屋大教授となり、戦争を語り継ぐ「不戦兵士・市民の会」でも活動する安川さんは今、「当時の教育がそのまま続けば、いや応なしに軍

国少年になったかもしれないと思う。

  ■  ■

教育勅語は、大日本帝国憲法発布の翌1890(明治23)年につくられた。親孝行をし、夫婦仲良く、学問を修め……ともっともらしい徳目が並ぶ。ただ、最も肝心な点は、国家の一大事には皇国日本のために身を投げ出すことだった。

 名古屋近郊の国民学校教鞭を執っていた池田陸介さん(83)=愛知県東海市=は44年に、よちよち歩きの幼児が校庭の日の丸に触っただけで、若い教師にひどい扱いをされた光景を覚えている。

 幼児は母と散歩をしていただけだったが、その教師は「触ってはいかん」と怒鳴り散らし、職員室まで連れていって床に放り出した。

 教科書には戦地で玉砕した「軍神」が登場し、音楽や習字にいたるまで学ぶ内容はすべて「皇国の道に則りて」(国民学校令)と、当時の教育は進められた。徹底的な刷り込みの効果はどうだったか。

愛知県のある国民学校で戦中、児童147人を対象に「所感調査」が行われたことがある。「赫々たる戦果の原因を何処に求めるか」との質問には、72人が「天皇の御稜威(威光)」と答えた。愛知県史はそう記す。

  ■  ■

 教育勅語に加え、国民の内面に大きな影響を及ぼしたのが、37年に文部省教学局が発行した「国体の本義」だ。

天皇への奉仕や忠孝の精神を強調。さらに西洋は「奉仕という道徳的自由を忘れた謬れる自由主義や民主主義」だと攻撃し、日本精神の優越性をひたすら説いた。

 作家の近藤富枝さん(85)=東京都=は43年9月から1年間、教学局の国語課で働いた。仕事は占領地の外国人向けに科書を書くことだった。 このうち、インドネシアでの落下傘部隊の勇猛果敢さの話と、陸軍の乃木希典大将が幼少のころは弱々しかったのに鍛て偉くなったという話、二つだけは、鮮明に記に残る。

 近藤さんはその後、NHKのアナウンサーとなり、外地向けの大本営表を雄たけび調で読んだ。「今から思うと、学生ぐらいから神経中枢にずっと、国家による注射を打たれてまひしていたんでしょう」

 旧憲法体制に縛られた戦前教育への反省から、一人ひとりを大切にする「個の尊厳」を柱に戦後は教育基本法が生まれ…た。だが、施行59年後の昨年、愛国心を盛り込む改定があり、掲げられた徳目の数は教育勅語より多くなった。(以上)

この記事とあわせて、国会の質疑で教育勅語をもてはやす議員たちの手によって教育基本法が変えられたことを、従って教育基本法やそれに続く教育3法の企図するものは、教育勅語の目的と重なっていると見なければなりません。このことを、平和を願う日本人は認識していなければならないと思います。そして、個人より国家に重きを置くこと、日本が攻撃をされていない事態にも、日本が参戦できるようにする改憲が、戦後レジームの脱却を主張する安倍首相の主導で行なわれようとしていることも深く認識する必要があります。

この間の憲法9条を討論するNHKの番組を見ても、改憲を賛成する人たちは、憲法に自衛隊を明記することを挙げていますが、改憲は決してそれだけに止まらないことを理解して欲しいと願っています。

【参考】(「しんぶん赤旗」日曜版2006年6月18日号より)教育勅語の現代訳を配布して、質問に立ったのは民主党の大畠章宏議員です。「いまの社会を見ると、こういう基本的な考え方がどこか薄れはじめている。」これに呼応して安倍普三官房長官は「(教育勅語には)大変すばらしい理念が書いてある」と答えました。

 「敗戦後遺症というような発想を教育界から取り除いていかないと前向きの議論ができない」と質問したのは元文科相の町村信孝議員。「愛国心」が身につくようにと「教育である以上、教えて育てる、どこかでしっかりとたたき込むという部分もなければ先に進めない」と、「たたき込む一を繰り返しました(以上)

