「武満徹の映画音楽」
「他人の顔」1966年 東京映画 監督:勅使河原宏
顔に大火傷を負った男は妻が自分を拒んだこともあり医者にまったく他人の顔を作ってくれと頼む。他人の顔をつけた男は妻を誘惑し結ばれるが、妻はそれが夫だと知っていた。
「砂の女」がとても良かったので安部公房=勅使河原宏=武満徹のこちらも大いに期待。昔、原作を読んだだろうか?・・・映画観終わって、やはり読んでないと判明。
冒頭、水槽に浮かぶ義手、義肢の模型から火傷を負ったミイラ男状態の包帯ぐるぐる巻き仲代達也、そして妻京マチ子の登場のパーツアップと、不思議な雰囲気をかもし出すカメラアングルや美術はとても好ましい。
会話の応酬で成立つ演劇のような内容。火傷男の発する皮肉っぽい言葉は安部公房作品の哲学的要素によるものなんだろうけど、この会話を理屈っぽいと感じてしまうとちょっと苦しい。
原作ではそこらあたりはどうなのだろうと非常に気になってくる。
精神家医、平幹二郎の診察室の空間。セットもモノクロ映像にマッチしていて魅力的。人体図などが描かれているガラスの立つ広くて白い空間。
そこで行われるマスク製造。そして助手である看護婦の岸田今日子。今回は脇役なのだけれど岸田今日子様全開。平幹二郎とも不倫の関係があるようであいかわらず妖しい。
マスクはよく明智や二十面相が使う顎下からペリペリッと剥がれる例のタイプ。
仲代達也が顎から剥がそうとして途中でぷらんぷらんになるマスクが精巧です。
他人の顔を手に入れて妻を誘惑するという策略。このシチュエーションに似たものをつい最近見たように思った。思い出したが似ていても随分違うのでどうでもよい。結局は全てを知っていて夫の心を癒そうと演技を続けていた妻。男のほうはインテリで理屈っぽいが所詮、女に適わない。京マチ子がナイス。
そして物語は基地外方面に・・・
武満徹の音楽はやはり安部公房に合っている。でもこれは少し控えめ。
理屈っぽさを感じてしまったため砂の女ほど良く感じられなかったのは残念。
ラピュタ阿佐ヶ谷
「他人の顔」1966年 東京映画 監督:勅使河原宏
顔に大火傷を負った男は妻が自分を拒んだこともあり医者にまったく他人の顔を作ってくれと頼む。他人の顔をつけた男は妻を誘惑し結ばれるが、妻はそれが夫だと知っていた。
「砂の女」がとても良かったので安部公房=勅使河原宏=武満徹のこちらも大いに期待。昔、原作を読んだだろうか?・・・映画観終わって、やはり読んでないと判明。
冒頭、水槽に浮かぶ義手、義肢の模型から火傷を負ったミイラ男状態の包帯ぐるぐる巻き仲代達也、そして妻京マチ子の登場のパーツアップと、不思議な雰囲気をかもし出すカメラアングルや美術はとても好ましい。
会話の応酬で成立つ演劇のような内容。火傷男の発する皮肉っぽい言葉は安部公房作品の哲学的要素によるものなんだろうけど、この会話を理屈っぽいと感じてしまうとちょっと苦しい。
原作ではそこらあたりはどうなのだろうと非常に気になってくる。
精神家医、平幹二郎の診察室の空間。セットもモノクロ映像にマッチしていて魅力的。人体図などが描かれているガラスの立つ広くて白い空間。
そこで行われるマスク製造。そして助手である看護婦の岸田今日子。今回は脇役なのだけれど岸田今日子様全開。平幹二郎とも不倫の関係があるようであいかわらず妖しい。
マスクはよく明智や二十面相が使う顎下からペリペリッと剥がれる例のタイプ。
仲代達也が顎から剥がそうとして途中でぷらんぷらんになるマスクが精巧です。
他人の顔を手に入れて妻を誘惑するという策略。このシチュエーションに似たものをつい最近見たように思った。思い出したが似ていても随分違うのでどうでもよい。結局は全てを知っていて夫の心を癒そうと演技を続けていた妻。男のほうはインテリで理屈っぽいが所詮、女に適わない。京マチ子がナイス。
そして物語は基地外方面に・・・
武満徹の音楽はやはり安部公房に合っている。でもこれは少し控えめ。
理屈っぽさを感じてしまったため砂の女ほど良く感じられなかったのは残念。
ラピュタ阿佐ヶ谷
こんな自分に育ったのはこの映画のせいだと思います(今観ると子供騙しですが)ので連れて行ってくれた両親に感謝せねばなりません
うちの両親は子供の教育とか何も考えずにタダ券がるとゆーだけで毎週こーゆー映画に連れて行ってくれました
砂の女より25段ぐらい落ちてますけど
原作は痺れました
子供ん時見たとはすごいですね。それでもって今のgsさんがあるわけですね。妙に納得しました。原作は今更ながら読んでみようかと・・・大丈夫か、安部公房。最近、本読む気起きない、年々老眼が進んで・・・