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台湾の友人のベトナム工場について Ⅳ

2006年05月19日 | アパレル放談
ベトナム人の労働の質的な高さは近隣の諸国に比して優れていると思います。
歴史的にも長い間欧米の影響下にあった関係か、パンやコーヒーなどの食べ物や建築物などにフランスの文化の影響が感じられる。

フランスのブランドにも昔からベトナムでのOEM製品を多く見かけました。
特にインテリアや雑貨とファッション小物のヨーロッパのOEM製品はいいものが多かった。

パリのオートクチュールのお針子サンとしてベトナム人が多く働いていました。

ベトナムの繊維関係に働く人の中にも、ベトナム戦争中に欧米に租界(?)していた富裕層の子息が帰国して事業をしている人も多くいます。

彼らはスマートなビジネス感覚を持っている方も多くいました。

最初にベトナムに行ったのが10年ほど前でした。
その時にはお土産に買うものがなく象嵌の器とベトナムコーヒーを買って帰った思い出があります。

両替して余ったドンを使うのに苦労しました。

3年後に出張した時にはモダンな小物やアクセサリーが沢山あり、ドンが足らなくなりクレジットカードでかって帰った思い出があります。

一時日本もブームになりましたが、アジアエスニックのイメージばかりの商品が中心でしたが、何故かそういう商品が少なかったのが不思議でした。
(最近は変わってきましたが・・・)

ホーチミンのレックスホテルの近くにあったS×S(エスバイエス)というブランドの商品が印象に残っています。
アメリカに亡命時に生まれたシルビアという女性がシルクを中心にアジアモダン(私の造語)感覚で面白い商品を作っていました。
(シルビアによるシルクの意味でS×Sとのこと)
日本の会社が時々輸入して日本展開をしていたようですが、育っていないようです。
インターネットを開くとネットオークションやネット業者の扱い商品になっているのが残念です。(インターネットによるとホテルの近くの店は閉店したようです)
当時は26歳のかわいい女性でした。あれから10年近くなりますが、今はどうしているか?ご存知の方は居られませんか?

K氏の工場のこととは直接関係ない話と、お思いでしょうが、ベトナムの労働の質の高さも歴史、文化の面ともつながりがあると思います。

先のブログにも書きましたが、クチのベトコンがサイゴンに侵攻するときに掘った地下トンネルを見た時にも、ベトナム人の忍耐力に驚きました。
手掘りの地下要塞のようでした。

筋肉マンのシルベスタースタローンのランボーもさすが入れないくらいの狭い穴倉が縦横無尽に交差していました。

どれだけ戦略的な意味があったのかわかりませんが、サイゴン川を地下から侵攻するつもりだったのでしょう。それを考えつきコツコツ(チマチマ)と掘りつづけた忍耐力と団結力には驚かされました。

圧倒的に劣っている装備を技術力、センス(創意・工夫)、忍耐力で対応するのは、どこか縫製工場と相通ずるものがあるように思います。
その意味でベトナムの労働の質の潜在力は高いと思います。

(戦争時代のこと、戦後のこと、戦後復興のことなど、政治体制は異なりますが、何故か日本と共通しているところがあり、妙な親近感があります・・・・?)

日本と同様の良質な労働力が有る点で共通する部分があります。
 
ただベトナム生産の問題は素材(原料の)インフラが無いことと、物流が近隣諸国に比べ悪いことです。
この問題の改善は当面難しいと思います。

この現実問題を前提としてベトナムをどう評価するかということになると思います。

K氏はこの問題について割り切った考え方を持って対応していると思います。

以下次回・・・・。


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