古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

倭、大倭 と 和、大和

2017-12-02 14:29:13 | 歴史
魏志倭人伝に紹介されている地名の漢字と
古事記や日本書紀に出てくる漢字、現在の地名などについて考えてみます。
最初に、日本の呼び名です。
中国の史記では、古くから 日本の事を 倭国
日本人は 倭人です。
人辺に 委ねる ですので、さげすましたような漢字です。
もちろん通常は使われていない新しい漢字です。
漢から贈られた金印も 漢委奴国王
魏から贈られた金印も 親魏倭王 ですから、大陸は、日本の事を 倭(ワ)と呼んでいる事は間違いなしです。

古事記や日本書紀でも、 倭尊、倭建命(ヤマトタケル)や倭姫命など、この漢字が使われますので
後の著者も、大陸の史記は読んで参考にしています。
※『日本書紀』では主に「日本武尊」
倭建命の詠んだ歌にも、倭(やまと)は国の真秀(まほろ)ば・・・
ふるさと(近畿、奈良)の事を倭(やまと)と読んでいます。

しかし、古事記、日本書紀など日本の史記では
倭 が 和 に変わります。(大倭も大和です。)
両方とも ワ と発音しまが、日本では共に ヤマト と読んでいます。
もちろん、現在の地名で 倭の漢字、ワと発音する地名はありません。
大和(ヤマト)は近畿、奈良地方です。

ここでも倭、和、大和 を ヤマト と発音しますが、通常の漢字の読みではありません。
倭国 を 和国 に漢字を変えて、更に ワ と呼び名も ヤマト に変更します。
このヤマトは何処から生まれたのでしょうか。
邪馬台国 が ヤマト国です。
台は、卑弥呼の後の女王 台与(トヨ)とある様に、 ト と発音していたのではないでしょうか。
邪馬台国の祈祷師 卑弥呼を倭国の女王にしたと記述があるので
倭 は ヤマト と読むようにしたのではないでしょうか。
※元明天皇の時に「倭」と通じる和の字に「大」を付けて「大和」と書くよう定められたとされています。

このヤマトには、本当は何の意味があるのでしょうか。
魏志倭人伝に紹介される国に 伊都国があります。
漢の役人、一大卒が住む国です。その漢字もかなり良い意味の漢字が使われていて、更に 都です。
邪馬台国も倭人の意味は
山都、或いは 天都 だと思います。
山奥にある都、天上にある都と良い意味で自国の名前を付けますが、大陸人は、意地悪な漢字を充てます。
しかし、伊都国も邪馬台国も日本神話には登場しませんし、現在の地名で該当する地域も無いようです。
ヤマト朝廷からみて、都の漢字を使う国の名前は許せなかったはずです。
伊都国は、筑紫国、邪馬台国は 豊(トヨ)国に表現して、自国(奈良)を大和(ヤマト)します。

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1 コメント

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Unknown (匿名)
2018-05-31 22:56:31
倭大国魂神社(やまとおおくにたまじんじゃ)は、徳島県美馬市にある神社である。日本一社 延喜式式内社 阿波國美馬郡 倭大國魂神大國敷神社二座の論社である。
奈良には、大和坐大国魂神社(大和神社)があります。
倭と大倭は意味が違います。

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