+++パパとワタシの宝箱+++

神さま・・・ありがとう!パパのガン細胞が無くなりました~♪しかし!只今3度目の再再発を治癒中。

復習:「依存性精神病(マザコン)」

2006年08月25日 | +家族(子育て)について
すべての女性へ
そしてすべての母親へ、
母親の代わりに子育てに関わっている人、
これから母親になる人、、
当然、母親でもあるワタシ自身にも、、、
・・・
日々もがいて生きている男の子(男性)・・・必読です。

本当に、ありがたい愛いっぱいのメッセージを
たくさん、たくさんいただいており、何とか整理をしたいのですが
どう整理すれば1番良いかを考え中です。

ワタシにも中学生になる息子がいます。
なので皆さまからのご教示いただいた中で、
「依存性精神病(マザコン)」について
復習してみました。


「依存性精神病(マザコン)」
「マザコン」は和製英語で「マザー・コンプレックス(mother complex)」の略。
「コンプレックス」にはよく使われる「劣等感」という意味の他に
「こだわり、執着・依存症」といった意味があります。
つまり「マザー・コンプレックス」とは、
「母親に対して強い依存心・執着心を持つ人」ということで、
母親に対して肉親としての感情を超えた
依存心・執着心・独占欲を持った人のことです。
これは単に母親だけが対象ではなう、母親代わりとして
子どもと接している祖母なども対象になりうる場合があります。

コンプレックスについては
「コンプレックス(劣等感)はココロのガン細胞!?」をご参照ください
更に!ご自身で復習されたい方は
「ダメオ・ダメ子は生まれつきなのか?!」
併せてご参照ください。

もっともっと!!!知りたい!と思われたら
特に、7月・8月のすべてのコメント・メッセージを
お読みになられることを、おススメいたしますm(__)m


本当に怖い!「依存性精神病(マザコン)」
青年期:-
ニートやひきこもり。
異常な犯罪。

成人期:-
家庭内の問題を起こした夫のほとんどがマザコンといわれ
夫婦間の問題は、夫がマザコンであるケースが多い。

たちの悪い潜在的マザコン男は、病的なまでの自己中心的な性格のため
ほとんど全員が、家事、育児を手伝おうとせず、浮気をする。


「依存性精神病(マザコン)」の特徴と傾向
コミュニケーションをとらず楽だからという理由で、
メール、テレビ、音楽、漫画、ゲーム、AV、エロ雑誌が好き
という特徴がある。

自分らしさを口にしたがる傾向がある反面、
きちんと立てない、きちんと座れない、
時間を守れない、片づけができない、
勉強する意欲も全くなし、恋人もなし、
だらだら歩き、だらだら生きている。
言い方を変えると「動物化」。

「あれしなさい」「これしなさい」と支配されていないと
生きていけないのです。
決断力が欠落し、指示されなければ不安になる場合は
「動物化」よりひどい「家畜化」。
すべて規格通りにされた小さな世界で生息。

小さな頃から親に保護・管理・支配されてきて、
自分の自由な感情を出せない、自分の欲求を満たすことが
かなわない環境で育った場合、自分自身の愛されたい欲求、
甘えたい欲求が大人になっても十分に
満たされていない状態になっている。

マザコンは親離れ出来ず自立してない状態。
いつまでも頼ろう甘えようと思ってる事。
本当にすべてに甘えます。
何一つ自分で決めれません。
何一つ自分で解決できません。

何かをしようとしても、いろいろグズグズ迷うのです。
したければ、すればいいのに、グズグズ迷う。
しなければならないことも、するときに、グズグズ迷う。
さらに、集中力がない。
当然、学力は最低。起立、着席ができない。
時間を自分の意思で守れない。
生活にメリハリをもてない
(何処でも食う、何時でも食う。片づけができない........)
いままで、すぐに、親が、手伝って、
逃がしてあげて、言い訳を作ってあげて生きてきたので
簡単に完璧なんてできないことをしらない。
たとえば学習なんていつまでたっても、
完璧にはならないから、すぐにあきらめる。
だから学力がないのであって、身の丈知らずというか、
欲が深くて甘えすぎなのである。

