年寄りの知恵袋

若い方々に色んな知識を教えたいと思っています!
実のなる木の剪定方法などを掲載予定です。

NO.5 三峰川奥地のサルの川干し

2015-04-04 06:04:20 | 日記
 NO.5 サル達も魚を食べたい遣り方の工夫で、サルは水の中に入るのが苦手の為か分りませんが?、石の下に多く詰め込んでも水の圧力で流されてしまう為、所が人間はサルよりも知恵が有るために、石の上側に田んぼの畔シ-トの薄いのを、貼り付けるので早く水が止まる為の工夫で一石二兆と言う遣り方!。
 所が三峰川の奥地の昭和電工の工事も終わる頃には、林道が完成した為色んな資材は、大型トラックで、直接運び出せる様に成りました。今現在は岩入りの薙ぎの沢に鉄骨で扉を造り、鍵が掛かって居るので誰も通る事は出来ません。以前の36災害前は伊那営林署の大型トラックに、材木をつんで伊那北の貯木所に運んでいたのに?、奥は国有林で針葉樹林が多く、中にはダケカンバやモミジ等の広葉樹が。

 所何処ろに混ざっている森林地帯の為、夏から秋に掛けて大風等の強い風が、谷から尾根に向かって吹き上がる為なのか分りませんが?、大きな太い木が倒れ掛かると其の重みで、場所に寄っては一山が将棋倒し状態に成るらしく、その昔はそう言う大きな木を人間の手で切倒して、切よき「斧」で枝を払いながら根本から、長さは丈三に切って(丈三とは)例えば家を建てる時の土台から、2階の梁まで届く柱の長さに切って置く、
其の後は空中にワイヤ-を張って集材機の、(エンジン)でワイヤ-を巻き取る仕組みで、トラックに積み込む所まで運ぶ、そう言う方法で材木を運んで居たのに、今現在はそうゆう仕事も完全に辞めて仕舞った感じ。

 国の仕事にかぎらず元長谷の村有林も、今は伊那市有林に成って居ますが、我々が50年以上前に山掃除をして、カラマツを植えたのが今現在は電柱の太さで、高さも電線の位置位に成長して居るのに、最初の説明は森林組合でカラマツは成長が速いから、30年も立てば電注の太さに成長して、電注材に売れるからと言われて皆で植えた、それが今現在は其の太さに成長して居るのに、今現在の電柱は皆コンクリ-トに代わって仕舞って、電柱材には使えないし・家の建築資材にも、ヤニが出るしネジレるからと言って・使用不可能な状態で、山の木を切ってお金に変える仕事は今現在は何処でも行って居ません。

 何時の頃からそ言う様に成ったかと言うと、民衆党の事業仕分けから・公共工事は無だとか、山の木も何か手を掛けるとお金が掛かるからと、何にもしないで放って置けば・良いのに代わって仕舞った感じです。
 東北の福島県の原発被害に多くのお金が掛かるのに、国にお金が無ければ国有林の木を切って少しでも、お金に変える事を考えて頂きたい物です。此れから後も山の木を何にもしないで放って置くのは勿体ないと、俺は何時も思いますが、皆さんは度の様に思いますか?。
 以上です。伊那の山猿

NO.4 三峰川谷の、浦国有林の奥地域物語

2015-04-03 05:45:11 | 日記
 NO.4 三峰川林道も瀬戸の岩盤はトンネルでわ無くて、所何処ろ掘り抜き工法で塩沢間で道路が出来上がり、工事の資材はトラックで坑口まで直接運べる様に成りました。林鉄の方は平瀬からほくその三峰川の鉄橋を渡って東にうつり、林鉄の線路を取り外した線路に沿って進み、小瀬戸谷の脇には営林署の施設が多く有り、本谷の上流側に幅1m位の吊り橋の途中に大きな岩が有って、其の岩の上を利用しながら対岸には、小瀬戸の湯が有りましたが・今現在は有りません。

 小瀬との谷と・東風巻谷の少し手前の林鉄線の山側脇に坑口が有り、東風巻の谷を渡った所に・昭和電工の発電所を過ぎると、次の工事現場の三峰川谷の奥地の荒川谷に行くには、大曲で東から西に渡り個々からは上下左右は特に狭いV字谷の岩盤続きで、すぐ下は綺麗な水が青く深見の状態で流れている巫女淵、500m位行くと・右の岩盤から美味しい湧水が出ている。其処から少し行くと西から東に渡り、その辺が荒川地域と言って川幅が広くて営林所の施設が多く有り、荒川の出会いの三峰川の本谷の鉄橋を渡って塩見岳のふもとの、東谷の水源は塩見岳の頂上に登って見るとよく分りますが。

