自分のことをネコと信じている人間と一緒に暮らす

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“ネコ”交通事故に遭う

2009-11-30 22:19:09 | ”ネコ”と暮らす
18時半すぎ携帯がふるえる。
画面には“ネコ”の名前。

なんじゃ?何の用だ?と思って出ると、別の女性の声だ。
「○○の△△なんですけど、奥様が職場を出たところでバイクに接触して・・。
これから救急車で搬送されるところなんですけど」
「どんな状態ですか?」
「一時意識がなくて・・・」

とりあえず、職場の方向の電車に乗る。
でも、現実感がない。
そんなに慌てていない自分がいる。
だが、電車の中であれこれ色んな事態のことを想定していると、突然、空恐ろしい気持ちにおそわれた。

自分には、“ネコ”以外だれもいないのだ。

今、自宅でこの文章をつづっている。
幸い、頭部の皮下出血だけだったようだ。
一応、24時間、様子を見るということで、“ネコ”は入院している。
「自転車だと思って・・」と彼女は言う。
横断歩道の手前に止めてあった車の陰から走ってきたバイクに引っかけられたらしい。

頭部以外には外傷もなかった。
とりあえず一安心だが、電車の中で味わったあの恐怖感~「自分は一人だ」という漆黒の宇宙に投げ出されたような感覚は、しばらく消えずに残ることだろう。

もっと二人で遊ばなくちゃ。



久しぶりのショッピング

2009-11-29 22:32:46 | ”ネコ”と暮らす
「鬱っぽい」と“ネコ”が言う。
ウツに理由はない。
ただ、楽しくない、楽しいことがこの後ありそうもない、ということだけだ。
もうひとつ、定年後、やりたいことが見つからない、ということもある。

買いたいといっていた、そのブーツを買いに行こう、と表参道に誘う。

久しぶりの都会。
地下鉄の駅でいきなりおしゃれなカフェに吸い込まれてしまう。
クロワッサンとサンドがおいしい。
やっぱり都会?は違う。

表参道ヒルズ。ちょうど開店時間。
夜遅いから、開店時間も11時なんだね。

オーストラリアなんとか、という店にたどり着く前に、陶器など食器などを扱う店に引き寄せられる。
前から買い直さなくちゃといっていた醤油さしやら、蒸し鍋用の中皿などに惹かれる。

ブーツの方は、皮が柔らかくて楽そうだけど、履いている内に伸びそう。
でも、「足が痛い」といつもこぼしているから、物は試しとお買い上げ。

先の食器店に戻って、一輪差も加えて、これまたお買い上げ。

その後、表参道のソフトバンク直営店で2時間かけて3Gの携帯に変更。
ようやく懸案事項を解決する。

「これでよかったのかわからないけど、でも、片づいてホッとした」と“ネコ”。
「久しぶりのショッピングも楽しいね」
映画とか芝居でなくて、ショッピングに出かけて衝動買いをしたのは、いつ以来だろう。

幸せな一日だった。ほんとうに。

「全日本学生音楽コンクール~ピアノ中学校の部」(みなとみらいホール)

2009-11-28 08:03:44 | 横浜の文化芸術
昨年から横浜で定点開催することになった音楽コンクール。
今年で第63回とか。

昨年はフルートだったが、今年は、ピアノ部門中学校の部を覗く。
全国から集まった生徒は12人。
以下私の採点。

第1位  石田啓明(リスト:超絶技巧練習曲集第7番。ショパン:スケルツォ第3番)  
         95点。鍵盤の底まで音を鳴らしきっているのがすごい。大人の演奏。
第2位  小林海都(シューマン:ピアノソナタ第2番から第2,3,4楽章)
         85点~90点。派手さはないが、音楽が美しく流れている。心が洗われる演奏。
第3位  西川凌(バッハ:半音階的幻想曲とフーガ)
         85点。グールドを想起させる異才。各声部がくっきりと浮かび上がる。
第4位  反田恭平(リスト:メフィストワルツ第1番)
         80点~85点。技巧に優れるが、音楽としてはこれからか。

という順位。
さて、渡辺健二氏以下、プロが審査した結果は、

第1位 石田啓明
第2位 反田恭平、西川凌
第3位 小林海都

ちょっと自慢したい気分である。
競馬だったらけっこうな稼ぎになりそうだ。

音楽として一押しなのは小林クンだが、こういうコンクールではちょっと不利なのかもしれない。
会場の外で見る出場者は、みんな子ども子どもしていて、いつものことながら、その落差に驚く。
       

「デッド・キャット・バウンス」クリス・コンディック。フェスティバル・トーキョー)(

2009-11-27 08:40:39 | その他の文化芸術・エンタメ
今年はじめのリミニ・プロトコルがおもしろかったので、今回もちょっと変わった演目を選択。

「観客が支払ったチケット代を原資にした、90分間の投資ゲームショー」とある。
ちょうど空いているロンドン市場とWEBでつなぎ、観客の意思も確認しながら、株をリアルタイムで売買する。
観客は105名。投資額は324,831円だ。
これが”演劇”か、と問われればなんとも答えに窮するが、目の前で行われていることが、
素のままなのか、演出なのか、ちょっと判断に迷う場面は多々ある。