【参考】今年初め「希望の国、日本/御手洗ビジョン」を発表しました。

ビジョンは安倍首相と同じ考え方で《新しい教育基本法の理念に基づき、日本の伝統や文化、歴史に関する教育を充実し、国を愛する心や国旗・国歌を大切に思う気持ちを育む》、公徳心は《基本的な価値観を共有する共同体の一員という自覚を持つことにより育まれる》、《愛国心を持つ国民は、愛情と責任感という気概をもって国を支え守る》、《国益の確保や国際平和のために集団的自衛権を行使できることを明らかにする》などが記述されていました。

戦前の日本は、西洋は「奉仕という道徳的自由を忘れた謬れる自由主義や民主主義」だと主張していましたが、日本より民主主義の国になった米国や欧州は、ボランティア活動が根付いていて、日本もこの活動が活発になる方向です。ところが、現在、日本で子どもたちがボランティア活動をすると子どもの学校成績に反映させるという考え方が出ています。自覚的な活動を阻害させる考え方です。自由と民主主義は自覚的な市民を基盤にした社会で、子どもたちには自覚性を持たす教育が大切です。

明日は、自覚性を持たす教育に取り組む教師たちのことを紹介します。

教育再生っていつに戻るの/山崎孝

2007-08-19 | ご投稿
ブログのタイトルは、朝日新聞8月19日付「声」欄「若い世代」に掲載されていたタイトルをお借りしています。名古屋市の中学生 三輪綾里佳さん(14歳)の文章です。なかなかに鋭い指摘をしています。以下はその文章です。

教育再生といわれますが、再生とは元に戻すことです。その「元」とは、いつの教育でしょうか。今、私たちの受けている教育は、何なのでしょうか。

 「徳育」を正式教科にしようと言います。しかし、マニュアル通りの授業をして、生徒に押しっけて、それで本当に道徳を理解することができるでしょうか。

私のクラスでは、道徳の時間に、先生が本や新聞などからコピーしてきてくれる、本当の「良い」文章を読みます。そういうことで生徒たちは、温かい気持ちを育てることができたり、自分を見つめ直したりできるのだと思います。

教師を評価するといっても、国が決める「よい先生」と、生徒にとっての「よい先生」は違うと思います。学校を評価するといっても、学校はよい評価のために仕事をするわけではないのです。

 いじめ問題もあります。いじめを行う生徒を処分しようと言います。本当にそれがいじめの減少につながるのでしょうか。今いじめている子も、前はいじめられていたかもしれないのです。

今、会議室で「教育再生しよう」などと言っても、現場の混乱を招くだけではないでしょうか。(以上)

【新編『あたらしい憲法のはなし』というシリーズの記事で「報国レジームの記憶/「脱戦後体制」その先に」というタイトルのついた記事が朝日新聞8月19日に掲載されています。前記の中学生の投書は「元に戻すとは」という疑問を突きつけていましたがその関連で紹介します。

 「新憲法制定」を自民党マニフェスト(政権公約)のトップに掲げ、参院選で惨敗した安倍首相は、4日後の今月2日付で配信した内閣メールマガジンに選挙結果への思いをつづった。

 「私が進めつつある改革の方向性が、今回の結果によって否定されたとは思えない」

 改革の方向性として掲げる一つが、改憲を含む「戦後レジーム(体制)からの脱却」だ。

 首相は今年初めの国会で、日本の戦後社会についての見解を口にした。公共の精神や国に対する愛情、道徳心などを軽んじ捨ててきた――。

 著書「美しい国へ」では、国に殉じた戦時下の特攻隊員たちの姿をめぐり、持論をこう説く。「(命を)なげうっても守るべき価値が存在する」

 愛国心を盛った教育基本法の改定、故意のための国民投票法の成立……。首相が実績として挙げる改革と「戦後体制の脱却」の掛け声の先に、戦前回帰への危うさを感じ取る人は少なくない。

 国家が樺力で公共の精神や愛国心などを強いた戦前・戦中とは、どんな社会だったのか。(以下略)

記事はこのように書いた後、「日本が『神の国』だった時代」などの著書がある作家の入江曜子さんを取材した内容を書いています。私はこの本から抜粋して、戦前の日本は占領した所に真っ先に立てて万歳を三唱したことを子どもたちに教えていたことをブログで紹介しています。他国を武力で占領しても正しいことと教えていました。