なので10歳前で自分で自分の処置に困るようになり「億劫」症になる。
このまま社会に出ると、頭痛、胃が痛い、腰が痛いを訴える。
内科的には頭痛の原因にあたるものなんて、ないことのほうが多い。
けれどもマザコンは、内向的なほうだから、頭痛、胃痛、腰痛にくる。
本人がいちばん辛いだけなのだ。
すぐに胃が痛い、腰が痛いといって、
なんとか自分の「億劫」に折り合いをつけようとしている。
しかし、これではかえって胃も腰も痛くなる。
こういう症状は内向的で女性的な男性に多い。

また女を口説くことすらできない。
さらに、女に話しかけることすらできない。
これは、テレなのではなく、みなさんがコメントされているとおり
偽りの自分と本当の自分とのギャップを一番知っている自分が、
自分に向ける負い目からきている自信喪失からなのです。
そうー、弱くて情けない本当の自分を知られたときが怖いのです。
=コンプレックス(劣等感)のかたまり人間。


「依存性精神病(マザコン)」の原因
近年問題視されているニートや引きこもりは、
依存性精神病(マザコン)にしてしまった歪な親子関係が
背景となっている場合が多い。

原因は母親。
マザコンは、これを認めたがらない。
そういう特徴や傾向が自分と母親にあるということに気がつかないし、
認めたがらないところにある。
こういう人ちたちはもともと関係意識がおかしいのだから、
関係づけを基本的にやりなおす必要がある。
親の役割とは、いちいち子どもの世話をやくのではなく、
ひとりで何でもできる子にすること。
自分で選んで、決めて、行動できる、自立した子にするのが
親の役目なのに、なんでも世話をやくこと、家にひきとめることが
親の役目だと勘違いしている。またそれを善であると信じきっている。

相談に来られる全ての親が
「我が子のため・・・」
「あなたのため・・・」といいます。
本当はやることなすことすべて自分のためで、
自己執着の強い人なのに、人の為といって
「私に感謝してくれ!私を評価してくれ!私を尊敬してくれ!」
という要求が背後にあるのです。

小さい頃から「しかられる」ことと「ほめられる」ことの多かった人。
何が立派なことをやってほめられる。
学校の時成績がよくて「可愛がられる」、
お手伝いをしてほめられる。
しかしそれらのことはみな報酬としての「愛」ですね。
何か親の気にいることをやったから「やさしく」された。
そうして大人になり、また周囲に気にいられるようなことをしてほめられる。
報酬としての愛、報酬としてのやさしさしが知らないがら、
失敗を回避しようと不安な緊張にさらされ、なにかあるとすぐに不安になる。

本当の愛ではない、ウソの愛に接して雁字搦めにされてきた人は
当然ですが、「孤独」が平気などころか、
ずっと、「孤独感」から抜けきれず苦しみます。
その孤独の苦しみをやわらげようと、
他人の承認や愛を激しく激しく求める。
そしてそれを得ようとして本当のの自分を偽っていく。
大人になってからの心の苦しみの主要な原因は、
本当の自分を忘れてしまったという方がほぼ全員です。
「『他人が自分のことをどう思っているか』。
それが重要である限り、苦しみは続くのですね。

自信のない親がする子育ては
子供に自分の機嫌を汲み取ることを、無意識のうちに、要求する。
「お父さん、すごーい!」「お母さん、すすんでるー」と子供に褒めてもらいたい、
自分(親)の心を汲み取ってもらいたい、そして、それを喜んでいるのです。

こうしてパーソナリティ障害の母親が、
わが子を、依存性精神病(マザコン)にさせるのです。



「依存性精神病(マザコン)」を変えられるのは・・・
苦しみから逃れるためには、
本当の自分になる以外にはないのです。
ありのままの自分と向きあい、すべてを認め、受け入れること。
自分を甘やかす全ての要因は一切たち、
自分で自分を律して、正直に生きる。

いい男は、どんな女も変えることができる。
けれど、女が男を変えることは、なかなか無いですね。
なぜなら、いい女は、まず生理的に直感的にダメ男に近づかないから。
絶対それだけは我慢できない。
ダメ男に近付けるのは、よほどのダメ女だけですが、
いい男に変えることは不可能です。
ダメ男を変えられるのも、いい男だけ。

いい男といわれる人が必ず持っている資質は、「孤独」が平気なことです。
孤独になる勇気、一人になる勇気です。
まず、孤独である勇気を持たなくては、
自分らしい生き方を模索することもできないのです。
そしていい男に生まれ変わるには、
一言で言えば、「自分に本当の自信がある」自分へと変わることなのです。



「依存性精神病(マザコン)」からの脱皮方法
自分で決めたことがあれば、
それが自分で進められなくても、それで自信がついていきます。

普通は、ダメ男は、自分に甘いから、
周りもダメ男ばかり。
類は友を呼ぶですね。
次に自分を甘やかす存在と距離をおくこと。

人間関係が全ての間違いの源なので、
人間関係そのものを変えることです。
偽りのご自分をほめる方々との接触は今後一切たつ!

