へそ曲がりの真っ直ぐ日記Ⅱ

反日の中韓と国内の反日マスコミを斬る

特攻隊員の思いと靖国神社…真の慰霊顕彰とはなにか

2017年04月01日 | 報道・ニュース
胸を打つ文章だ。靖国神社の意味について考えさせてくれる。

【葛城奈海の直球&曲球】
事の軽重が倒錯した日本 まともな自立国家になったときこそ「慰霊顕彰」ではないか

http://www.sankei.com/column/news/170330/clm1703300004-n1.html

■桜の季節を迎えた。25日、靖国神社での特攻隊全戦没者慰霊祭に参列した。
 奏上(そうじょう)される祝詞に頭を垂れながら、「自らを弾として、同胞を守らんと」したご英霊たちは、今の日本をどう見るだろうか、との思いが去来した。物質的な繁栄にうつつを抜かし、「平和」を謳歌(おうか)する日本。ひと皮めくれば、少なくとも数百人の同胞が拉致された可能性があり、国土が奪われようとし、先人たちが魂を込めて紡いできた多くの伝統文化が断絶寸前にある。そんな「大事」には目をつぶり、国会は森友学園の問題に多大な時間を費やす。事の軽重が倒錯したこのありさまを、悲憤慷慨(こうがい)されているように思えてならない。

 その2日前、千葉県の陸上自衛隊習志野駐屯地の第一空挺団で研修する機会があり、落下傘部隊の歴史を学んだ。日本陸軍初の実戦での降下は、昭和17年2月14日、インドネシアのパレンバンで行われ、約300人で約1千人のオランダ軍を撃破。戦略上の要衝である空港と製油所の占領に成功した。白昼敵地のど真ん中に降下する兵士たちは格好の的となり、陸から撃たれ放題。生還を期さないという意味で、これもまた特攻であろう。

第一空挺団長の兒玉恭幸(こだま・やすゆき)陸将補によると、この戦果は、各国の軍人たちの間で「ロシアやドイツが始めた空挺作戦を黄色人種が西側の国に対して成功させた」と驚きをもって高く評価されている。
 
この作戦で小隊長を務めた奥本實中尉らの共著として昨年末に刊行された『なぜ大東亜戦争は起きたのか? 空の神兵と呼ばれた男たち』は、当の日本人が知らない先人たちの偉業を伝えてくれる。勇猛果敢な戦いぶりに引き込まれるとともに、日の丸の寄せ書きに大書された文字に目がくぎ付けになった。「本日ノ給養ハ靖国ニ於テス 奥本」
 
特攻慰霊祭では、『同期の桜』の3番の歌詞を初めて知った。その最後は「春の梢に咲いて会おう」。見上げた梢で再会した英霊たちが、心からほほ笑んでくださるのは、彼らの精神を私たちが受け継ぎ、日本がまともな自立国家になったときであろう。その実現こそが、最大の「慰霊顕彰」なのではあるまいか

                  ◇
【プロフィル】葛城奈海
 かつらぎ・なみ やおよろずの森代表、防人と歩む会会長、キャスター、俳優。昭和45年東京都出身。東京大農学部卒。自然環境問題・安全保障問題に取り組む。予備役ブルーリボンの会広報部会長、林政審議会委員。著書(共著)に『国防女子が行く』(ビジネス社)。■

ちなみに「同期の桜」の歌詞は次の通り。
https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E5%90%8C%E6%9C%9F%E3%81%AE%E6%A1%9C%E6%AD%8C%E8%A9%9E&*&spf=377

貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
みごと散りましょ 国のため

貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
血肉分けたる 仲ではないが
なぜか気が合うて 別れられぬ

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
仰いだ夕焼け 南の空に
未だ還らぬ 一番機

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
あれほど誓った その日も待たず
なぜに死んだか 散ったのか

貴様と俺とは 同期の桜
離れ離れに 散ろうとも
花の都の 靖国神社
春の梢に 咲いて会おう

(これだと「春の梢」の歌詞は5番になっているが)

安倍首相の昭恵夫人についていろいろ言われているが、批判側の左翼に対して、八幡氏が皮肉交じりに反論している。左翼のご都合主義、二重基準は見るに堪えない。

昭恵夫人、ファーストレディは立場であって仕事ではありません『八幡和郎(評論家、徳島文理大教授)』
http://ironna.jp/article/6138?p=1

 ■妃殿下や首相夫人というのは一体どんな存在なのか、私はつくづく不思議に思える。皇族の男子は日本国統合の象徴である天皇ないしその近親であり、皇族としてふさわしい役割を果たすべく幼少期から特別の教育を受けてきた。しかし、妃殿下はたまたま皇族の男子から結婚相手として選ばれただけであり、極端に言えば数週間の速成講習で誰でもなれてしまう。

 一方、首相は国会議員として選ばれ、さらにその中から一国の指導者として互選されなければならないが、首相夫人は選挙に出るわけでもないし、互選されたわけでもない。
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籠池氏の証人喚問があった23日の夜、夫人はFacebookに見解を掲載した。曖昧なところを残さずに、明確に立場を明らかにされたことは結構なことだ。この内容について検証し、事実と違う部分が多数出てくれば、そのときは証人喚問などが議論されるべきというのがバランスの取れた考え方だ。

 安倍首相が自分や夫人がかかわっていたら辞めるなどと言ったから大事になっているが、100万円の寄付を渡していたとしても何が問題なのか。昭恵夫人が世間知らずのお嬢様というだけのことではないか。

 私は、極端でなければ首相夫人が首相とは少し違うポジションで社会的な活動をしてもいいと思うが、都合の良いときだけ「共同責任」を持ち出して攻撃するのは良くないと思う。一言で言って卑怯だ。首相夫人としての立場を露骨に利用して行ったのでなければそれほど強く非難すべきことでもない。

 昭恵夫人が幼稚園の名誉園長だったことで首相まで攻撃されているが、ならば夫人が辺野古に行ったり、反原発派などの人々と交流したり、韓国に融和的な態度を示したり、安倍首相とズレがある行動はやるべきでないという「論理的帰結」になる。

 ただし、現実にこのように政治利用する人が出てくるとなると、首相の反対派を喜ばせているような振る舞いも含めて、独自の活動は全般的に抑制してもらわざるを得ないかもしれない。要は、口の上手な危ない人と付き合わないほうがいいというのは確かだ。百戦錬磨のワルどもを相手に感性で動くのは、首相夫人にふさわしくない。

 それから蛇足だが、東京都の小池百合子知事も左派系マスコミの「声援」にいい気になっていると、いつか昭恵夫人と同じ目に遭わないか心配である。彼らは上げてから落とすのが「得意」なのだから。


昭恵夫人の「善意の軽率」も問題だが、左翼の政治利用は薄汚く、醜い態度である。それが左翼のいつもの手口なのだ。