安倍晋三氏は、「(命を)なげうっても守るべき価値が存在する」と大上段に振りかざした言葉を書いていますが、人道主義を追求している今日の世界では、政治家の使命は戦争を回避して国民の命を守り、外交力によって対立する問題を解決することが一番の使命です。

そのためには、力ずくで問題を解決する姿勢は禁物です。このことは、米国の北朝鮮政策の経緯や安倍晋三氏が主導した拉致問題の経緯で明らかです。

それに「(命を)なげうっても守るべき価値が存在する」価値とは、おうおうにして国民のための利益ではありませんでした。今日においても米兵が守ろうとしたのは、客観的には軍産複合体制に関係する企業等の利益です。

自らの路線が日本政府のジレンマを生む/山崎孝

2007-08-18 | ご投稿
【非核化協議にジレンマも 拉致への関心低下懸念】 (2007年8月17日付中日新聞)

【瀋陽(中国東北部)17日共同】日本政府は、中国・瀋陽での北朝鮮核問題をめぐる6カ国協議の朝鮮半島非核化作業部会が、核施設の無能力化などで協議に入ったことを「一定の成果だ」(外務省幹部)としている。ただ安倍政権が最重要課題に掲げる拉致問題は依然停滞したままで「核問題が前進すればするほど、拉致に対する各国の関心が薄れかねない」(政府関係者)とのジレンマは解消されていない。

安倍晋三首相は16日、非核化への期待感を示す一方、「鉄の意志を持ってすべての拉致被害者の日本への帰国を目指して努力していく」と重ねて強調した。

だが、3月にハノイで開かれた1回目の日朝国交正常化作業部会では拉致問題で対立、物別れに終わった。今月中の開催で調整している第2回作業部会でも、拉致問題が大きく進展する可能性は低いとされる。(以上)

6者協議の合意による日朝国交正常化作業部会でしか、現在、日朝の外交の窓口が無いことは問題なのです。米国は昨年11月頃までは米朝二国間対話を拒否してきましたが、強硬路線から柔軟路線に変更してからは、米朝二国間対話の方が先行させ、6者協議を牽引するような形になっています。

安倍晋三氏は、拉致問題で対北朝鮮強硬路線を主導し、国民に北朝鮮の脅威を煽り、憲法改定に利用してきました。この路線が、日本政府がジレンマに陥った原因です。国際社会が圧力と対話のバランスを取ったのに対して、安倍晋三氏はバランスを著しく欠いていたのです。

安倍晋三氏の政治姿勢は昨年の北朝鮮のミサイル発射実験に対する対応に如実に現れています。

参考 【朝日新聞】「複数の政府関係者は『中国が拒否権を使うのなら仕方ない』と強気を崩さなかった。中国が拒否権を行使した場合に備え、中国のいない主要国首脳会議(G8サミット)で支持を訴える構想を語る関係者もいた」と紹介。また「外務省幹部が7月13日、『7章にこだわらない』と発言すると、安倍氏は外務省に『(最後の)1分1秒まで立場を貫け』と指示」と報道。

 【毎日新聞】 「外務省は当初から非難決議への譲歩を想定していたが、『安倍長官がネジを巻いた』(首相官邸筋)結果、麻生外相、谷内正太郎事務次官らが集まった7月7日の幹部協議で『中国に拒否権を行使させてもいい』と正面突破を図る方針を確認した」と報道。

国連は経済制裁と武力制裁を排除して非難決議をしました。安倍晋三氏の主張は敗北しました。

元陸自イラク先遣隊長の佐藤正久参院議員の発言について/山崎孝

2007-08-17 | ご投稿
【イラク派遣:元陸自のヒゲ隊長、佐藤参院議員に質問状】(2007年8月16日付毎日新聞)

元陸上自衛隊イラク先遣隊長の佐藤正久参院議員が、派遣先のイラクで他国軍隊が攻撃を受けた場合、駆け付けて援護する「駆け付け警護」を行う考えだったことを表明したことに対し、弁護士ら約150人(呼びかけ人代表・中山武敏弁護士)が8月16日、「違憲」と公開質問状を送った。