舞台(?)には、小学生用の机とソファ。
机の上には、パソコン、マイク、花、コーヒーカップなど。
ずっと電子音の音楽が流れ、ナマのベースが絡む。
出演者は、ベーシスト以外に、外国人4名と通訳を兼ねた日本人ふたり。
白髪の外国人は、その発声から推測して、あきらかに役者だが、その他の者は、素性すらよくわからない。
日本人の女の子は、時折芝居じみた騒ぎ方をする。役者かな?
男性は、メモのとり方からして、通訳っぽいが、これもあやしい。

最初にコメント。
「きょうの主役は、チケット代です」
これは、途中、映像で登場した経済学者長原豊氏の
「僕たちの年金はもう僕たちの目の前になくて、世界中を徘徊している。僕たちの知らないところで動いている。お金に縛られている僕たちは、もはや僕たちではないのです。僕たちの生は僕たち以外の論理で動いているのです」
という言葉につながる。

この演劇のテーマは、「いまやマーケットが社会のすべてになっている」ということを体感させることにあるのだろう。
私たちは、意識するかしないかに関わらず、あるいは、市場原理主義をいくら批判しても、マーケットにからめ取られているのだ。

だが、目の前のグラフがリアルタイムで動き、売買価格が分刻みでアナウンスされる90分を経験すると、自分もパソコンを並べて、投資をしてみたくなる。

4500円の出資(?)で38円を儲けたから、なおさらだ。
この時代に90分で1%近いもうけだよ!。
450万円出していれば、時給3万円。日給21万円、月給420万円、年収約5千万だよ!
・・・なんてね。

ドバイ危機の当日だったので、底値から急激に立ち上がる株価罫線を見ながらの、面白い経験だった。

ちなみに標題は、死んだ猫でも建物から落とすと、一度は跳ね上がるという意味。
今のマーケットは、その跳ね上がった時だ、というわけだ。

おそろしや!


「近藤良平と障害者によるダンス公演~突然の、何がおこるかわからない」(さいたま芸術劇場)

2009-11-21 19:52:11 | その他の文化芸術・エンタメ
なんか、とんでもない物を見た気がする。

障害者とのワークショップの発表会なのだが、コンドルズそのものなのだ。
コンドルズは、一応ダンスカンパニーとなっていると思うが、
実際に人並みに踊れるのは近藤だけ。
実態はお笑いパフォーマンス集団だ。
普通、舞台というのは、常人ではできないことを見せつけることによって、
お金のとれるプロとして拍手喝采を受けるものだが、
彼らは、不器用でドジな奴、ふっとちょ、おしゃべり等々、どこにでもいる連中が、
自分を相対化し、弱点を逆手にとって笑いをとることによって、
他の誰でもない絶対的な自分を獲得するという、逆説的な存在だ。

障害者といえども、近藤は、1時間20分、同じ構成で観客の目を惹きつけた。
メンバーは、近藤のほか、コンドルズの藤田善宏、バレエの鹿野沙絵子(きれいでうまい)、
そして障害者11人。
障害は様々、自閉症、脳性マヒ、ダウン症、下肢麻痺など。

コンドルズの手法に則って、弱点をさらけ出すのだから、
脳性マヒの子どもに自作の川柳を読ませて、
「何言っているかわからないですね」とツッコミを入れたり、
足しか動かない子を背中から抱えて、音楽に合わせてバタつかせさせたり、
ダウン症の子に藤田が体をあずけて、会場からホーッという声を引き出したり、する。

ジェスチャーをさせて、観客に何をしているのか当てさせる場面もあるが、
障害者のポーズだから、わかりにくくて、なかなか正解にたどり着かない。
そうやって、障害者であることをあえて観客に強調する。
半ばタブー視されている性の問題についても隠さない。
鹿野にエロティックなポーズをさせて、それを興味深そうにのぞき見させたり、
恥ずかしそうに視線をそらさせたり、もちろん健常者ではあたりまえのことだが、
見方によっては、障害者の性的関心をさらしものにしている。

だが、パフォーマンスをしているメンバーは皆楽しそうだ。
もちろん会場は笑いの渦。
結果として、障害者であることをいつの間にか忘れて、
”コンドルズ”の公演を楽しんでいる自分に気がつく。

超絶的な技巧などどこにもないが、
自分の身体を精一杯使って、”表現”している点では、
オリジナルコンドルズと何もかわりはしない。
表現することによって障害を相対化し、観客の笑いをとることによって、
自分という存在を確認しているのだ。

近藤は、そういう意味で、まったくふだんの公演と同じことをやっている。
スクリーンや照明、音楽の使い方も同じだし、手も抜かない。
障害者が演ずるからといってレベルを下げない姿勢と、
いつものオープンマインドと純粋さによって、
彼らの信頼を得ているからこそ、
障害をさらけ出させ、笑いをとることが可能になったのだろう。

すごい公演だった。
チラシには、「コンドルズより、おもしろくなるんじゃないですか」という近藤の言葉がある。
「あなたの魂をゆさぶる実験的怪作、解禁!」とも。
看板に偽りはない。

開演に先立つ上田埼玉県知事との対談で、
「振付をしたんですけど、(障害者なので)うまくいかないんですよね」
と近藤は言っていたが、実際にやってみて、
本当は「してやったり!」と思っているのではないだろうか?