耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

米国が経済封鎖する“キューバ”に行ってみたい

2008-06-14 14:06:37 | Weblog
 私たちの世代にとって“チェ・ゲバラ”は「理想の革命家」だった。先月、キューバで医師をしている娘のアレイだ・ゲバラさんが来日し、わが国ではその“チェ・ゲバラ”が「復活」している。アレイだ・ゲバラさんの講演は、『リベラル21』で岩垂弘氏が「娘、アレイダが明かした父親像」と題して書いてくれているからご参照下さい。

 『リベラル21』・「チェ・ゲバラはいかなる人間だったか」:http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-369.html

 同時に、「カリブ海の社会主義国家」“キューバ”に関する情報が目立つようになった。1962年、ケネディ大統領の経済封鎖以後、ソ連の支援に頼っていた“キューバ”は、1991年のソ連崩壊によって経済的に困窮を極めている。それでも「スローライフの国」として人びとの注目を浴びるのはなぜか。話題の本『小さな国の大きな奇跡』(吉田沙由里著/WAVE出版)を読んで何となく納得した。

 本書の内容は次の目次から想像して頂きたい。

1.ALWAYS~小さな国のささやかな暮らし
2.奇跡を生んだヒーローたち~小さな国の歩んできた道
3.反・格差社会に生きる幸福~小さな国の生きる智慧
4.祈りとプライド~小さな国の文化と教育
5.世界をリードする医療と国際貢献~小さな国の大きな奇跡

 これに『特別寄稿』としてアレイダ・ゲバラさんの「チェ・ゲバラがつないだ私と日本」が収録されている。

 著者が「時が止まったような国」と驚く貧しい“キューバ”。「なんとまぁ、辛抱強いキューバ人よ!」と“文明人”から冷笑されかねない文明に取り残された生活。古いものを大切に、一つの物を小さく分け合って、自由よりも平等を選択した“キューバ”。これは、本ブログで何度かとりあげた「知足安分」の心にもっともかなった生き方ではないか。極貧の中で、「こんな国は真っ平だ」と思う人びとが“豊かな国アメリカ”目指して手漕ぎの筏で脱出し、わずかながら成功した者もいる。だが、それは例外で、国民の多くは“フィデル・カストロ”を愛しているという。その精神は何に由来するのか。著者は、キューバ独立の使途ホセ・マルティを挙げている。

 <ホセは1853年に生まれ、16歳で第一次独立戦争に参戦し、その後もスペインからの独立やラテンアメリカの米国支配からの脱却を求めて戦い抜いた。1887年にキューバの利権をめぐって米西条約が締結されると、米国の資本が本格的にキューバへ進出し始めた。それにたいして、米国に亡命中だったホセはキューバ国民に警告を発した。

 “米国はキューバを単なる美味しいご馳走としか見ていない。キューバ人にとって、主人を変えることは、自由になることとは違うのだ。”

 ホセはスペインからの独立後の米国の進出を恐れた。そして、ラテンアメリカを北のもうひとつのアメリカと区別して、米国のラテンアメリカ進出を帝国主義と批判し、1890年には著書『我らのアメリカ』を発表した。

 “我らのアメリカについて何も知らない強大この上ない隣国が、軽率な行動に出ることが、我々の最大の危険なのである。この国が進出してくる日は近い。それだけに、我らのアメリカを軽視させぬよう、我らのアメリカを理解させる必要があるのだ。”

 ホセは共産主義者ではない。キューバ独立の暁には、政治的民主主義の上に、社会的な平等を実現しなければならないと強く訴えた。

 “人間を分けたり限定したり、切り離したり、囲いに入れたりすることは、すべて人類に対する罪である。平和は自然の共通の権利を求める。自然に反する差別の権利は平和の敵である。孤立する白人は黒人を孤立させる。孤立する黒人は白人を孤立させるよう仕向ける。人間とは白人、混血、黒人を超えたものであり、キューバ人は白人、混血、黒人を超えたものである。真の人間とは黒人にせよ白人にせよ誠実と自愛を持ち、価値ある行動を喜び、生れた国を尊ぶことに誇りを持って黒人もしくは白人に遇するのである。(『椰子より高く正義を掲げよ ホセ・マルティ思想と生涯』より)