貴方を甘やかす存在は貴方を見てないのです。
自分を見ているだけです。

貴方に、同情したフリして、言い訳を作ってくれる人(親・友人・エセ人権主義者)は、
貴方の心の自立を妨害する本丸です。
貴方に心の自立をさせたくない人達です。

それが事実なのにマザコンを作った母親が、
違う種類の精神病なので「忙しい」「大変だ」が口癖なのです。

自分が寂しいから、それを埋めるために貴方を甘やかしているのです。
この自己中心性の伝染から逃げることです。

きっと、貴方を自立させないために、
恐怖心を煽ったり、悲劇のヒロインになったり、
病気になったり、溺愛してきたり、拗ねたり・・・、
物凄い引き留め工作にでてきます。
その攻撃をクリアーした時、
貴方は、一歩いい男(自立し、人の心も見える男)に近付きます。

そうです。母親を恨まず、許して自分で自分を変えるしか
脱皮する方法はありません。

人(何か)のせいにしない=言い訳をしなくなると、
ぐっと心が自立(安定)し落ち着き、
冷静な視野の広い思考ができるようになり、
平穏な日々がはじまります。

マザコンからの脱皮は、
“やろう”ではなく“当然できる”と信じること !

信じることが”できる”ことへ繋がり
それが自分の自信になります。
「自信」はいくらお金を払っても買えませんし
大スキなお母さんも与えてくれません。

自分を信じて、小さな実績を積み上げると
これが自信になります。
そしてこの自信が、誰でも本物のいい男へと成長させてくれます。

最後に・・・しつこいですが
本当の強さ
本物のカッコよさとは

ウワベをかっこつけることではなく、
頑固に頑張ることでもなく、
無理することでもなく、
主張を通すことでもなく、
競走することでもなく、
傷つかぬように身を守ることでもなく、
馬鹿にされ、罵られ、辱められ、笑われても、
ガンでも、障害者でも、精神病でも、何でも・・・・・
笑顔で、底から立ち上がってくること


そして世のお母さん方・・・
息子さんは、旦那さんの代わりじゃありません。
子どもはペットじゃありません。
お母さんのご機嫌をとる奴隷でもありません。
「良い子」は「思い通りになる子」じゃなく
むしろ、思い通りにはならないことを
ほめてやったほうがいい。
だって、親の機嫌をとらない子なんだから。
苦しい生き方をしてない子なんだから。

親の顔色を気にして育った子どもは
いつも周りの目や、周りにどう自分が映ってるかが
人生すべての基準になる。
これは「不幸な人」の共通点ですね。

不幸な顔していれば、子どもも不幸になるし
喧嘩ばかりしていれば、子どもも喧嘩ばかり
子どもは貴方の鏡です。
責任転換はやめましょう。
原因の諸悪は「真実を見ない」こと。
「自分にウソ」をつくこと。
誰かのせいにしない。
誰かのせいにしない。

子どもは、
自分の寂しさを埋める道具ではないのです。

貴方がたを親として選んで、子どもたちは
生まれてきています。
選ばれたということは、子どもの行動すべてが
貴方への修行です。

子育てとは、「子育てしないこと」・・・
ただただ、自分が実例見本になること・・・

忘れないようにしたいですね!


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6 コメント

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心の幸あれ~ (田中)
2006-08-26 12:25:20
心理的な問題とは、1+1が2という数学的な回答ではなく、

