ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

秋の煎茶会のお軸は、茶の効能を詠いあげた茶詩 【一茶庵稽古追想】

2021-10-24 11:36:05 | 一茶庵「易社」

煎茶会に掛けられていたのが、写真にあるお軸。漢字で埋め尽くされている。

さっぱり分からないので、本番前に解説してもらった。

分かったことは、茶の効能を巧みに歌い上げた茶詩、ということ。

茶の歴史の中でもっとも偉大な茶詩の一つということだった。作者は、唐の時代の「盧同(ろどう)」。

 

 

書かれているのは中国茶の効能。その一部を訳すと

 

一碗飲めば、喉を潤し。

二碗飲めば、孤独もなくなる。

三碗飲んで、俺のはらわたの中を探ってみると 文字五千巻が浮かんでくる。

四碗飲めば、軽く汗ばみ 平素の不満も毛穴から散っていく。

五碗飲めば、肌も骨も清らかに。

六碗飲めば、仙人にもなった気分でいられる。

七碗で、もうこれ以上飲めなくなり ただ、両脇からそよそよと清風が起こるだけ。

 

 

煎茶は、この茶詩に従ったのか、仙人にもなった気分を楽しむために六煎まで淹れることが多い。

今回の煎茶会では四煎だから、平素の不満を解消して帰っていただけたはずである。

 

リポート&写真/ 渡邉雄二 トップの写真/ 茶詩画像より転載

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独り茶は、「鶉鳴く」心境と重なる 【一茶庵稽古追想】

2021-10-06 14:14:24 | 一茶庵「易社」

 

この季節に俳諧などで登場する鳥といえば「鶉(うずら)」がある。

うずらの卵は食材として一般的なものなので馴染みはある。

しかしながら、現在では鶉自体を見かけることはほとんどない。

その鶉の鳴き声は、特徴があってどんな鳥の声よりも勇気凛々となると言われている。

その鳴き声は勢いよく「チッカッケー」と鳴いているようにも聞こえる。

 

 

この鶉が煎茶稽古の題目だった。今回も漢詩ではなく、

万葉集から大伴家持や藤原俊成の短歌が “雁が音” のつまみとして取り上げられた。

家持が紀女郎に、自身の想いを短歌にし贈った歌がある。

「鶉鳴く 古りにし里ゆ 思へども 何ぞも妹に 逢ふよしもなき」

鶉の鳴く古びた里にいた頃から想い続けていたのに、どうしてあなたに逢う機会もないのであろうか。

そして藤原俊成が、[夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉鳴くなり 深草の里]

と男に捨てられた女が鶉の身に化身して寂しげに鳴く晩秋の夕暮れの深草の情景を詠っている。

いずれも「鶉鳴く」という、荒れ古びた土地の形容で、男と女の悲恋を表現している。

そして鳴くことで寂しさがより誇張される。

 

この季節に独とり飲むお茶は「鶉鳴く」心境と重なり合う。そんな晩秋の一夕に想いが膨らむ。

 

 

 

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蝉一匹から王安石の心情を読み取る 【一茶庵煎茶追想】

2021-07-26 15:51:30 | 一茶庵「易社」

 

夏の風物詩という言葉が妥当かどうかわからないが、蝉の鳴き声で目が覚めることがよくある。

うるさい、といえばそれまでであるが、短い命を精一杯表現しているかのように思える。

そして夏のおとずれ知らせてくれる。

 

そんな蝉の違った喩え方やストリーを中国の古典から学ぶこともある。

煎茶稽古で、掛けられていたお軸からー

 

今夜(先日)のお軸は、蝉が一匹。

漢文漢詩的には、蝉はこの時期によく登場する題材の一つである。

中国では秋蝉(しゅうせん)といわれ、騒がしい比喩として使われ、

また地中から出てきたセミは復活の象徴とされている。

玉(美しい石)などをセミの形に彫り、復活の装飾品にしているのもあるという。

 

 