しかしホセは42歳の若さで祖国の独立を見届けることなく戦死した。その後、生誕から100年の歳月を経て立ち上がったフィデル・カストロによって、ホセの思想が息を吹き返すことになる。フィデルは、後述するモンカダ兵営襲撃で逮捕されたとき、指導者は誰かと問われて、「思想的指導者はホセ・マルティである」と毅然と答えた。…>(『小さな国の大きな奇跡』81~82頁、以下<>は同書)

 「キューバ革命」を支えた思想は、マルクスやレーニン、毛沢東らの革命思想にくらべ、きわめて素朴で明快で尊い。ホセが求めた「平等理念」は、こんにちのラテンアメリカ諸国が“市場原理主義”を拒否して“社会民主主義”的社会を追求する精神に乗り移っていると言えないだろうか。

 近代社会とはワンテンポ遅れた“キューバ”だが、平均寿命は78歳で先進国並みの長寿国。これは教育や医療が無料で、貧富の別なく「機会均等」社会であるため、生計上の余計なストレスが排除されているためかも知れない。そればかりか“キューバ”では現在、2万5000人の医療専門家や技術者がラテンアメリカをはじめ70ヶ国で人道支援や医療協力を提供している、という。さらに、1999年、ハバナに「ラテンアメリカ医科大学」が開設され、ラテンアメリカやアフリカ諸国をはじめとした貧困層を対象に、外国人が医師になるための6年間の総合基礎医師養成プログラムが設けられていて、すべて無償で受けられる。また留学のための渡航費や在学期間の宿泊費、食費といった最低限の生活費が保証されている。

 <2001年、フィデル・カストロは制裁を受ける米国にたいしても、黒人コミュニティの深刻な医療問題を危惧して、「米国において医学の学位を得るには20万ドルかかる。我々はそれを支払う余裕がない多くの貧しい若者たちに、奨学金を提供する準備ができている。卒業後は祖国米国へ戻り、貧しき人々に医療を施さなければならないというだけだ」と語っていた。>

 現在、この医科大学では、毎年500人の米国人学生が無料で受講できるよう枠を用意し、多くの米国人がこのプログラムに参加しており、2007年には米国人8名が卒業したという。“アメリカ帝国”の経済封鎖で国民が痛め続けられているのに、寛大というか、「能天気」というか、皮肉というか、それとも米国への当てこすりなのか、他国には見られない“キューバ”のラテン特有の陽気な国民性を示していると思うのは、こちらの思い違いだろうか。

 “キューバ”は、第三世界の貧困層を対象とした医療、教育支援に熱心らしい。たとえば、2005年10月8日朝、パキスタン北部で発生した地震で8万人以上が命を失い、約400万人が被災したが、6日後の14日、“キューバ”は2260人の医療技術者と医師、それに230トン以上の医薬品を送り、30以上のテント製野外病院を作って、7ヶ月間、延べ100万人以上の人びとに治療や手術を施した、という。

 米国の深刻な医療問題を告発したマイケル・ムーア監督の映画『シッコ』(本ブログ07.10.20『映画“シッコ”を観る~米国の病理はわが国に伝染する』を参照)では、最終場面で“キューバ”のなにもかも「タダ」で受けられる医療現場が紹介されていたが、「市場原理主義」国の米国、日本にとっては信じ難い話である。とくに、「後期高齢者医療制度」などという人間の尊厳にかかわる悪政がまかり通り、一方では年間数千万トンもの食糧廃棄を続ける飽食国家の住人には、“キューバ”はぜひとも「行って見るべき国」の筆頭にあげらるのではなかろうか。


 アレイダ・ゲバラさんは「特別寄稿」でこう語っている。

 <…この本に描かれているようなキューバ国民の暮らしが、この国のすべてを語ってくれています。ソ連の崩壊によって訪れたスペシャル・ピリオドと呼ばれる経済難の時代は、私の家族にとっても大変な時期でした。そして、国民は強くなりました。私たちはいつでも、どんな苛酷なときでも、踊ったり歌ったりできるのです。どんなに大変な事態に追い込まれても、冗談を言ったり、笑いを取ったりできるのです。それがキューバ国民です。…

 厳格だった父は、閣僚時代も国民が享受できない利益や快適さを放棄していました。ですから、当時からわが家も、ほかのキューバ人家庭と同様に食料が不足していたのです。そんな父の教育の影響もあるのでしょう。私たちは贅沢を覚えずに、強く生きることを学べたのです。…>

 「足ることを知って、分に安んじる(知足安分)」の国“キューバ”。中南米諸国でアメリカ離れが顕著になっているのも頷ける。

 
 参照「キューバの歴史」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%90%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2