生きれば生きるほど、複雑ないろんな要素が絡み合ってきてしまうから、

解いていくには、時間がかかるし、つらいです。

ですので、心理的な問題の解決は、

早ければ早いほどいいです。



しかし、心理的な問題は、

愛する能力のある自然な精神の親から

育てられれば、人生を通じて、全く起こらないのです。



まず、精神的に不安定な子(マザコン)を作ってしまう親は、

「人から誉められることが一番」だと教えてしまっています。



これは子育ての原点である。



心理的に弱さのある母は子供に心の強さを教えられないです。

心理的に自立できていない人は、

相手の好意を得ようとして子供の機嫌をとります。

自然な精神の親から見ると、想像すらできないことですが、

そうなのです・・・・・。

子供を育てるために子供を誉める母もいれば、

子供から嫌われるのを恐れて子供を誉める母もいます。

だから心理的に弱さのある母親は、子供を叱らない。

「人から誉められることが一番だ」と教えこまれた

愛に飢えた子供は、その誉め言葉を求めて生きます。

この子供は親に喜ばれる生き方ことをしたばっかりに、

心が不自然になり、心が死んでいきます。 

こういう子供は愛に飢えているから

「もっと、もっと」なのである。

当然、心が不安定だから、やることなすこと上手くいかなくなり、

人から誉められることがなくなり、

さらに、精神的に不安定な子(マザコン)になってしまうのです。



たとえば、子供が学校で怒られて残される。

親が学校に迎えにくる。

自然な子の親は、「このバカ!」といって頭をはたき(笑)、

終わったことを終わったこととしてくれる。

そして一緒に走って「やりきれない感情」を吹っ切って、

明日に目を向けさせてくれる。



しかし「精神的に不安定な良い子」の親は、

学校にも子供にもくどくどというのです。

ずっと言います。卒業するまで、言います。

子供は、心の整理することができないまま時を過ごします。

優しい親とは優しい言葉を使う親ではない。

子供の感情を整理してくれる親が優しい親である。

子供に心の安定させる方法を教えてくれる親が優しい親である。



「精神的に不安定良い子」が楽しく生きられない原因には二つあります。

一つは「良い子」が恐怖感に支配されているからです。

「良い子」や「良い人」は極めてき真面目であるが、

恐怖感が秘められているから生きることが楽しくない。

こうして大人になって社会に出ると

全てのことに批判されまいとして肩に力が入っているビジネスマンになります。

仕事熱心であるが恐怖心の人です。 

だから表面的には「良い人」でも、十人中十人が一緒に居て息苦しい。

このような人の仕事熱心は見ているだけで息が詰まります。

こうなってしまうのは、その「良い人」が本質的に不満だからです。

彼等は仕事をすることを楽しめない。

そして仕事の成果が上がらないとひどく苦しみます。

仕事を楽しめない。燃え尽きる人はこのように仕事熱心なタイプです。



楽しく生きられない第二の原因は、

その人が素直に自分を出していないからです。

人から誉められることが一番だと教えられて育てられてしまった

「精神的に不安定な良い子」は自分を素直に出した体験がないです。

素直に自分を出せる子供に欲求不満な子はいない。

しかし同時に「精神的に不安定な良い子」もいない。

素直な種には素直な花がさく。素直な人は楽しい生活をします。

素直になると心が楽になります。素直になると生きるのが楽しくなります。

素直とは、怠けるということではないです。

素直とは、人から誉められることを気にせず、

自然に自分の本心で楽しめることなのです。

自分らしく生きるためには自分に素直になることです。

「良い子」は素直でないから自分らしく生きたことがないということ。

自信とは、人から誉められることを気にせず、

自然に自分の本心で楽しめる体験から生まれてくるのです。

優越から生まれてくるものではないのです。

だから素直に自分を出している「自然な子」は自分と他人を比較しない。

