素晴らしい画力です。
大友克洋さん! ご存じですよね。
こんなネット掲載がありました。
彼は(だれだか知りません)、“大友克洋”のことを大学生の漫画好き男子に聞いたらば、
「大友克洋の何が凄いのか全然わからない、『AKIRA』も『童夢』も他の漫画によくあるシーン
ばかりじゃないですか」と言われ、彼は立ちくらみがしたといいます。
「本当に世界を変えてしまった才能は、その後の世代からは空気のように透明な存在になって
しまうのだ」、などと彼は自分をなぐさめておりました。
この掲載は「2015年5月6日 22:53」とあります。つい、この前。わたくしも「そうかもね」と
思う節がチラリ、30年も経ってしまっていたんですね。
大友さんの全盛期、否、つぎの三作でメジャー化したそうですが、なにしろ
この数年の輝きはスゴかった。
1980年に『童夢』と、『気分はもう戦争』(原作:矢作俊彦)が連載。1982年に『AKIRA』の連載を開始。
『童夢』に圧倒され、『気分はもう戦争』で時代の気分を満喫し、『AKIRA』は余裕の中で愉しんでいま
した。宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』にココロがふるえたのは、その2年後でした。
大友さんの革新は、漫画だけにとどまらず、アニメへ、SFへ、『美少女像を変化させ、「記号的な顔」と
「写実的な肉体」を併せ持つ、日本の漫画表現独特の美少女キャラクターを生み出す一因ともなった』
という分析もあるのです。
大友の作品ではキャラクターのいない、風景だけが大写しにされたコマが続けて描かれるが、
風景を物語の説明的な背景として使うのではなく「風景だけで何かを語らせる」このような方法は
それ以前の漫画にはない新しい手法であった。
手塚治虫によって体系化された漫画の手法に対して、事態をリアルに一枚の風景として描き出し、
自在に変化するカメラワークによる画面の連続で作品を構成する大友の手法を「非手塚的手法」と呼んだ。
漫画の表現史を画するものとして「大友以前、大友以後」という言葉もしばしば用いられている。
大友さん(左)と浦沢さん(右)です。
浦沢直樹さんの場合は、 大友さんに影響され、初期の画風は大友さんの画風と似たようなもの
となっている、とおっしゃっています。
大友克洋さんの輝きと出会ったわたくしたちは、幸せ者であります。 おしまい。
大友克洋さんの初期の画力です。ごく、初期ですが、スゴイ。
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