佐藤氏は10日に放映されたTBSのニュース番組で、当時イラクで指揮官として「駆け付け警護」を行うつもりだったことを明言し、「日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」と発言した。「駆け付け警護」は、正当防衛を超えるとして憲法解釈で認められていない。

質問状は「違憲、違法なもので、シビリアンコントロールに反する」として、7項目について今月中の回答を求め、安倍晋三首相にも佐藤氏に辞職勧告するよう要望書を送った。佐藤氏の事務所は「現場に行って法的不備があると感じての発言。質問状は届いていないが精査する」と話した。【長野宏美】(以上)

弁護士ら約150人の行動は当然です。佐藤氏の事務所は「現場に行って法的不備があると感じての発言」と言っていますが、これは法的な不備ではなく、国家の最高法規の規定に基づくものです。また、この規定があったからこそ、陸自隊員の無事が保証されたのです。そして国民の多数は米国のイラク政策の正しさを日本が保証する目的のイラクに自衛隊を派遣したことに賛成はしていません。このことを佐藤正久参院議員は認識すべきです。

「不戦の誓いを堅持する」との言葉を式辞で述べても/山崎孝

2007-08-16 | ご投稿
【中日新聞:「不戦の誓い」前夜に復活 戦没者追悼式の首相式辞】 (2007年8月15日付中日新聞)

終戦記念日の15日に開かれた政府主催の全国戦没者追悼式の式辞で、安倍晋三首相が述べた「不戦の誓いを堅持する」との文言が、厚生労働省が作成した原案に入っておらず、首相官邸からの指示で14日夜、急きょ盛り込まれていたことが分かった。

小泉純一郎前首相時代には、就任2年目の2002年から04年までと、06年の式辞に「不戦の誓いの堅持」が盛り込まれていた。

式辞は例年、追悼式事務局を務める厚労省が、過去の式辞を参考に原案を作成、最終的に官邸側が決定する。今回は、14日までに厚労省が原案を官邸に提出。原案作成の時点で同省は「不戦の誓い」の部分を入れていなかったという。

官邸側はいったんは了承したが、同日夜になって前年との違いに気づき、厚労省側に修正を指示した。

厚労省援護企画課は「追悼式で実際に首相が述べたことがすべて。事前の調整過程は明らかにできない」とする一方、「式辞は毎年まったく同じ表現ではないが、平和国家を目指すという政府の基本的な考え方に変わりはない」と説明している。(共同)(以上)

安倍首相は全国戦没者追悼式で「不戦の誓いを堅持し、国際社会の先頭に立ち、世界の恒久平和の確立に積極的に貢献していくことを誓う」と述べました。しかし、この「不戦の誓いを堅持し、」を官邸側が気づいて式辞に加えても安倍首相の考えではなく、安倍首相の企図することは逆を行っています。歴代政府の憲法解釈まで変えて、日本が参戦できるケースを作ろうとする一事をみても明らかです。

憲法問題は生活問題と離れた特別な問題ではない/山崎孝

2007-08-15 | ご投稿
【憲法審査会/始動先送りでつまずき】(2007年8月14日付「しんぶん赤旗」)

 十日に閉会した臨時国会では、衆参両院に設置が決められた憲法審査会の運営規程や委員構成が決まらず、審査会の実体づくりは、秋の臨時国会に持ち越しとなりました。日本共産党は「九条改憲を狙いとする改憲手続きを進めることは許されない」(穀田恵二国対委員長)と主張。参院選での与野党逆転の新たな国会状況も受け、野党は衆参両院での憲法審査会の始動阻止で一致しています。安倍改憲路線が、大きなつまずきを見せています。

 「戦前を肯定するような安倍晋三首相の発言が、国内外にメッセージとして伝わり、この内閣のもとで改憲をすることは危険なのではないかという雰囲気を広げた。それがこの国会で憲法審査会を始動できなかった原因の一つでもある」憲法問題に携わる自民党有力議員はこう述べます。

【国民は「ノー」と】 安倍首相は「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げ、戦後初めて「任期内改憲」を表明。内閣も、侵略戦争を正当化し、いまの憲法を壊そうとする「靖国」派で固めました。教育基本法改悪、防衛省格上げ、改憲手続き法など、たてつづけに強行してきました。

