あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

№65 サンジャック通り フランソア・ヴィヨン

2014-05-23 16:11:55 | 日記
数年前、毎年パリのパンテオンの前のアパルトマンの8階で3か月を過ごした。それは3年間続いた。「ブログに何度も書いたが」
パンテオンの前は5区の区役所でカルチェラタンの真ん中である。高級アパルトマンの建物だが、僕の部屋は屋根裏部屋だったから5階までのエレベーターのあと階段を上らねばならなかった。
一階はなぜか古い薬草屋だった。ウインドウに今はだれも使わないような天秤が飾ってあった。部屋からは目の前にソルボンヌ大学の法学部、朝早くから遅くまで授業があっていた、ノートルダムの屋根、夜は遠くにライトアップされたサクレクール寺院がもの悲しく見えた。
天窓を開けると目の前にパンテオンの丸屋根があった。毎朝その後ろから朝日が昇った。それは言いようのないほど美しかった。
街の屋根が続き夕日は建物にさえぎられて見えなかったが、東のはずれの丘に建つ低所得者むけ住宅のガラスを真っ赤に染めた。「ある日、そこからはどんなに夕日が美しく見えるだろうかと思ってその丘のあたりに行ってみた。びっくりした。汚くて臭くてそしてこわかった。いわゆるバンリューである。」
部屋の窓は一つ、上に押し上げる天窓だけ。ベッドはその斜めの天窓と床の間だったから、毎朝頭をぶつけた。雨が降るとしずくで目が覚めた。お金はあまりなかったから、幸い小さなキッチンが住人ように新しく作られていたから、料理をすることもあった。近くの惣菜やから買ってきたおかずに自分で野菜を足して増やして何日も食べた。朝は時々はパンを買ったが、ふつうは玉ねぎを細かく切って少しのご飯と混ぜておかゆにした。今でも玉ねぎに臭いをかぐとそのころが懐かしく蘇る。

パンテオンを背にしてなだらかな下り道を行くと突き当りがリュクセンブール公園である。「パンテオンの裏のムフタール通りなどのことは何度も書いた。」その道はスフロ通り。右手のソルボンヌ大学から来る道がスフロ通りを横切るとそれがサンジャック通りだ。この通りはパリでもかなり古くからにぎわったとこらしい。角は新しい銀行だが、アラブ人の店、古いワインや、古本や、チベット料理、ヴェトナム料理、中華、イタリアン、雑貨屋、サンドイッチ、コインランドリー、ふつうの仏レストラン、コピーや、八百屋、魚や、化粧品や、小さなホテルがあったがなんと四つ星、大きなゲイリュサック通りに出る角が、大学の水産化学部。ゲイリュサック通りに面したアパルトマンの壁に「ピカソが住んでいた」というプラックもある。

ゲイリュサック通りに初めてポールヴァレリーがパリに出てきたときに泊ったというホテルもあるらしいが、どこかわからない。リルケもこのあたりがはじめてのホテルだった。またこのあたりは1871年のパリコンミューンと政府軍の激戦地でもあった。
パリの中心へ行くバスがひっきりなしに通る。おいしいパン屋さんがバス停の横にあって、バスの運転手がとめて買ったりする。この通りの突き当りには優秀な学生のエコールノルマルがある。ゲイリュサックとおりを抜けてサンジャック通りをさらに行くとポールロワイヤル通りに出て、そこはそこでまた話がたくさんあるので次回にする。

さて、1430年ころ、当時がどんな様だったかわからないが、フランソワ・ヴィヨンという男が生まれた。ただこのあたりではない。1430年ころと言えば、ジャンヌダルクが処刑され、その10年後くらいにグーテンベルグが印刷術を発明、その10年後にはレオナルドダヴィンチが生まれたとある。
その時、1452年ヴィヨンはパリ大学を卒業した。文学士、学芸修士、秀才である。どのあたりに住んでいたかは知りたいがわからない。600年も昔のことだ。ものの本によると、彼は学生時代から暴れん坊、はぐれもの、悪党ともども泥棒、詐欺師、強盗、ついには殺人「集団で」2度、無宿人、いかがわしい宿の常連、そしてついに死刑判決を受けるが、なぜか恩赦で助かるが10年間のパリ追放、そのご行方不明でその死はわからないまま、人知れず消えていったという不思議な男である。このサンジャック通り、ゲイリュサック通りが彼の縄張りである。最初の殺人はゲイリュサックとある。

高名な日本の先生が書いている。「吉野信夫」天沢退二郎の本より
「ご存知のごとく、往古のフランソワヴィヨンは威風堂々と酒場から酒場へ飲み歩いては略奪を行い、そこには群衆の歓呼の声の雑踏と、風塵のような狂える華麗な街の殺戮とがあった。」

そしていくつもの詩を書き残している。牢獄からの詩もある。日本語の直訳で読むとそう難しいものでもない。ただ古い詩は音節や韻がいかに美しく書かれているかが詩の評価であるから、そうとうに調子が美しいのだろう。ぼくにはまだその美しさを理解でき味わう力がない。

僕の棲家のあたりが彼の縄張りだった。もうしばらくはパリに行くこともない。そう思うとさらに懐かしい。それでヴィヨンの詩を読む。



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