知的生産性向上委員会  -ビジネスとサイエンスの間-

ビジネスとサイエンスの効率化を図るためのノウハウを蓄積することにより、知的生産性を向上することを目的とする

自分だけの現場

2010-04-10 | 知的生産
『独自の情報と独自の方法を用いて真摯に解いていかなければ、長い時間持ちこたえることのできる高いレベルの問題解決にはなりません。』

『自分の現場を大事にすることが大事です。自分の仕事に集中して、そこを深く掘り進んでいく。いくら勉強しても他の人の現場は掘れません。新渡戸稲造も「あと一尺掘れば出る水を、出ないからと言って他の所を掘って行く人がいることは悲しいことだ」と言っています。』(久恒啓一)



まさに、科学の世界にそのまま当てはまる内容である。
ここで言う「現場」とは「研究テーマ」と同じである。
しかし、これだけ情報が共有される現在においては独自の現場やテーマを持つことは
決して容易ではなくかつ忘れ去られやすく、それだけに注意が必要である。



引用本
知の現場

東洋経済新報社

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豊かであり続けること

2010-04-09 | 思想・人生・雑感
『もう一点申し上げれば、社会というのは「豊かであること」が重要なのではなく、「豊かであり続けること」が重要なのです。社会が繁栄したら、その繁栄をずっと継続させていく必要があります。』(北康利)


「豊かであり続ける」というのはいろいろな解釈ができそうである。
そもそも「豊かさ」の定義とは何だろう。
仮により多くの人が幸福を感じることができる状態が「豊か」であるとすれば、
個人も社会も成長し続けるのが「豊かさ」ではないか。
たとえ皆が生活に困らないにしても、もし社会の成長がゼロであるとすれば、
いずれ満足しない人が大勢を占めるに違いない。
ここでいう成長は決して経済的成長のことではない。
あらゆる意味での「社会的発展」である。
成長のない社会は、交換されることのない桶の水と同じである。
代謝がなければ早晩水は淀み、悪臭を放つ。
こう考えると社会はあたかも生物であるかのようである。
社会を人間に例えるなら、いずれ死んでしまうけれども
健康的に長生きすることはできる。
不摂生を続けて重い病気になることもある。
ここで社会が「豊かであり続ける」とはどういうことか。
やはり「豊かであり続ける」とは「健康的に長生きすること」になるだろう。
そう考えれば「豊かであり続ける社会」にとって何が必要なのかは想像しやすい。

太陽が昇れば起き、沈めば寝る支度をする。
肉、野菜、魚をバランスよく食べ、偏った食事はしない。
適度に運動をする。
楽しんで仕事をする。
ストレスを溜めない。
普段からおおいに笑う。

これらが社会という主体において良く実践されているかどうか定かでないが、
少なくとも今の社会が目先の生理的欲求のために偏った食事と暴食を繰り返して
苦しんでいるという印象は受けるのである。


引用本
知の現場

東洋経済新報社

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