 格差・貧困の打開を求める国民の声に耳を傾けず、改憲タカ派路線を突き進み、二〇一〇年の改憲発議を公約のトップで掲げた自民党に、国民は参院選で大きな「ノー」の声を突きつけたのです。

 選挙後には、米下院議会で、「従軍慰安婦」問題で日本政府に謝罪勧告の決議も採択されるなど、安倍「靖国」派政権は国内外でおいこまれることになりました。

【総選挙意識して】 「自民党内も“憲法”を口にしにくい雰囲気になっている。解散・総選挙を意識し始めた衆院議員は、自分の“身”のことを第一に考えている」

 自民党憲法審議会関係者はこうこぼします。同党内では「憲法、憲法と言っていたらまた(選挙で)負ける」という声もこぼれているといいます。

 参院選で自民党は片山虎之助参院幹事長が落選し、青木幹雄参院議員会長が大敗の責任をとって辞任。改憲手続き法の採決を強行した関谷勝嗣参院憲法調査特別委員長も落選しました。いまだに党の参院運営体制も定まらず、安倍首相続投への国民の批判も強い状況の中で「憲法審査会どころではない」(自民党関係者)という状況です。

 一方、改憲手続き法の問題では、自民党と共同で成立を目指してきた民主党憲法調査会幹部の一人は、参院選後の同党のスタンスについてこう述べます。

 「通常国会での安倍首相の指示による与党の強硬な審議、採決に対する反発が尾を引き、安倍首相とは一緒に憲法論議はできない。選挙の結果を受けて、生活問題を第一に取り上げていくという流れの中で、『憲法は特別』といって安倍さんと一緒に改憲議論を進めるというわけにもいかない」

 国民新党の憲法問題関係議員も「憲法問題で採決を強行するというのは非常に危険なこと。国民も見ており、強行採決にもとづく憲法審査会の論議には乗れない」と述べます。(中祖寅一)(以上)

自民党憲法審議会関係者の「憲法、憲法と言っていたらまた(選挙で)負ける」とか、民主党憲法調査会幹部の一人は、参院選後の同党の姿勢について《選挙の結果を受けて、生活問題を第一に取り上げていくという流れの中で、『憲法は特別』といって安倍さんと一緒に改憲議論を進めるというわけにもいかない》。これらの言葉は、憲法を破壊する立場、憲法は国民を国家が規制するというものという考えからは、憲法は国民の生活問題に結びつかないという政治感覚となり「憲法は特別」な、イデオロギーの問題という捉え方になります。

政治家は国民の命と生活を守ることが使命です。この目的を達成するために、現行憲法の平和主義と個人の尊重を基本にしていることを深く認識し、政治に理念を生かすことをすれば、「憲法は特別」というものではなく、日常的な政治家の「座右の銘」としなければならないものと考えます。

今日は8月15日です。日本が国民を縛ってきた大日本帝国憲法の下から脱却して、国民が憲法を「国家の命令書」(井上ひさしさんの言葉)にしてゆこうと歩みだした記念すべき日だと思います。

そして、隣国が日本の圧政・圧迫から解放されたと捉えていることを日本人は忘れてはならないと思います。政府の行為により戦争の惨禍を繰り返さないと誓い、海外での武力行使をしないと規定した現行憲法は、アジアの国に安心を与えているものであることを日本人は認識していなければならないと思います。

日本の支配層は沖縄を捨石と考えていた/山崎孝

2007-08-14 | ご投稿
8月13日付朝日新聞「窓」―論説委員室から―(大矢雅弘編集委員)という記事には、《沖縄県うるま市の県立養護学校の敷地内に米軍の装甲車が侵入する事件があり、知事は「非常識の極み」と批判した。それから3週間も経たないのに、今度は同市の県立高校に米軍のトラックが侵入した。あまりにも傍若無人な行為だ。こんな事件が続くと、「現在もなお、沖縄は軍事植民地だ」という那覇市の吉田健正さんの主張にうなずかざるをえない。》という書き出しで、吉田健正さんと著書を紹介し、《植民地政策の研究の先駆者であった矢内原忠雄氏が、沖縄の本土復帰前の一九五七年「沖縄は米軍の軍事植民地である」と述べた。その言葉がすでに通用しなくなった今、あえて書名に採用したこのことからも、沖縄の現状への憤りが痛いほど伝わってくる》と書かれています。

