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ここ何年も、真夏の氣温が連日35℃を超えるのは
既に当たり前となっている。
僕の子どものころは、夏休みは30~31℃が多くて、
たまに33℃が来ると驚いてたものだけど。

これはもう、異常氣象という他ない。
化石燃料や原発により大氣が暖められても、
それを海が吸収してきた。
大きな氣温の変動は見られず、温暖化はウソという言説
さえあるけれど、海水温は上昇している。
もっとも、東京の年平均氣温は50年で1度、100年で2度という
早さで上昇していて、これはコンクリートや高層ビルの影響も
加わっていよう。

海は浄化装置として地球の環境や生態系を安定化してきたが、
いよいよ異常氣象が表れてきたのは、海にも限界が来ているということ。

それを肌で感じたのか、2010年から海で泳いでいない。
あんなに好きだった海水浴だが、海を前にして、
なぜだか入る氣になれなくなったのだ。

ストレスを解消し、癒されに海に行く人は多いが、
今や人が、海のためにできることを講じないとならない
時期に入っている。

みなみな、生活=仕事に精一杯で、それが未来の環境、
子どもたちや生きものにとって何らかの負の遺産となるや否やを
考える内観も持たず、現在の法律に違反していないだけの
拠り所から、ただがむしゃらに、お金や面子や
同調圧力や惰性の中で突き進んでいる。

もっともっと、半ばまどろんでいるような、ほわわ~んとした
時間を暮らしの中に採り入れて、本当にそれが
地球のよろこぶことなのかを、同じ地球の生命体として
親の感覚とひとつになって感じることをしなければ。
そうでないと、無条件に生かされていることへの
感謝と恩返しを生きること能わぬのではないか。

頭でスピーディーに、理屈で判断するのではなく、
答えがでなくても、0でも1でもない、はじまりのはじまりの
視点から、そもそもそれが必要なのか、そう考えたい理由は
誰かの利益になるのか、あるいは単に自らのおそれから来ているのか、
深く掘りこんで、もっとシンプルに氣楽に、
だけどあらゆる命に対して優しくあるように、我を捨てて、
天意に沿った寛容な判断を問うのだ。

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