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imaginary possibilities

Living Is Difficult with Eyes Opened

ヤング≒アダルト(2011/ジェイソン・ライトマン)

2012-02-29 23:25:20 | 映画 マ・ヤ行

 

Everyone gets old. Not everyone grows up.

年は取っても成長できないヒロイン、メイビス。

ステイ・ヤング・アダルト。

年は早く取りたくて、なのに成長したくなかった、あの頃。

ティーンエイジには、ファンがつまったクラブのメンバーだったのに。

例えビッチと呼ばれても、勝利のティアラが輝けば、

批判はすべて嫉妬のせい。きっと羨望してるだけ。

そして、彼女ら憐れむワタシ。世界がワタシを待っている。

 

お呼ばれしたから仕方なく、帰ってやるわよ、田舎町。

マーク・ジェイコブスもないメイシーズ。私に似合いの町じゃない。

だけど私に訪れる、人生最高時代の再来。イエスタデイ・ワンス・モア。

いいや、まだまだ愛のプレリュード。彼と私の第二章、いま始まったばかりなの。

 

◆ヤング・アダルト小説のライターであることも関係あるだろうが、

   テレビ番組でも(オーデション番組)、ファーストフード店なんかでも、

   ひたすら十代の動向に敏感なのは、そこに共感スイッチが留まったままだから?

   無理して「わかる、わかる」な若年層への阿りよりも、更なるイタさの温床か。

   職業病的な側面かもしれないが、素性が職業につながっているとも考えられる。

 

◆冒頭の覇気のない倦怠ムード充満な生活空間が一瞬憐れみ誘う・・・

   しかし、テラスに出てみれば、そこから見えるハイソな眺望。

   愛車に乗り込むやいなやのシンガロン。マイ・フェイバリット・ソングス、カセットテープ。

   キティを着ている本人がキティまがいだったりする自虐(のつもりはない)。

   徹頭徹尾アンバランス。笑えないほどのイタさの秘訣は、セロンの美力?

   美しさにも、いろんな用法あるもんだ。

 

◆帰郷後に酒場でマット(パットン・オズワルト)に会ったとき、

   彼から「 writer やってるんだって?」と訪ねられ、すかさず「 author よ!」と訂正。

   クリエイティブな仕事であることを強調しようとしたのだろうが、

   彼女の最重要アイテム《 authority 》への固執が露わになった瞬間でもある。

   プロムクィーン的特権階級の賞味期限は短くて、

   テレビ放映終了で在庫処分のノベライズ(原作本?)。

   権威も失墜。・・・復権めざして、ティーンエイジ・ドリーム。

 

◆テレビ放映が終了すると見向きもされなくなるっていう切なさは、

   「見られる」ことによってはじめて「承認される」という現実でもあって、

   そうした他者からの承認によって保証されるのが、人気であったりするわけだ。

   しかし、そうした人気に自らのアイデンティティを重ねてしまうとしたら、

   どうしても客観指標の「上流」を目指してしまう。誰もが羨むだろうから。

   しかし、主観指標に適う幸福は、必ずしも客観指標と一致しない。

   それは、メイビス(シャーリーズ・セロン)がわざわざ田舎の平凡な男である

   バディ(パトリック・ウィルソン)に拘る事実が証左。

   想い出もまた、主観ばかりで出来ている。

 

◆バディを求めるのは当然、自らの「過去の栄光」を取り戻すためでもあるが、

   取り戻すというよりも、最も輝いていた自分を知っていて認めてくれる存在として、

   相手の記憶に期待することでもあるだろう。いまは落ちぶれてしまった自分でも、

   かつて輝いていた頃の自分を知っている人間と話していると、勇気がわいてくる。

   やばい、他人事じゃないぞ(笑)

 

◆しかし、そうした懐古にばかり走ってしまうと、

   負の経験を受容せぬまま、トラウマばかりが裏庭純粋培養で。

   結婚の失敗や、終盤で明かされる苦い経験など、

   彼女はそれを直視しないまま(結婚式の写真を外せと両親に怒鳴ったり)。

   抑圧封印かさねても、水面下では深化一途の傷となる。

   ヌーブラをつけていることそれ自体より、その偽りを独りで引き受けねばならぬ懊悩。

   ベスト・ヘア賞級の美しきブロンドこそが、禿げる程に毛むしりさせるプレッシャー。

   完璧を装えば装うほど、粗はない(なかった)ことにしなければ。

   爪先まで完全美貌な出で立ちも、目を瞑ってしまったら、そこに幸福なんかはない。

   まぶたの裏に幸福が、滲むような自分になりたい・・・

 

◆鏡のまえでバッチリな自分をつくりあげる。

   しかし、それは「鏡に映った自分」が完璧になったに過ぎず、

   他者に映っている自分をつくっているだけで、自分に映る自分は手つかずだ。

   だから、いつまで経っても体感も実感も無縁のままだ。

   しかし、痛感する。ワタシはイタい。しかし・・・奴らもイタい。

   イタくて何が悪いのさ。こんな町には居たくない。

   私の街は、ミネアポリスなの。私のちっちゃな精神安定剤。

   (「apple」は「精神安定剤の入った赤いカプセル」を指すスラングでもあるとか)

 

◆理想と現実の間を彷徨する、ある意味典型的な物語でありながら、

   単純な二項対立として描かずに、両義性をもたせつつ双方を皮肉ってもいる。

   メイビスの生活を空疎な「理想」の体現として描いておきながら、

   現実を羨望できるくらいの人間味が残されているところには、誠実な情味を感じる。

   腫れ物に触るような田舎の人々の憐憫は、寛容と慈愛に満ちた包容力を持っている

   かのように見えて、実際は閉鎖的な共同体の事なかれ的均衡策として見え出す妙。

   何だかんだ言っても(一言も口に出さないが)マイ・ホーム・タウン愛しいメイビス。

   この町を脱出して都で暮らす者への羨望を抑圧するための、「善き」人々の連帯感。

   メイビスが気づいたのは自分のイタさだけじゃなく、皆も「イタいところ」を抱えつつ、

   それを時に騙し騙し生きてるってことなんだろう。

   そのうえで、幸せを「感じようとする」努力。

 

◆ラストでメイビスに羨望語る女性には、幸せになるチャンスがあるだろう。

   彼女の瞳にうつるのは、嫉妬と表裏な羨望なんかじゃない。

   純粋な憧憬の想いだったから。

   いつしかすり替わってた、憧れの的から羨望の的へ。

   嫉妬されることが幸福なんて、ちょっと歪んだ快感だったかも。

   私が羨むバディとベスの新婚生活は、嫉妬が芽生えちゃったから。

   けっして憧れの幸福なんかじゃなかったわ。そうよ、憧れ、アコガレよ。

   他人からも素敵な眼差し浴びながら、自分もハッピー気分になれちゃう、

   憧れ生活、再出発。

   そのためまずは、

   憧れる([あくがれる]本来の場所を離れてさまよい歩く)。

 

 

◇まぁ、本作最大のイタさは、邦題な訳だけど。

   こういうのって意外と自己満足的に流行りそうで怖い・・・