耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

年間15万の“変死体”~ほとんど検死なしで処理する警察

2008-09-26 11:04:00 | Weblog
 「捜査権力」に関しては幾度か書いたが、近年の警察・検察は国民のために存在するのか、自らの組織ないしは組織人の保身のためにあるのか、どうみても後者のためとしか思えない事案が続発している。しかも、この異常な「捜査権力」の暴走を追認する裁判所もまた異常と言わざるをえない。

 近年では富山痴漢冤罪事件、鹿児島県議選冤罪事件を知らない人はいないだろうが、静岡の「袴田事件」は初審地裁で死刑判決を下しながら後にそれが誤りであったと名乗り出た熊本典夫元裁判官の証言を無視、また高知県の「白バイ事件」では有力な反証の証拠・証人が多数存在するのにこれを取り上げようとせず、最高裁はいずれも警察・検察の言い分を認め被告人の上告を棄却した。いま、両事件とも被告人側では再審請求に取り組んでいるというが、近年、警察・検察・裁判に?マークが多いことは否めない。佐世保の猟銃乱射事件や長崎市長殺害事件も、事前に市民からの通報がなされていたのに警察は動かなかった。明らかに警察の失態だが、彼らは決して非を認めようとはしない。

 こうした司法への不信感が増幅するなか、『ヤメ蚊』(弁護士)さんのブログで「変死体を病死ですませる警察を放置しておいて精密司法だなんてちゃんちゃらおかしい」と題する記事が目についた。

 <取調べの可視化、いわゆる取調べの録画をしようという民主党案にたいし、警察側は、「そんなことじゃぁ、治安が維持できない」と反対している。しかし、本当に、世界では常識になっている取り調べの可視化を拒み、被疑者の人権を侵害してまで、治安維持を図ろうという決意があるなら、なぜ、変死体の解剖をしないで病死として取り扱う現在の状況を放置できるのだろうか?変死体をきちんと解剖しもしないで、事件をつぶしている「組織」に取り調べ反対の意見をいう資格はない。>

 『ヤメ蚊』さんはこう言って、医療事故情報センターの総会記念シンポジュームでの岩瀬博太郎・千葉大大学院医学研究院法医学教授の話を紹介している。

 <同教授によると、年間15万人が変死しているが、監察医制度のない地域(東京23区、大阪市、神戸市、横浜市を除く地域)では、変死を解剖する割合は、わずか4%だというのだ。いいですか、4%ですよ。残り96%は、解剖すらされないで病死で始末されているわけだ。また、監察医制度のあるところですら、20%に過ぎない。イギリスで60%、アメリカで50%が解剖されていることと比較すると、いかに、日本で事実解明をする姿勢がないかがわかると思う。…
 
 岩瀬教授によると、アメリカやヨーロッパでは、死因がわからない死体はまず解剖し、事件性があるかどうかを判断する。ところが、日本では、警察がみて犯罪性の有無をまず決めてしまうのだという。本当に非科学的だ。警察は神様かい!
 
 しかも、警察が犯罪性がないと判断した場合に行うことができる「行政解剖」(これに対し、警察が行う場合は「司法解剖」といいます)の予算が信じがたいくらい低く、千葉では400万円だという。これは、10体分の費用にしかならないらしい。>

 同居人のいる自宅で死亡した場合でも、医師が立ち会って病死と認めないと「変死」扱いとなり、警察が来ていろいろウルサイという話はよく聞くのだが、ここに書かれているような実態は知らなかった。しかも、次の実例を聞けば誰でも驚くだろう。

 <また、岩瀬医師は、パロマ事件を例に挙げる。2人の男女がパロマガス器具で一酸化炭素中毒死する5ヵ月前に同じ部屋で29歳の男性が死んだケースがあった。この29歳の男性の遺族は、一酸化炭素中毒を疑い、司法解剖をしてくれと頼んだが、風呂場で死んだ死体は犯罪とは関係ないから司法解剖はいらないということで、そのままにした。その結果、5ヵ月後に2人が死ぬはめに陥ったというのだ。 岩瀬医師は、パロマで何十人かが死んだことについて、警察のせいであるとはっきり指摘している。警察がしっかり動いていれば、パロマの問題が発覚していたはずだというのだ。>

 いやはや、いたるところで国の屋台骨がシロアリに食われている。国はやるべきことをやらず、無駄なこと(当地でいうと、諫早干拓・長崎新幹線・西九州道・米軍思いやり高級住宅等など)にばかり力を入れているわけだ。


 もう少し話を判りやすくするため、元東京都監察医務院長だった上野正彦著『死体は語る』(時事通信社)をみてみよう。次の話は、先のパロマ事件とは若干質が違うが、「解剖」の重要性を教えている。

 <…幼女がはいはいしていて、石油ストーブにぶつかった。運悪く熱湯の入ったヤカンが彼女の背中に落ちて大火傷(おおやけど)を負った。救急病院で手当てを受けたが、一日足らずで死亡した。
 母親は狂乱状態であった。担当医は火傷死という死亡診断書を発行した。父親は区役所に死亡届を提出しに行ったが、このような外因死(熱湯という外力作用による死亡)は一般の医師が診断書を発行しても正式のものとは認められず受理されなかった。
 法律があって、医師は警察に異常死体(変死)の届出をすることになっている。とくに監察医制度のある都内では、警察官立会いで監察医が検視をするのである。 なぜならば、治療に当たった医師は、死因は火傷死とわかるであろうが、どうして幼女の背中に熱湯がかかったのか、その理由まではわからない。家族や周囲の人の話を聞いて、医師が災害事故死などと死亡の種類まで決めてしまうわけにはいかない。
 やはり他人の秘密に立ち入って調べることのできる警察官の捜査によって、どのような状況、原因があったかを調査しなければ、彼女の人権は擁護できないからである。
 父親が区役所で受理されなかった死亡診断書を病院に持ち帰ってきたので、担当医も気がついた。すぐに変死の届出がなされた。>

 その結果、母親が自供したのである。智慧遅れの子供の前途を悲観した母が、過失をよそおって殺そうと、ヤカンの熱湯をかけたのだった。これに類した事件は案外多いと指摘した上で上野正彦氏は言う。

 <なぜこうなったのかはさておき、監察医は臨床医とは全く逆の方向から、医学を見るのである。
 まず死体がある。
 やがて一つの死と、それにまつわるさまざまな事情がはっきりしてくる。
 生きている人の言葉には嘘がある。
 しかし、もの言わぬ死体は決して嘘を言わない。
 丹念に検死をし、解剖することによって、なぜ死に至ったかを、死体自らが語ってくれる。
 その死者の声を聞くのが、監察医の仕事である。…>

 『死体は語る』には猟奇的な死体を含め多くの事例が紹介されているが、これを読めば、年間15万件もあるという「変死」のほとんどが病死扱いされている現実に強い違和感を覚える。つまり、真実の声を聞いてもらえないまま人権を永久に放棄させられた死者たちが、“あの世”で多数彷徨っているというわけだ。彼らの恨みはどこに向かうだろうか……。


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