楽しく生きている子は自信があるから自分と他人を比較しない。





相手は自分の事を叱っても、怒っても、怒鳴っても、

自分のことを愛しているという確信が崩れない。

それが愛されているという安心感です。

心理的に健康な人は愛する能力を持っています。

子供を愛していれば子育ては大変ではない。

親を愛していれば親の介護は苦労は多いけど辛くない。

心理的に不健康な人は、何やっても「大変だー」「辛いー」のです。

自分が自然に人を愛する能力がないから、

子育てが大変になるのです。

それで、「子育ては大変だー」「子育ては辛いー」と

言われて、育った子供に安心感が育むはずがないのです。



現代の日本において、親の環境がどんな状況で、

いくら仕事が大変だからといっても

戦国時代や、戦時中に比べれば、

何でも楽になっているのです。

親の時間が問題なのではないのです。

親が精神的に未熟で愛する能力がないのを、

「時間がない」と自分に言い訳して、

子供にそれを聞かせるのが問題なのです。



親が時間とエネルギーをかけて自分の世話をしてくれる。

でも相手は辛くはないだろうと確信できる。それが安心感なのです。

平気で相手が自分の事に時間を費やしている。これが安心感であり、

愛されていると感じているという事なのです。



残念ながら「精神的に不安定な良い子」にはこの安心感がない。

逆に世界は敵意に満ちていると感じています。

敵意に満ちた世界から自分を守る方法が

「良い子」になることなのです。

「精神的に不安定な良い子」にとって世界は悪意に満ちています。

敵意に満ちた世界と言うのは、

人から誉められることが一番だと教えられて育っているので

自分は、人や親の感情に自分を合わせなければならないと

感じていると言うことです。 

心理的に病んでいる親は、親になってもまだ愛されることを求めています。

だから子育てが辛くなる。

子供から見ると、そんな世界は自分に不自然で友好的ではないのです。

そして不安になる。不安だから、自分の周りに城の壁を作る。

どんな敵が攻めてくるか分からないからどんどん壁を高くします。

不安定で安心感がない時、誰でも暇があれば城壁を強固にします。





そして、なぜ「良い子」が凶悪な犯罪を犯すのか?

なぜ「良い子」だった子供が。中学・高校になって無気力になるのか?

なぜ「良い子」だったサラリーマンが鬱病になるのか?

なぜ頑張る人々が燃え尽きていくのか?



よく「良い子」が事件を起こすと、

「なぜだ?」と言う疑問が世の中にわき上がります。

幼少時に「良い子」が、大人になってよく問題を起こします。

それは親に気に入ってもらうための、

自分を偽った「精神的に不安定な良い子」だったからです。

問題を起こす「良い子」は、「良い子」と言う包装紙で包装されているだけなのです。

中身が「良い子」と言うわけではないのです。

ボディーは新しいが、エンジンは古いのが

取り付けられている様なものです。

「良い子」の頑張りは不安からの頑張りであり、不安からの忍耐です。

「良い子」の我慢強さは不安からでたもの。

幼少期に親の言いなりになっている「良い子」は、

実態は軽いノイローゼなのです。



心理的な問題の解決は、

一日でも一時間でも早ければ早いほどいいです。
返信する
心の幸あれ~ (田中)
2006-08-26 12:25:57
「自然な子」が親のそばにいるのは、親が好きだからです。

「自然な子」に孤独感はないです。頑張りも忍耐も我慢もないです。

そうしたいからそうしているだけです。

自然な子は親が好きです。

だから、叱られても、すぐに自分で切り替えて、楽しそうについて行きます。

 

「精神的に不安定な良い子」が親のそばにいるのは、

嫌われることが恐いからです。

もっと重症なのはひとりぼっちが恐いからです。



親のそばにいるのは、「自分」を気に入ってもらうためです。

精神的に不安定さからくる孤独感で死にそうな自分を守るためです。

 

