あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

№85 フランス語で俳句 白夜祭 パリ

2016-04-25 15:13:48 | 日記
フランス語で俳句の優勝褒美のフランス旅行も終わりになった。10月3日白夜祭が最後の夜である。この日に合わせてパリで過ごすように言われてその前にアルザス旅行を済ませたのだ。

思えば、昨年の今頃だったか、アンスチチュウフランセ九州「日仏学館九州」のエレベーターの前の掲示板で、この俳句の募集を見たのだった。俳句は選者の好き好きもあるし、選者がどれだけ俳句をわかっているのかも、僕の俳句は大体あまり人が好まないものばかり。だが、ここで逃げるわけにはいかない、数をたくさんでも出せば、落選してもなんとか自分に納得ができる。100句も出せばいいだろうと思って始めたが、途中で面倒になって26句でやめた。エレーヌ先生「僕のフランス詩の先生」に文法など訂正をしてもらって出してあとは忘れていた。
6月頃、いきなりフランス大使館から自宅に電話があって、おめでとう、と言われてびっくりした。パリとアルザス旅行、一週間。それから7月14日の記念日のパーティで表彰式、と褒美授与。それからバタバタの日々だった。パリは2年ぶり、アルザスは初めて。感動の日々はここまで述べてきたとおり。白夜祭とアルザス旅行の印象をネットや文章で広めて、フランスへの観光の推薦を勧めてくれとのことだった。少しは役に立ったと思うが、途中悲しい出来事もあったが、それを乗り越えたい。
しかし今年はそんな催しはないようだ。

これから、フランスへ旅行する人で、10月の白夜祭「ニュイブランシュ」にあたる人のためにすこし紹介する。
前にも述べたが、2009,2010,2011年、の毎年3か月ずつをパンテオンの前の8階の屋根裏部屋で過ごした。スフロ通りに面している。部屋の小さな天窓から、パリ大学法学部、図書館、教会、パンテオンが見える。頭を出すと、スフロ通りを行きかう人びと。そこで2度ほどニュイブランシュを経験した。
パリではしょちゅう、何かの催しがある。あるときは、ゲイの大行進、デモスト、ローラースケートの若者大軍が道を占領、全身真っ白な服装で1000人ほどの若者たちがノートルダム前の広場占領してパーティ、写真週間、記念日の軍の行進などなど。
それで電柱や壁にニュイブランシュ「白夜祭」とポスターが貼ってあってもあまり気にはしなかった。どうせ若者たちの遊びだろうと思っていた。部屋の近くのリュクサンブール公園に大きな気球が準備してあった。夜中にこれを空に浮かべて楽しむのだろう、というくらあいしか思わなかった。その日はわざわざ出かける気にもならず、部屋にいた。夜中、騒音で眠りを破られた。スフロ通り、300メートルほどしかない通りに、3つも舞台ができて、競争で音楽をガンガンやってくれる。枕の下で鳴っている。うるさい、下手の音楽め。
それがこんなありがたいことになろうとは、思っても見なかった。

毎年、音楽や踊りやパフォーマンスのほかに、いろんなモニュメントがパリ中に造られて、それを人が楽しむとともに芸術家たちの腕を競う。そうやって思うと、リュクサンブール公園の夜中の気球も照明を変えたり、音楽に合わせたりして面白かったのかもしれない。またパリの古いきれいな建物はイルミネーションに輝くらしい。メトロも朝まで動く。国鉄の駅舎はどこも古くて、装飾もあでやかで、それをライトアップしてディスコにした年もあったとのこと。僕も浮かれてもっと出かけていれば、面白いモニュメントにも出会えたのだろう。
それで今年は張り切っていたが、旅の疲れもそろそろ出てくるし、次の夜、10月4日はもう出発だ。飛行機の座席も予約したい。一つだけ選らんで見ることにした。

それは素晴らしいものいだった。中国人リュウさんの作品。氷の270本の柱が市役所前の広場にたてられ、それが溶けていくにしたがって
イルミネーションとともに変化する。中国絵画の巨大な抽象画ということらしい。大勢の人に囲まれている。1976年上海生まれ。19時から朝7時までで、日の出とともにそれは消えていく。

あとは見なかったが、アラブ研究所では、絹とビロードの服飾展示、東洋の魔法といって0時まで。
ポンピドーセンターは夜中の2時まで常設展が無料。その前の広場では、花火と音楽とパフォーマンス、映画と写真の融合、10時から。
リュクサンブール美術館では、愛と官能の主題の作品の展示、とその作品からのインスピレーションによる香水の調合のぱフォーマンス。
コンシェルジュリーでは写真展、ついたて、詩的な幻想の世界を体験できる。ジョルジュ・ルース
あと、短編映画でのツアー、ラムルー管弦楽団の8時から朝3時までの演奏、戦後から70年終わりまでのベルギー漫画の原板の展示、、などなど。リボリ通り59の建物正面に投影されるビデオ、建物自体が詩と魔法に満ちた生きた絵に変身する、パフォーマンス。
日本人の作品、モニュメントがないのがさみしい。

ゆっくりパリの最後の夜を散歩することもできないほど、大勢の人人。楽しそうな若者たち。僕は友人、山崎夫妻「パリ在住35年、絵描き」山田夫妻「パリ在住12年、もと国家公務員、旅行作家」ジェラール夫妻「奥さんは日本人、もと事故調査委員」などとの食事は、またも若者たちであふれかえる、市役所の裏の古いレストラン、フーデュクーだったかクーデュフーだったか、昔ガイドブックでみて行ったことのあるおいしい食事。久しぶりの会話。
楽しさに疲れ切って、ホテルへ戻る。ホテルは観光局が準備してくれたホテル4つ星だが、予想と反してアメリカンタイプ。古いフランスのホテルを期待していたが、これだけはがっかり。設備はいいし、どれも近代的だが僕には合わない。夜中中起きて、日本の時間に合わせて座席の予約をしてパソコンのプリントアウトをホテルの事務でしてもらう。これは家内が適任だった。ここも女性には優しい。
翌日は荷物の整理、つめこみで午前中いっぱいかかる。昼食は古い友人、ダビッド。2009年ころ福岡に一年いた感じのいい青年。その恋人マリアンヌが西南大学に留学していたのでついてきていた。2010,2011年、パリでよく会った。僕が日本語を教え、彼がフランス語を教えてくれた。歳がかなり違ったが気は合った。その日、ナントから出てきてくれた。御汁粉、ラーメン、酢昆布、せんべい、僕の最新詩集などお土産をたくさん渡した。今度はいつ会えるかわからない。

未練はたくさん残る、今度のパリはいつになるか、さらばパリ。













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