ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の話他、幕末〜明治維新の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮などの話も。

村田新八とその子、岩熊について

2021年08月18日 | 文学・歴史・美術および書評
次回「雲よ、伝へて〜明治報道奮戦記〜其の六」
準備中続き。


田原坂は描くとなると戦場ドキュメント(重)になってしまう。
しかし、こと最近「重い」「しんどい」は毛嫌いされる。
史実は屍の山、それを無視して明るくはできない。
明るくしようとしたらしたできっと不遜で不謹慎でしょう。

そんなわけで構成が非常に大変で、今更ながら
「辞めようかな〜。異世界ファンタジーで恋愛モノとかにしとけば楽だったかも」
(なんだそれ)
とか悩ましいw。

まあそんな「重いだろうな」部分も、活動開始前から思っていたことではあるんで
ラストサムライが戦って死ぬ話ではなくて、
剣よりペン、ジャーナリストとして目覚めた主人公とか自由民権運動の始まり
「エンド」でなく「スタート」を描こうと思ったんですけど。

もうここは自分を信じるしかないです。


さて、課題の新八親子。

手に入りやすい村田新八の本としてはこちらも出てきます。
読みました。
大久保はあんまり出てこなかったような。
でもおかげでなんとなく分かったことがあります。


あのアコーディオンに騙されるけれど、
新八は実は文化系でなく「武人」ではないかと。
一般的に西郷=武人で、そのマネージャーのような村田新八が
芸術を愛する文化系…
と思ったんですが、村田の筆跡を見てピンときました。
キャラクター的に逆では…。

本質的には西郷隆盛が文人気質で
村田新八の方が武人気質だったのではないか?
と思います。

西郷の方が年上であるのと先輩を立てる体育会系な郷中教育があるから…。
西郷は常にブレーキをかける方で、ああ見えて慎重です。
これがもし、慎重な芸能人とアグレッシブなマネージャーの関係だったとしたら
そりゃあ、新八は西郷と一緒にいなきゃいけない存在になる。


さて、そうすると
「村田新八は息子らにどう接したか」
これも気になります。

黒田清隆が新八に息子らを留学させてはどうかと言い出し(北海道開拓のため)
新八は家族には事後承諾で岩熊の留学を決めている…

これと、岩熊が田原坂で伝令役や後方支援をしていた時に
「前線に出ろ」と叱咤した、という話や
亡くなった後「死に場所を与えてやった」と言ったような言葉から察するに
かなりの教育パパですよ。
毒親とまでは言いませんが、どこか有無を言わさない「父権」を見て取れます。


一方で岩熊さんの方です。
彼が留学したのが1872年のアメリカです。

手持ちの資料から(南洲顕彰館蔵)
左から新八、二蔵、岩熊、フィラデルフィアで撮影とあります。
(注:古い資料なのでどうだか…お子さん4人いらっしゃったようで
ヒゲの新八に慣れてるせいか
一番左が新八ではなく岩熊さんな気もましますが不明)

(鮮明でないのは仕方ないです;)

岩熊が3/20にニューヨーク着だとすると
ちょうど一段落した頃、アメリカでは大統領選挙。
先の南北戦争で奴隷解放され、黒人や女性に参政権が叫ばれ
文学ではホイットマンにマーク・トウェイン

これ、まさに「自由」の空気の中にいるではないですか。

アメリカにアレルギー無かった、福澤諭吉なんかの場合は
蘭学の適塾(大阪)に横浜と、異文化を入れる素地があるからだとして
岩熊さん、薩摩からいきなり自由のアメリカですか。
しかも14歳…

行く前に外国人教師から英語は学んだだろうけど。
やっぱりその国の文化や風習や歴史、考え方、空気
そういったものが言語を作っているので
受けた影響は想像以上に大きかったのではないでしょうかね。



詩人ホイットマン。これ次回、小道具で出そうかなと思います。
ホイットマンもジャーナリストやっていました。
岩熊さんが渡米した時は結構名の知れた詩人になっていたようです。
彼にはピーター・ドイルという同性愛を疑われるまでの無二の親友がいたそう。



田原坂は戦場で、そこは血塗れの大雨の泥沼です。
が、田原坂がなぜ「美少年」を唄ったのか。
「それはただ若い者のことであり、イケメンのことではない」
そこも含めて知った上でわざわざ「美」を入れた理由とか
そんな悲惨で絶望的な所に「美」なんてあるんですかという疑問とか
色々と考えることありまして;

それを思うと、やっぱり辞めずに、描いておきたいかも。

次回、サブタイトルは「記者と友達」かな。
すいません、よろしければお付き合いください。
冬コミを目指します(あるかな〜)
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2 コメント

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お読みいただきありがとうございます (卯月かいな)
2021-08-18 19:44:29
拙共著書をお読みいただきありがとうございます。
サブタイトルのわりに大久保が出てこないですよね(苦笑)
さて、紹介されている写真ですが、一番左の人物は高橋新吉です。また、一番右は大久保利和(彦之進)で間違いないと思います。
では真ん中が岩熊なのかというと、ちょっと微妙なところだと思っています。

Twitterも拝見しています。今後のご活動、楽しみにしております。
おお〜! (管理人)
2021-08-18 21:24:14
著者様からコメントいただきました!
超助かります〜^^ありがとうございます!

う〜ん、この写真だと結局どれが岩熊さんかわからないのか。
最終「イメージ優先」かもしれません。
まあ、創作なのでご容赦くださいまし^^

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