「精神的に不安定な良い子」には本当の勇気がないのです。

本当の勇気とは現実を認める事。現実から逃げないと言う事。

小さい時に、「人から誉められることが一番」と育てられ、

さらに自分を育てることを「大変だー、大変だー」と言われて

育てられたためです。

安心感が「良い子」にはないから勇気がないのです。

子育てに大変さを感じない愛する能力がある

心理的に健康な親に育てられた子供は、

何かあっても自然と「こんな事で負けるものか」と思い、

そこで勇気や忍耐力を養います。

その熱い思いが後の勇気や忍耐力を養成することになるのです。

しかし、何かあるとすぐに手出し・口出しし、

自己防衛のために甘やかしているくせに、

そのことを「大変だー、大変だー」と言われて幼少期に育った子供は

真に耐える力が萎えています。

だから、座ることも、立つことも、歩くことも、学ぶことも・・・・・・

苦しいのです。

「良い子」には、幼少期に、自然の成長がなかったのです。

無理に「良い子」にさせられたのです。



「人から誉められることが一番」だと教えられた子は、

まるで火事の時に、「勇気がある」と褒められ称えられたくて、

無闇に火の中に入っていくような行為を演じるのです。

真に勇気のある行為とは、中に助ける人がいて、

その助けるという目的のために火の中に入っていくことなのに。



そうして、小学生、中学生位になると、

自分の本性を少しだけ認識できるようになり

「良い子」は自分はそのままでは好かれない人であると

言うイメイジを持ちはじめ、無限に人に好かれようとします。

恋愛関係でも、実際の自分は愛されるに値しない人

であると感じているから、無限に愛されようとします。。

愛されることだけを望むから上手くいくはずがないのです。



愛されたり、尊敬されたりすることで自分を守ろうとしているのです。

すると、どうしても実際の自分の願望を裏切ることになりなり、

ますます、不安化していきます。

「好かれたい中毒」「愛されたい中毒」「尊敬されたい中毒」になってしまう。

「好かれたい中毒」「愛されたい中毒」「尊敬されたい中毒」は、

他の中毒と同じように、24時間365日いつも不安です。



アルコール中毒がいつもアルコールを飲んでいないと

不安になるように、これらの中毒患者も、

いつも好かてないと、尊敬されてないと、愛されていないと不安なのです。

麻薬中毒患者が麻薬を得るために体までもを売るように、

「愛され中毒」「尊敬され中毒」も、それらを得るために、

自分の心までも売ってしまう。

その結果が自己不確実感なのです。



麻薬中毒患者がどんなに麻薬をのんでも結局は救われないように

「好かれ中毒」「愛され中毒」「尊敬され中毒」

もどんなに好かれ尊敬されても救われない。

そして麻薬中毒患者が麻薬が切れると生きていかれないように

「好かれ中毒」「愛され中毒」「尊敬され中毒」も

愛や尊敬を失うと生きていかれないような気持ちになります。



しかし、実際は、「好かれたい中毒」「愛されたい中毒」「尊敬されたい中毒」

患者が、ちゅうど愛や尊敬を相手に望んでいる限り、

恋愛なので成就できるはずないのです。



こうして不満足な実らない恋愛を追い続け、

青年期を暗くすごしていくストレスは、

さらに、精神的に不安定にさせます。



その不安から、考え行動することは間違った方向ばかりとなり、

不自然で不安定で不幸な人生は延々と続くのです。



自分の生き方を押しつける人がいます。

親切を押しつける人がいます。

好意を押しつける人がいます。

押しつける人がいるということは

押しつけられる人がいるということです。

 