戦前から沖縄を日本の支配層は捨石と考えていました。(豊下楢彦著「集団的自衛権とは何か」より抜粋)

悲惨な沖縄戦が最終段階を迎えた一九四五年六月二二日に、昭和天皇はそれまでの徹底抗戦方針を自ら転換し、ソ連を介して連合国側と和平交渉にはいる決断を行ない、近衛文麿元首相を「天皇の特使」としてモスクワに送る手はずを整えた。その際、近衛がまとめた和平交渉の「条件」には、「固有本土の解釈については、最下限沖縄、小笠原島、樺太を捨て…」と明記されていた。つまり、本土防衛のための「捨て石」として地獄の地上戦を強いた日本の指導層は、今度は和平交渉のために、沖縄を日本から「捨てる」という選択に踏み切ったのである。結局、近衛の訪ソは実現できず敗戦を迎えたが、戦後になって米軍が沖縄を支配すると、昭和天皇が一九四七年九月に米側に送ったメッセージでは「二五年から五〇年、あるいはそれ以上」、吉田茂が一九五一年一月末にダレスに提示した案では「九九年」もの長期にわたって沖縄を米国に”貸し出す”という方針が明示されていたのである。

日本本土の政府から半植民地のように扱われてきた沖縄は、植民地支配をうけた朝鮮半島や侵略をうけた中国に相通ずるような歴史を体験してきたのである。つまり、日本に属しながら同時にアジア諸国の歴史認識を”共有″できる沖縄は、偏狭なナショナリズムを克服し、新たなレベルにおいて「歴史の対話」を重ねていくことができる最適の場なのではなかろうか。東アジアにおける歴史認識問題に関する共同研究機関の設置など、沖縄を信頼醸成の拠点として打ち出していくことを考えるべきである。

最近の朝鮮半島情勢を見る/山崎孝

2007-08-13 | ご投稿
【「南北会議毎年開催を」金大中氏、統一相と面談】(2007年8月12日付朝日新聞)

韓国の金大中(キム・デジュン)前大統領は11日、南北首脳会議ついて「これからは、人気中に一度ではなく、毎年開催されることを期待する」と述べ、韓国政府が目指す会談の定例化を強く支持する考えを示した。ソウル市内の自宅で李在禎(イ・ジェジョン)統一相と面談した鞍に持った。

金前大統領は「6者協雄が進み・南北関係がうまく発展している時点で会議が開催される。半島の平和に大きく貢献するだろう。成功を確信している」と述べた。韓国政府は「あらゆる水準で、金前大統領の意見を聞く考え」(大統領府報道官)としており・盧武鉉大統領との面会も検討している。

一方、李統一相が議長を務める首脳会談準備企画団は同日、2回目の会議を開き、会談の議題や代表団の往来ルートなどについて意見交換した。(以上)

「世界」9月号「ドキュメント・激動の南北朝鮮」から抜粋

野党のハソナラ党も七月四日、新たな北朝鮮政策を発表、北朝鮮との関与を絶やさない姿勢を明らかにしようとしている。「朝鮮半島平和ビジョン」と名づけられたこの新政策は、南北自由貿易協定の推進、南北米中の四者による終戦宣言、北朝鮮の放送・新聞の全面解禁、北朝鮮の生活困窮者へのコメ支援などからなっている(『韓国日報』七月五日付)。すでに大統領選に名乗りを上げた同党の李明博前ソウル市長は六月一八日、漢江の河口付近に人工の島を建設、南北経済協力団地を作る構想を発表しており(『毎日経済新聞』6月19日付)同党公認の金文殊京畿道知事は、やはり漢江の砂利採取事業を南北共同で進める方針を明らかにした(『ハンギョレ』七月三日付)。ハンナラ党の対北政策は経済分野に偏っているものの、同党も米国の政策転換への対応を模索する様子がうかがえる。

この間、経済面でも具体的前進があった。六月二一日には高圧の電気を送ることができる南北間の送電線が五九年ぶりに連結された。これは、非武装地帯を含めた一六キロにわたり四人基の鉄塔を立て、南から一〇方キロワットを開城工業団地に送電するもので、約三五〇億ウォンを投入した。韓国電力はこれまでも、汝山変電所を通じ一万五〇〇〇キロワット程度の電気を変圧した形で開城工業団地に送電してきたが、今回の送電線完成で飛躍的に電力供給が増えることになった(『毎日経済新聞』六月二二日付)。

