あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

№93 ロシア映画 ツルゲーネフ ゴーゴリ ロマノフ王朝 猟人日記 ラスプーチン

2017-04-25 16:20:54 | 日記
ロシア旅行から帰ってきたら、福岡市図書館でソビエト映画祭」があっていた。印象ふかいロシア旅行だったのでその余韻を楽しむべく、出かけた。「ゴーゴリの外套」「ツルゲーネフの猟人日記」「ロマノフ王朝の最期」「炎」というものだった。

「外套は」昔パリ、カルチェラタンのすみの小さな映画館で見た。昼間は年寄りたちが、並んで開場を待っていた。暇な僕も彼らに混じった。そこは古い映画ばかりで、オスカーワイルドの「ドリアングレイの肖像」とかラディゲの「肉体の悪魔」とかジュラールフィッリプの若いころの映画や、マストロヤンニの演ずる「異邦人」や「メリウイドウ」もみた。 懐かしい。この時観た「外套」も思い出に残る。ついでに言うと、隣の映画館では一か月、黒沢月間があったり、2室でビートタケシのオールナイトがあって、朝食付「多分パン一個」とかもあっていた。

今回はそれはパスして「猟人日記」について書きたい。主人公が、狩りの度に、出会った人、百姓、農奴、友人などのことを記した短編集である。その中の「狼」という短編だ。森番の男は、幼児と娘と3人で貧しい小屋に住んでいる。妻は駆け落ちしていない。厳しい男だと評判で、皆に嫌われているが、森番としては優秀だ。愚痴ひとつこぼさない。黙々と働く姿は胸を打つ。森の情景の映像も素晴らしい。娘の髪を梳いてやる何もないくらい夜。彼が木笛を吹くと娘が静かに踊る。そこでふと涙がこぼれるのは僕だけか。最後は貴族の戯れの弾か、誤射か、を受けて彼は死ぬ。娘と赤子は何も知らず、貴族の残したお菓子を食べている場面。すばらしい映画だった。貴族を憎むという、社会主義主張だけでない。それを越えて人間がいかに無為に死ぬかという感動もくれた。僕の記憶に残る大切な映画の一つとなった。
原作は、狼と言われる男のことが書かれているだけだが、これは後半を付け加えて映画にしたようだ。原作は農奴解放の動きの一つとしても当時のロシアで評判だったらしい。「彼はドストエフスキーと仲が悪かった?」

「ロマノフ王朝の最期」は期待していたので落胆した。ラスプーチン物語で、ドキュメンタリーの白黒も入ってはいたが、映画自体はラスプーチンが暴れているだけの映画だった。ロマノフ家の最期、虐殺銃殺されて終わったのではなかった。ソヴィエト社会主義全盛のころの映画だろうか。映画の題名は日本の会社が勝手につけたのだろう。

「炎」は村の少年がナチスに対抗するグループに入り、村全体が人もろとも焼き尽くされるのを目撃する映画で、これもドキュメントが入っていた。ナチスの残酷さが描かれて、やや興奮したが、ふと我に返ってみると、中国もこのような映画を作っているのだと気が付く。

60年前、初めてソヴィエト映画を見た。ショーロホフの「静かなるドン」である。ロシア革命の内戦を描いたのだろう。中学生の僕にはまだ理解ができなかったが、美しい雪の場面「少し黄色ぽかった」、女性、戦い、長い映画だったが感動した。前篇、後篇に分かれていて、たしか後編は来なかったか?そんなことまで覚えている。機会があればもう一度見たい。

もう一つはドストエフスキー「白痴」これは予告編だったが鮮明に覚えている。画面はやはり黄色ずんでいた。ナスターシャが狂い笑いしながら、札束を暖炉に投げ込むのだ。この予告編だけで僕は感動した。いまだに忘れられない。この数秒が僕を露西亜文学ファンにさせたのだ。だが本編は見ていない。がわかる。小説は2度ほど読んだが、たまらん。
高校の部活で図書部だった。文化祭の時は、映画の写真を映画会社から借りてソヴィエト文学の紹介をしたこともおもいだした。そういえば、歌声喫茶で人気はロシア民謡だった。

30年ほど前、「ピロスマニ」という画家の映画も思い出す。朴訥な絵描きの話で印象に残っている。それと同時に見たのだろうか。「ジプシーは空に消える」ゴーリキーの短編をミュージカルにしたもの。踊り、歌どれも滅多に触れることのない世界が僕を魅了した。発売になったレコードをすぐに買った。

露西亜文学ファンとしてはどうしても見たい映画がある。「ドクトルジバゴ」だ。アメリカ映画でなくて、ロシア映画で。いつか、期待したい。





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