押しつけられるタイプは、小さい頃から

生き方を押しつけられて怒りが溜まり、その結果心配性になってしまったのです。

押しつけタイプは、相手を心配性に追いこんでおきながら、

それに気がつかないで、今度は心配性になった人を見て、

なんでそんなことまで心配するのだと笑っているのです。

押しつけられタイプは小さい頃から意に反する生き方を押しつけられながら、

怒りや敵意を心の底に抑えこんで生きてきた人。

その結果、心配性になったということです。

まさか二、三回仕事か何かのやり方を押しつけられたからといって、

人は心配性になるわけではない。

この世の中には実際の自分で生きられない人がいます。

押しつけられタイプの人が心のなかにしっかりと、

覚えておかなければならないことは、

相手にふりまわされても相手から尊敬されないということです。

そして、相手をふりまわしても、押し付けても、

相手から何も尊敬されないということです。



「人から誉められることが一番」ではないことを知り、

どんな時でも「自分を磨く」という気持ちで今日をおくれば、

その先の人生はバラ色になります。



大金をはたいてエステに行かなくても、

「今日一日、自分を磨く」という気持ちで毎日いれば、

女性はきれいになります。

自分を磨いていることで、心はいつまでも青春でいることができるのです。

不自然なまま人生を過ごせば過ごすほど、

歳とともに心も体も醜くなります。

そして、さらに、さらに、生きることがだんだんと辛くなります。

「良い子」は、自分を磨くことを忘れて、

借金におわれて、お金のことばかり考えて、

不安定な不幸な人みたいなものです。

その場その場で人から評価されることしか考えていない。

長い眼で見ると、その場その場で大切なものを失っているのです。

「良い子」に欠けているのは、この時間をかけて「自分を磨く」ということです。

「良い子」は、何をするにも人から誉めてもらうためである。

恋愛でも、仕事でも・・・・。

そして気がついたら、何をしてもそこに

達成感、満足感を持てない自分になっています。

生きることが嫌になっている。

今度は、それを一番無抵抗な人(自分の子供など)に

ぶつけます。これが繰り返されるのです。



返信する
心の幸あれ~ (田中)
2006-08-26 12:26:48
「今日一日、自分を磨く」ことです。

忙しいから学べないと言う人は、暇になっても学ばないです。

環境が良くないから学べないと言う人は、

環境が良くなっても学べません。

「これがあったら幸せだ」と言う人は、「これ」があっても幸せになれない。

「これ」を得ればまた次に不満と言い訳を見つけます。

これがなければ幸せになれないと思っている人は、

自分が失ったもの、消えていったもの、

自分にはないものばかりに気を奪われているのです。

その人のその性格が幸せになるのを妨害しているのです。

「これがあったら幸せだ」の「これ」は単なる口実です。

そして不幸な人は、今自分にないものの価値ばかりを強調しています。

今自分に残されているものの価値を忘れているから

永遠に不安で不幸なのです。



だれもが持っているもの、それは人生という限られた時間です。

その時間を工夫して生きることが大切なのです。

「学に暇あらずという者は、暇ありといえども学ぶあたわず」。



不運の人は不運の種を十年前か二十年前からまいているのです。

その不運の種をまいたときに自分が不運の種をまいたという自覚がない。

だからその種が生長してきたときに「突然不運におそわれた」と思うのです。

何かあったときに精神的に不安定な社会性を欠いた人は、

「私は運が悪い」と言いいます。

何が原因で自分に世の中が辛くあたるのかが理解できないのです。

答えは、単純です。

精神的に不安定な社会性を欠いた毎日の生活の積み重ねの中でそうなっていくのです。

そして「私の人生はどうしてこんなに苦しいことばかりあるのだ」

と自分自身が招いた不運を、自分でただ嘆いている?

その困難や不運を招いたのは自分の過去の行いの集積であることには

最後まで気がつかない。

  

人は成功や失敗の直接の原因というのはよくわかります。

しかし「日々の積み重ねの結果そうなった」という、

隠された部分はなかなか理解できないです。

幸運も不運も突然来ないのです。

こうして幸運や不運の環境はできてくるのです。

人はそこの場所と時間だけで、そうしたことをしているのではない。

他の場所や時間でもそうしています。

そうした行動をする心をその人は持っているのだから、

ほかの場所や時間でもそうした行動をしています。

その結果、精神的に本物の質のいい人が周りに集まらない。

だから、恋愛も仕事も結婚も何もかも、幸運もドアを叩かないのです。





「今日一日、自分を磨く」のです。

今日一日、身の回りのことをして、自分を磨くのです。

その身の回りのことをしている間に思考が働いてきますから。

その身の回りのことをしている間に不安感が消えてくることもあります。

そして「できる」と感じてくる。

仮に、近道をして上手くいっても、それはたいてい一回しか通用しません。

なぜなら近道をして上手くいっても、正しいやり方が身についていないからです。

まして、恩きせがましい親の手助けですぐに上手くいってしまうことが

最悪の不幸なのです。

本当の手助けとは、正しいやり方が身につくように見守ることです。





「安定」「安心」「幸せ」とは欠けているものを認めて生きることから生まれます。 

私は美人でないと認めるからこそ、美人以上に幸せになれるのです

そこには、「人から誉められることが一番」

と言うような不幸な発想はないのです。

そう認めたことで、その人にやさしさが生まれるのです。

 

「欠けている」からこそ「生きるエネルギー」が生まれるのです。

人は弱くても好かれ、「安定」「安心」「幸せ」になれます。

弱いのに強いふりをするから嫌われ、

「不安定」「不安心」「不幸せ」になるのです。

人は何かができなくても、「安定」「安心」「幸せ」になれます。

できないのにできるふりをするから幻滅され、嫌われ、

「不安定」「不安心」「不幸せ」になるのです。



誰でも道を開けます!!!

いま、悩んでいる人がすることは?

