石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 甲賀市甲南町杉谷 杉谷墓地(伝・金蔵寺跡)宝篋印塔

2013-11-12 00:02:05 | 宝篋印塔

滋賀県 甲賀市甲南町杉谷 杉谷墓地(伝・金蔵寺跡)宝篋印塔
新名神高速道路甲南インターの北方約1km、集落西方の山手、広域農道の南杣トンネル東坑口の東方約200m程のところ、南東方向に開けた見晴らしのよい丘陵尾根に墓地がある。05墓地の入口近く、二段に整地して石仏や石塔がずらりと並べられた一画がある。池内順一郎氏によれば、この付近は地元で金蔵寺という寺院跡と言われているとのことである。01下段の中央に一際立派な宝篋印塔があるのが目に入る。花崗岩製。相輪を亡失し、笠上までの現存塔高約113cm、基礎下には隅に間弁を配した複弁4葉の反花座がある。相輪が揃っていた当初は6尺塔であったと思われる。反花座の幅約76cm、高さ約15cm、上端受座の幅は約60.5cm。反花座の下端は土中に埋まっている。反花座の蓮弁はややふくらみが目立ち、間弁が受座近くまで深く入るが彫整はシャープさに欠ける。基礎は幅約59cm、高さ約38.5cm、側面高は約29cm。02斜面で隠れた背後側は確認できないが視認できる三方向は素面。おそらく四方とも素面と思われる。基礎上2段で基礎段形の上段幅は約36cm。塔身は高さ約28.5cm、幅約29
cmでわずかに幅が勝る。径約24cmの線刻の月輪内に金剛界四仏の種子を陰刻している。文字は小さく彫りも弱い。03_2塔身は笠や基礎に比べると風化磨滅がきつく、かなり見えにくいが、現状正面がアク、向かって右がキリーク、左がウーン、背後がタラークである。種子は到底雄渾とは言いがたい弱いタッチであるが、近江の宝篋印塔にはこうした弱い種子の事例は少なくない。笠は上6段下2段で、軒幅約55.5cm、高さ約46cm。軒の厚みは約6.5cm。隅飾は高さ約16cm、基底部の幅約17cm、二弧輪郭式で、軒からわずかに入って立ち上がり、2cm弱直線的に外傾する。隅飾の輪郭内の彫りは浅く素面。隅飾の両先端の間隔は約58.5cm。笠上端の幅約22cmで枘穴は径約10.5cm、深さ約8cm。笠下端幅約35.5cm。笠上にボリュームがあってやや重々しく感じられる。隅飾に幅があって低いせいもあるが、笠上の段形の軒から二段目までの段形の奥への彫りの行き方が不十分で、立ち上がりが直角にならずに前傾ぎみになっている。上半の段形は概ね普通に角を作っているが、下二段が前傾ぎみになった分だけ幅が広くなるのに合わせて三段目以上も大きめになってしまう。結果的に笠全体が少々頭でっかちになってしまっている。しかし、塔の正面観はそれなりに重厚感があって整って見える。04これは基礎側面高をかなり低くしていること、塔身を挟んだ基礎上と笠下の段形は割合に普通に作っていること、それに基礎と笠石に比べ塔身をやや小さめにすることで全体のプロポーションにメリハリを利かせているためだろう。造立時期について、田岡香逸氏は鎌倉時代末頃(ただし田岡報文は少し文意が通りにくい難点があるので前後の脈絡から推し測ってのこと…。この点は池内氏の指摘あり)、池内順一郎氏は南北朝後期から室町時代初期にかけての頃と推定されている。遠目に見た塔姿は整って重厚感すら感じられるものの、近づいて笠上の段形や隅飾の様子、反花座の蓮弁、塔身の種子を観察すると手法的に退化傾向が表れていることが見て取れる。それだけ時代が下ることを示していると考えてよいだろう。やはり鎌倉時代にまで遡らせるのは難しいと思われ、池内氏の説どおり概ね14世紀後半から末頃の造立と考えて大過ないものと思う。
なお、周囲に並べられた小型の石仏にも室町時代末頃であろうか、中世に遡るものが多数含まれ、一石五輪塔や小型の五輪塔や別の小型宝篋印塔の残欠などがいくつか集積されている。相輪上半部分の残欠も見られたがセットになるものかどうかはわからない。
宝篋印塔の向かって右隣にある石塔は現状地上高90cm程の自然石の先端を山形にし、平らに整形した表面に高さ約60cmの橋の欄干にある擬宝珠柱のような形を薄く彫沈めている。立体的な石造擬宝珠柱(仮称)は時々墓地などで見かけるが、これを平面的に表現したものかもしれない。墓地で見かける石造擬宝珠柱(仮称)について不勉強で詳しくないが、このように浅い平彫りで平面的に表現したものはほとんど見かけない。かなり珍しいものと考えられる。造立時期は江戸時代であろう。

 
参考:田岡香逸「近江甲南町の石造美術()」『民俗文化』第61号
   池内順一郎『近江の石造遺品』(下)

 
文中法量値は例によってコンべクスによる略測値ですので多少の誤差はご容赦ください。
この宝篋印塔も含め杉谷の勢田寺や正福寺、竜法師の金龍院、水口町杣中東光寺等々…新名神高速の甲南インターで降りると割合至近距離に見るべき宝篋印塔がたくさんあります。里山の風景を切り裂くように巨大な橋脚がぬっと現れる新名神ですが、開通によって交通の便がよくなってこの辺りもずいぶんアクセスしやすくなったのは確かです。基礎側面素面で近江にあって近江らしくない宝篋印塔たちですが、大和や伊賀に近いせいでしょうか…。多くが反花座を備えている点にも注目しなければなりません。