そこで、今夜のお題で登場したのが、北宋の政治家であり文人として名を馳せた王安石の「題西太一宮壁」。

漢詩としては珍しい六言絶句である。

 

柳葉鳴蜩綠暗,

荷花落日紅酣

三十六陂流水,

白頭想見江南

 

非常に高いレベルの詩のようだが、われわれにはその凄さはなかなか読みとれないが、訳すならば、

 

柳葉鳴蜩緑暗

柳の樹でセミが鳴き、柳の葉が色濃く繁り暗くなっている。

つまり、騒がしい批判の声があがっており、鬱陶しい。そんな時期の暗さを表現している。

 

荷花落日紅酣

蓮の花は、沈もうとする太陽に花が紅に染まっている。今は絶頂期であるものの、やがて衰退期を迎える。

 

三十六陂流水

三十六の湖沼が四方八方に広がって流れている。

 

白頭想見江南

これを見ると故郷の江南を思い浮かべ故郷を連想する。そこで隠棲したいものだと想いを馳せる。

 

 

ということになる。

蝉を引用しながら一節ごとに、柳の草色、太陽の赤、流水の水色(茶色?)、

そして白髪の白など、文字で色を表現し楽しんでいる詩である。

人生の終焉には故郷を偲ぶのは人の常なのかもしれない。

 

蝉が一匹しか描かれていないお軸も珍しい。

煎茶を愉しむ人たちは、お軸を見ながら描いた人の意図を読み取り想像し話題を広げ楽しむのである。

小難しいあそびと思いながら筆者のような頭の固い者には頭の体操になっていいのかもしれない。

そこで、稽古ではこのお軸から「王安石」の題西太一宮壁を連想。佃宗匠らしい計らいである。

お茶は、やはり雁が音ということになる。

 

※この記事は2018年9月「心と体のなごみブログ」に掲載したものを加筆し転載

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間違いが故事に。「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」 【一茶庵 稽古追想】

2020-10-31 13:37:23 | 一茶庵「易社」

お軸(写真)に、このような詩が書かれていた。

幾日霜風木葉乾,湖山深處水雲寬

閒情每向無人得,落日孤亭枕石寒

 

風や霜がおり木の葉は乾き、

深い山、湖に雲が広がる。

この広いところに人の気配はない、

日が暮れひっそりとした小屋で石の枕が寒々しい。

 

この詩から想像すると、旅人が野宿に立ち寄ったのか、あるいは誰か寂しく隠棲しているか。どちらにしてもその情景が浮かんでくる。

中国の故事に、「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」という熟語がある。この意味は、自分の失敗を認めず、屁理屈を並べ言い逃れをすること。負け惜しみの強いこと。という意味である。

この言葉は、三国志に登場する西晋の政治家である孫楚が間違って、「枕石漱流」というべきことを「漱石枕流」と言い、間違えを認めず屁理屈を並べて言い逃れたことから、この「漱石枕流」がそのまま故事として使われるようになった。

ご存知、夏目漱石は、この故事を引用し、雅号とした。漱石自身も、名前につけるくらいこの故事が気にいっていたことになる。つまり、漱石自身も頑固で屁理屈が好きな人だったのかと想像してしまう。

煎茶の淹れ方の基本である、水から茶葉を煮る「煮茶法 」、湯から茶葉を煮る「烹茶法」、そしてその中間の「中煮法」がある。

それぞれの淹れ方で、秋月の輝きと美しさを想い浮かべながら夜長を楽しんだ。

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"継承"するということは? NHKラジオ 佃一輝

2019-06-15 13:01:23 | 一茶庵「易社」

以前にも紹介した、煎茶の一茶庵宗家の佃一輝宗匠がNHK日曜カルチャー講座で                                                                                  「人間を考える [継承していく]ということ」を題目に話をされた。 

その内容がYou Tubeにまとめられ紹介されている。ご興味のある方は、ご視聴ください。

https://www.youtube.com/watch?v=WE-Z1CouCcc

 

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