事務所を引越ししたときに、捨てずに丸めていた図面をなんとなく開いてみた
懐かしい独立して名前を借りていたときの住宅の図面があった。
昭和44年2月、知り合いの業者から頼まれたかわいい住宅でした。
今見てみると手書きでよく書いていると思う。
「中西邸」のパース
そしてその翌年45年6月には「佐藤功建築設計事務所」として看板を上げて
富田林に「鞍作邸」という名の50坪からの木造2階建ての大きな家を設計させて
もらっていた。
「立面図と平面図」
当時は全て手書きで今のようなキヤドで書けるというような時代ではありません
独立の仕立てで、僕の片腕になってくれた,簑原君、彼はまじめでよく手伝ってくれた
出来立ての事務所で一緒に苦労してくれた。
僕の事務所の設計に関する内容には33年にわたる下水処理場関連の仕事がなんと
いってもウェートを閉めているのですがその半数は彼が手伝ってくれた、今は奈良で立派に
建築事務所を経営しているようだ。