浅草に大仏がいたと驚いた。ところが、大仏と思った東禅寺(とうぜんじ)の説明書をよくみると大きなお地蔵さまだという。
地蔵菩薩座像は、江戸に出入りする六つの街道の入口にそれぞれ一体ずつ安置され、「江戸六地蔵」と呼ばれた。江戸の範囲は、御府内(朱引き内)といい、南は品川大木戸、西は四谷大木戸、北は板橋・千住の手前、東は本所、深川迄の範囲をいい、宝永5年(1708)から享保5年(1720)にかけて、深川の地蔵坊正元が発願し江戸市中から寄付を募り、神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀が鋳造し建立したもので、江戸の入口にあたるところに建立された。平安時代、京都の入口六ヶ所に建てられた帝都六地蔵になぞらえて造られたともいわれ、江戸市中全体の安全を守る、という趣意がこめられている。
第一番:品川寺(ほんせんじ、東海道)・・・品川区南品川3-5
第二番:東禅寺(とうぜんじ、奥州街道)・・・台東区東浅草2-12
第三番:太宗寺(たいそうじ、甲州街道)・・・新宿区新宿2-9
第四番:真性寺(しんしょうじ、中山道)・・・豊島区巣鴨3-21
第五番:霊岸寺(れいがんじ)・・・江東区白河1-3
第六番:永代寺(えいたいじ=廃寺)・・・江東区富岡1-14
時代は変転し、昭和58年に東京大仏が知らぬうちに建立されていたようです。
大仏さまは奈良と鎌倉だけではなく、千葉の鋸山日本寺にも大仏がいる。かって、別府にもあったが平成元年に取り壊されたらしい。
追、
この続きを、性懲りもなく発想したのだけれど、きのうの藤とつつじの話題を明日につなげたい。その後に大仏のつづきを期待してねん。予想外の展開にiinaもうれしく、この続きも意外と面白いはず、
た・ぶ・ん。
つづく
地蔵菩薩座像は、江戸に出入りする六つの街道の入口にそれぞれ一体ずつ安置され、「江戸六地蔵」と呼ばれた。江戸の範囲は、御府内(朱引き内)といい、南は品川大木戸、西は四谷大木戸、北は板橋・千住の手前、東は本所、深川迄の範囲をいい、宝永5年(1708)から享保5年(1720)にかけて、深川の地蔵坊正元が発願し江戸市中から寄付を募り、神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀が鋳造し建立したもので、江戸の入口にあたるところに建立された。平安時代、京都の入口六ヶ所に建てられた帝都六地蔵になぞらえて造られたともいわれ、江戸市中全体の安全を守る、という趣意がこめられている。
第一番:品川寺(ほんせんじ、東海道)・・・品川区南品川3-5
第二番:東禅寺(とうぜんじ、奥州街道)・・・台東区東浅草2-12
第三番:太宗寺(たいそうじ、甲州街道)・・・新宿区新宿2-9
第四番:真性寺(しんしょうじ、中山道)・・・豊島区巣鴨3-21
第五番:霊岸寺(れいがんじ)・・・江東区白河1-3
第六番:永代寺(えいたいじ=廃寺)・・・江東区富岡1-14
時代は変転し、昭和58年に東京大仏が知らぬうちに建立されていたようです。
大仏さまは奈良と鎌倉だけではなく、千葉の鋸山日本寺にも大仏がいる。かって、別府にもあったが平成元年に取り壊されたらしい。
追、
この続きを、性懲りもなく発想したのだけれど、きのうの藤とつつじの話題を明日につなげたい。その後に大仏のつづきを期待してねん。予想外の展開にiinaもうれしく、この続きも意外と面白いはず、
た・ぶ・ん。
つづく
お地蔵様なんだ、
まみも浅草へ行ってみたいわ色々と見て周りiinaさんお酒飲んでなんか楽しそうね、
にっこりまみ↓に載せてる大仏様もご立派です
まみも人を待ち過ぎて銅になりかけてしまった事があるの!
六道輪廻の六地蔵と直接かかっている?わけでもないんですね。
大仏フリークの人もけっこう多いらしいので、今後も楽しみにしてますね。