まず、ほんとうのことを言うことです。

ほんとうのこととは、実はなんでもないこと、だけどもそれが大きなこと。

とても恥ずかしいこと、とても耐えられないこと、

そういう小さなことが素直に言えるときに問題は解決されていきます。

素直になってほんとうのことが言えることで人と触れあえるのです。

すばらしい恋愛ができるのです。

一緒に涙してくれる心から信頼しあえる友情を味わえるのです。



実情を言えたとき、問題は自然と解決していくのです。 

それを意地を張って、「あいつはけしからん」と言うときに、

問題はかえって深刻になります。

それではなぜ、このほんとうの言葉が言えないのでしょうか。

それは自分に劣等感があるからなのです

劣等感はたんなる自分の弱点を恥部と思わせます。

人はその恥部を人に見せないために、「勝ち気の姿勢」をとります。

あるいは、逆に人を避けます。

ほんとうに強い姿勢とは、「ありがとう」という感謝の言葉を言えることです。

「ごめんなさい」を言えることです。

さらに、自然で、かつ、強い人は、

どんな問題も問題と感じないのです。



誰にでも弱点はあるが、それに苦しむ人と苦しまない人といます。

劣等感に苦しむ人は、自分の苦しみは、

その劣等な部分が原因だと思っているからです。。



たとえば、太っていることに劣等感を持っている人がいるとします。

すると、自分の心が満たされないのは、

自分の太った身体のせいだと思ってしまう。

精神的に不安定な人は、自分の不満足の原因を容姿だとか、

学歴だとか、財産だとかに持っていく。

そして他人で、自分が弱点と思っているものがない人は、

満足して生きていると思える。

そこで整形などをする。

しかし、いくら整形しようが、綺麗な服をきようが、お化粧しようが、

心が変わっていないから、いつも不満で不安で不幸である。



いつも自分に不満な人たちの共通点  心が満足していない人です。

そして他人は満足していると思っているのです。

「いいなー、みんなは満足していて」と心の底で言っています。

自分だけはいつも泥水のなかに住んでいると思っているのです。

たとえ実際には清水のなかにいてもです。

そして「みんなはきっとキレイな水のなかに住んでいるのだ」と思っています。





無理しないほうが愛されるのに、愛されようと無理をする。

無理をしてつらい思いをして、かえって好かれない結果に終わるのです。

そしてなんと多くの人が相手の心を読み違えて、無益に苦しんでいることでしょう。

 

人間というのは、無理をしないで素直な気持ちでいると、

その人が気がついていない「その人のよさ」が自然と表われるのです。

無理をするから、その人のよさがかえってなくなってしまう。

つらい思いをしながら、かえって自分のよさをなくしているのです。

「無理しないほうが愛される」

これは自分の弱点を必死になって隠し、

虚勢を張って生きてきた子たちが、更正した後に、

しみじみと感じていることです。

無理をしてしか好かれないような人は、好かれないほうが幸せです。

好かれようと無理をしているうちに、

もともと備わっている自分の価値に気がつかなくなってしまうのです。

自分の弱点を隠して人前で理想の自分を演じようと必死になっている人は、

「幸福に適した素質を持ち合わせていない人」なのです。



人から誉められることが一番ではないのです。

今日一日、自分を磨くことが一番なのです。

時間はかかりますが、だんだんと、

「安定」「安心」「幸せ」になれます。

そうすると、自分が自然になり、自然と調和し始め

自然と質の良い物事が集まり、自然と人生が楽しくなります。



みなさんに!心の幸あれです

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すごい!!! (カウンセラー)
2006-08-26 13:22:11
以前、朝日新聞の夕刊に、

林真理子さんが父親について書いているのを読みました。

その出だしの言葉は、

「小さい時から父親が嫌いだった」というもの。

そして、「私はいつのまにか、父に嫌悪に加えて

侮辱の感情を持つようになっていた」と続きます。

最後のほうには次のように書いてました。

「ところで、気がついたら私は三十娘になっていた。

反抗期が過ぎたどころか、トウが立ちはじめている。

そしてこれは本人も驚くほど不思議な話なのであるが、

私はひどく父親が好きになっていた。」

父親を嫌いだった時期に嫌いと感じとることができた。

それが許される環境であった。

だからこそ最後には父親が好きになれたのであろうと

言われています。

もし父親のことを嫌いな時期に、

子供は親を好きであるべきである、あるいは好きなはずである、

ということを無意識の前提にして生きていたら、

どうなったであろう。

三十を過ぎても父親を好きにならなかったと思う。

彼女が父親を嫌いという感じ方を抑圧し、

逆に好きだという感じ方を

自分に強制していたらこうはならなかったのでしょうね。
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本当にありがとう (学生)
2006-08-26 18:35:46
すごくわかりやすい。



本当にありがとう!です。
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ありがとうございまーす! (パパ愛妻)
2006-08-27 11:22:51
ガンは自分の身体の中で転移はしますが

他の人に伝染したり、うつったりすることは

ないです。



ココロの病は、「伝染する」というところが

もっとも怖いところかもしれません。



いつも優しさいっぱい詰まったメッセージを

ありがとうございますm(__)m





学生さん!

>すごくわかりやすい。

合格ですか?(笑)

ありがとうございます!

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