 静岡県側は山肌がなだらかで、高さ2m位の笹に覆われた斜面で大井川の源流、長野県側の荒川の西谷は水が少ないのに対し、東谷の方は急な斜面で、夏でも雪渓が解けずに残って居るほどの深い谷合で、一気に1.000mほど落ち込んで居るため・水量が非常に多いので、昭電の第一の水の取り入れ口の細工は、ダム式工法では無くて・川の底を深く掘り下げて、コンクリ-トで固めた後に、最初に頑丈なH型工を上下と・真ん中に1本の
合計3本渡して、其の上に平鉄の(板厚10㎜X幅10㎝)を縦方向に20㎝感覚で、電気溶接構造で付けて、その上には鉄金棒を斜めに細かく、網目型に近い状態に組んで工夫を施して有るために。

 大水が出て流木やゴミなどは細工の上を下流に流れて行きますが、水や小石や砂等は下に落ちて溜まりながら.水だけは下流に流れて行く仕組み、溜まった部分は定期的に払う仕組みに成って居る。三峰川本谷の東側の数本の谷合の水も同じ方法で取り込んで、20~30Km上流の仙丈岳の前の本谷も取り込んで、その後は川の西側の谷合も取り込んで、東風巻の山の上でトンネルから出た水が山の斜面を、急勾配の鉄管の中を水が行きよい良くに流れ落ちて、発電機のタ-ビンを回す仕組み、その発電所の水と本谷も取り込んで、東風巻・小瀬戸谷・丸山の南谷と北谷と・塩沢・伊東沢・柏木の南隣の豪沢・中尾の南隣の御犬沢などと、 戸台の赤河原から・雄勝谷・矢後沢など西側の数本を取り込んで中尾の発電所で、電気を起こして全部一所に送電線で大町に送っている。
*皆さんはサルの川干しを見た事が有りますか、俺は36災害以前に荒川の河原で見た事が有ります。石を並べて其の石の下流側に、コケや草等を詰め込んで有る所を見た事が有ります。 NO.5に続く

NO.3 長谷杉島戸草部落の災害

2015-04-01 06:48:02 | 日記
 NO.3 弘法様の馬頭観音当たり一面の赤松林などや、その続きに大きな麦畑が何枚か有ったのが、次々に川に滑り落ちて流れて行ってしまって、高さ200m位は茶色の山肌がむき出し状態に成り、昔は大雨が降る度に川底を洗い流しながら水が流れて居たため、それ程災害が起こら無かったのに、最近の土木工学の発展で至る所にえん堤が出来た為に、その後は大雨が降る度に河底が上がって来てあの様な災害が起きてしまいました。
 
 俺達も昨日来た道が通れないので、草小屋の所の山道をジグザグに80mほど登って、林道(山の斜面に)自動車が通れる道を造る為の仮払いの、斜面を1Kmほど横に通った先の尾根(とがり)の尾根伝いに40mほど下りて、元の道を家に1Kmほど歩いて家に付いた。その後家の下の林鉄線に行って見たら、至る所の田んぼや畑けや山が無く成って何にも残って居ませんでした。次の日は鹿島建設の現場の岩入りの渡場も、かなり広い所に伊那営林署の施設の製版(せいはん)や、多くの材木や軽い物は皆流されてしまい。
 
 林鉄の機関車やトロッコなどは細かい砂や泥で埋まった状態のため、皆で掘り出して元の状態に復活した物の、戸草から下流の林鉄線が全部流されて仕舞った為に、営林所の人達が山の丸太で橋を掛けて、元の状態に戻してから作業を開始、そのご2年位過ぎてからまた災害に有った為、桃の木から戸草の上の道平まで2Km、林道を造り(どうでら)から尾根部分にジグザグに、車道を造り戸草の家の林鉄線の上のなだらかな斜面を、ブルで慣らして渡場を造り営林所は材木をトラックに積んで(ジグザグ道は)尾根部分が狭い土地の関係で、南側のカ-ブはなだらかで回りやすいのに対し、北側は急な斜面で狭くて大きなカ-ブが出来ない為に、大型トラックが一回には回れない為。
 
 切り替え操作を何回かしながらの為、運ちゃんは大変な思いをして上り下りしながら、美和の大明神や伊那北の貯木所に材木を運ぶ、営林署のトラックだけでは運び切れない為に、日通が鹿島建設のセメント運搬の帰りの、空のトラックで応援運搬をしていた、鹿島建設のトラックは林道から、下の渡場まで資材を下ろす事の繰り返し、そうしてようやく両方の作業を開始する事が出来ました。戸草の渡場から上流に500m位進んだ所に、林鉄のトンネル長さ100m、その先30m上流に東から橋を渡って西に線路が移る為、林道の工事も戸草の道平から先は、上から土砂が落ちるので林鉄線の合間に工事を行う様に、工夫をしてお互いに作業を進め、林道工事の方は斜面全体が岩盤の為に、発破を掛ける時は工事関係の女性が、下流側と、上流側に1人ずつ待機して居て合図を行いながらの作業、昭和電工の)大町工場で電気が必要の為の工事ため、災害が起きてから奥の工事を一時中断していた作業も再開し、そうゆう方法で奥の塩沢・丸山谷・平瀬・ほくそなど上流の工事現場にも資材を運べる様に成りました。NO.4に続く、