七月五日から七日には南北の軽工業と地下資源開発に関する協力実務協議が行なわれ、南側が提供する原資材の品目別価格などについて、韓国の提示した九四品目のうち六二品目の細部合意書が採択された。これは韓国が軽工業の原資材を提供する代わりに北朝鮮の鉱物資源を受け取る経済協力事業で、韓国側は七月二八日から地下資源共同開発の現地調査に入る予定という。この事業は二〇〇五年七月の第一〇回南北経済協力推進委員会で北側から提起されたもの。衣料品、履物、石けんの生産に必要な原料や資材を南側から提供、北の地下資源を開発して交換する構想であった。だが、北朝鮮の地下資源は未確認の鉱物を担保にしようという考えであったため、簡単には進まなかった。まだ今後も紆余曲折が予想されている(『京郷新聞』七月九日付)。(以上)

韓国は12月に大統領選挙が行われる予定です。仮に政権党が交替しても現在野党ハンナラ党の立候補者の考えを見ても、南北の宥和政策には大きな変化はないと思われます。

朝鮮半島有事に介入する米国を武力行使で支援することを想定し、日米同盟を強化するため、改憲して集団的自衛権行使を可能にすべきという主張は説得力は失いつつあります。

安倍政権の横暴/山崎孝

2007-08-12 | ご投稿
【米軍移駐反対したら補助金カット/岩国市長 国の横暴訴え/東京】(2007年8月5日付「しんぶん赤旗」)

 米軍空母艦載機部隊の移駐に山口県岩国市が反対したために、国が現在建設中の市庁舎への補助金三十五億円をカットしたことに対して、井原勝介市長は四日、東京都中央区の銀座数寄屋橋でマイクを握り「艦載機受け入れに反対する市民の意思は明確。国はいじめのようなやり方をするのではなく、まず誠意をもって協議すべきです。次の世代のためにも、地方自治を守るためにも、岩国市民の心意気を示したい」と、街頭から庁舎建設募金の訴えを行いました。

 市庁舎への補助金は米軍再編前に決定していました。しかし、二〇〇五年十月、再編計画の中で神奈川県厚木基地の空母艦載機の岩国基地移転計画が持ち上がり、岩国市民が〇六年三月の住民投票と、同四月の井原市長三選の二度にわたる「再編反対」の民意を示す中で、同十二月、国は突然、約束をほごにしました。

 県外での募金活動は、前日、東京都三鷹市で行われたのに続いて二回目。市長も「ぜひこの問題を全国の多くの人にわかってもらいたい。けっして山口県の一地方の問題ではありません。今後も機会があれば行いたい」としています。

参考資料【米軍再編法案:衆院で審議入り】(2007年3月23日付毎日新聞ニュース)

在日米軍再編促進特別措置法案は3月23日午後の衆院本会議で趣旨説明と質疑を行い、審議入りした。在日米軍再編に伴い基地負担が増える市町村への新たな交付金制度(再編交付金)などを設けるもので、政府は早期成立を目指している。

法案は2017年3月末まで10年間の時限立法で、関係市町村に再編の進ちょく状況((1)政府案の受け入れ(2)環境影響評価に着手(3)施設の着工(4)再編完了)に応じて交付される再編交付金制度と、在沖縄海兵隊のグアム移転に伴う融資などを可能とするために国際協力銀行(JBIC)の業務に特例を設けることが柱。関係市町村の公共事業などの国の補助率引き上げも可能となる。

国会審議では、60億9000万ドルに上るグアム移転の日本側負担の是非などが争点となる見込み。また、政府は米軍再編に伴う日本側負担の総額も算定できておらず、この点も議論になりそうだ。民主党は反対の方向で調整しており、国会審議の先行きは不透明だ。【山下修毅】

政府の政策は、国民の日常的な生活の安全と安寧を保障する政策でなければなりません。日本の安全保障と米国の安全保障政策を同一視して、米軍の覇権主義を手助けすることではありません。